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石橋克之氏
Profile

石橋克之氏

SSIP弁理士法人 代表弁理士
特定侵害訴訟理人資格付記(特定侵害訴訟代理人)
第三種電気主任技術者

1979年3月生まれ、和歌山県出身、京都大学大学院工学研究科(化学工学専攻)修了。2003年4月、新卒で住友ベークライト株式会社入社。2005年12月、同社を退社し弁理士試験に専念。2006年7月、弁理士試験論文式筆記試験後、東京都の弁理士事務所に就職。同年、弁理士試験合格。2007年、弁理士登録。2009年3月、同所退職、2009年4月、特許業務法人高橋松本&パートナーズ(現:SSIP弁理士法人)入所。2010年、パートナーに就任。2013年、誠真IP特許業務法人(略称SSIP)に名称変更、代表に就任。2022年、 SSIP弁理士法人に名称変更。

次世代の新しい特許事務所をめざし、
最先端のテクノロジーを活用できる組織に変革していきます。

 海外でも通用する「グローバル明細書®」を特徴に持つSSIP弁理士法人。代表弁理士の石橋克之氏はメーカーから転じて弁理士となった。そして、2つ目の勤務先であるSSIPを34歳の若さで引き継いでいる。石橋氏はなぜ弁理士への道を歩み、勤務先である事務所を承継したのか。そして、承継後の取り組みや特徴である「グローバル明細書®」について、人材育成と今後の方向性について詳しくうかがった。

 ※「グローバル明細書」はSSIP弁理士法人の登録商標です。(商標登録第5976790号)

自身の発明のヒアリングで初めて弁理士を知る

 文系に進むべきか、理系に進むべきか。その選択は自身の興味・関心や将来の夢などによって、自ずと決まってくることが多い。現在、SSIP弁理士法人の代表弁理士を務める石橋克之氏が理系を選んだ理由は、国語が致命的に苦手だったからだという。

 「高校時代、文系と理系の選択がありましたが、私は国語が致命的に苦手で、好きでもなかったので、理系の道に進むしかありませんでした。今でこそ弁理士として文章を書く機会が非常に多いのですが、学生時代も社会人になってからも、文章を書くのは苦手でしたね」

 大学受験は実力不足なのに運で受かった、と石橋氏は振り返る。

 「大学は化学工学科で、物理化学、熱力学、反応工学などを広く浅く学びました。決してまじめな学生ではなく、雨が降ると大学に行かないなど、結構さぼっていました。ただ、テスト前はちゃんと勉強していましたので、成績はよかったと思います。入学時は運で合格した底辺だという自覚がありましたので、卒業するときはトップをめざしていました」

 石橋氏が通う大学の理系学部生にとって、大学院進学は当たり前のことで、学部卒で就職活動をする仲間は1人もいなかった。石橋氏も大学院に進学し、引き続き化学工学を専攻した。

 「就職にあたっては、人数が多い大企業は自分の性格に合わないと思っていました。全社員の顔も覚えられないような規模ではなく、自分がやったことが会社の業績に影響することが実感できる規模の会社が合っていると考えました」

 そうして石橋氏が選んだのが住友ベークライト株式会社だった。同社では半導体パッケージ向け新規材料開発チームに所属し、開発した次世代材料の良さを顧客にアピールするための評価試験を行った。所属したチームには優秀な先輩が集まっており、仕事に向ける熱意を持った尊敬できる人たちに囲まれて仕事ができた。

 「いいチームに所属でき、人生をなめきっていた自分を変えてくれたというか…。ここで人生に対する考えが180度変わりましたね」

 石橋氏が初めて弁理士に会い、初めて弁理士という職業を知ったのも同社勤務時代のことである。

 「入社2年目に名古屋大学の教授との共同研究プロジェクトに関わっているとき、自分が発明した案件の明細書を弁理士に書いてもらいました。発明内容のヒアリングをしてもらい、こういう仕事もあるんだ、結構おもしろそうだな、と興味を持ったんです」

論文式筆記試験後、受験途中で特許事務所に就職

 弁理士という仕事を知った石橋氏だが、すぐにめざそうとは考えなかった。ただ、もっと直接社会に自分が貢献できることはないのかと考え始めたときに、弁理士が浮んできた。

 「いい先輩に恵まれ、仕事にやりがいを感じていました。でも、当時の仕事内容は、自分がやったことが社会にどう貢献しているのかは、少々見えにくかったんです。もう少し自分で実感できる仕事はないのかな、と思い始めていたときに弁理士という仕事を考えました」

 弁理士をめざしたいという石橋氏の意向を知った会社の人たちからは、知財部に移ってはどうかと勧められた。

 「勧められて考えましたが、直接誰かの役に立つことを実感しやすいのは知財部より特許事務所だろうと思い、退職して特許事務所で活躍する弁理士をめざすことにしました」

 勤務しながらの受験も考えたというが、1つのことに集中したい自身の性格には合わないと判断した石橋氏は、2005年12月で会社を退職し、2006年は弁理士受験に集中した。会社をやめての受験専念だったため、石橋氏は実家に戻り、通信教育で勉強した。どうしても1年で合格したいという思いで、人生で一番勉強に集中した期間となった。

 「2006年の弁理士試験論文式筆記試験が終わったあと、すぐに就職活動を行いました。思い立ったら即行動というタイプなので、求人サイトで目についた弁理士事務所に連絡を取りました。そして、面接を受けたらすぐに採用が決まり、8月から勤務することになりました」

 まだ、弁理士試験が終わっていないにもかかわらず、実務に就いた理由を「試験勉強だけやっていると、社会から取り残された気分になり焦っていたから」と石橋氏は振り返る。

 こうして受験生でありながら実務に就いた石橋氏だが、実務を覚えながら臨んだ口述試験を見事に突破し、目標通り1年での合格を実現した。

 勤務した特許事務所では外国グループに所属し、国内グループ所属の他の弁理士が作成した日本語明細書の翻訳や、外国特許庁からの拒絶理由対応といった業務を担当した。その事務所では、クライアントにヒアリングして明細書を書くのは国内グループの担当業務であったため、直接クライアントと会う機会は少なかったという。

 弁理士試験合格後、弁理士登録を済ませていた石橋氏は、特許の明細書を書く経験を積みたいと思い、所長にお願いしたところ、先輩弁理士の指導のもとで明細書を書く機会が与えられた。

 「指導してもらったのは10件程度でしたが、とてもいい経験になりました。振り返れば、他の弁理士から指導してもらえたのはこのときだけなので、短い期間でしたが、本当に感謝しています」

厳しい環境に自分を置いて、早く成長したい

 弁理士受験中に勤務を始めた特許事務所は比較的規模が大きく、未経験で入った石橋氏は立派な実績を持った弁理士たちと肩を並べて仕事ができるイメージがなかなかわかなかった。いつになったら自立できるのか、という不安を覚えていたときに知り合ったのがSSIP弁理士法人の前所長だった。

 「求人サイト経由で前所長と知り合いました。当時の勤務先と比べると規模も小さく、所長を含め弁理士は2名体制。若手の自分が入っても、活躍できる余地がありそうだと感じました。もっと厳しい環境に自分を置いて、早く成長して1人でクライアントと向き合える弁理士になりたいと思い、転職を決意しました」

 石橋氏は最初に勤務した事務所を2009年3月にやめ、4月から現 SSIP弁理士法人に入所。石橋氏よりも30~40歳上の弁理士2名体制の事務所だったため、最初から石橋氏はパートナー候補として入所している。実際に入所翌年、2010年1月にはパートナーに就任した。

 「転職を決意したのは、前所長が自分の将来性を高く評価してくれたことと、『あなたに伝えたい弁理士スキルがある』と言われたことが理由です。実際には、入所後はほとんど指導もないまま実戦に投入されたんですが…。
 最初は他の弁理士から仕事を分けてもらっている状況でしたが、一緒にクライアント先にヒアリングにうかがううちにクライアントから声をかけてもらえるようになり、徐々に自分宛に依頼される仕事が増えきました。少しずつ自信も出てきたころ、『予定より早いけどパートナーにならないか』という話になりました」

 パートナーに就任したことで責任感が生まれ、ポジションに見合った仕事をしたい、クライアントからの信頼を得たいと石橋氏は考えた。そして、クライアントと信頼関係をきちんと構築したいとの思いで接していくうちに、評価してくれるクライアントに出会ったのである。

 「テストで書かせてもらった明細書の品質を評価してくれて、それまで他事務所が担当していた出願案件も依頼していただけることになりました。その中には、不得手だった電力制御の技術分野の依頼が含まれていたため、よい機会だと考えて、第三種電気主任技術者(電験三種)の資格も取得しました」

 入所5年目の2013年7月31日に代表弁理士に就任し、名実ともに前所長から事務所を承継した。

入所5年目で代表弁理士に

 代表弁理士に就任する前後から、石橋氏は採用活動に注力していた。事務所のキャパシティを超えるかもしれない仕事量に対応していくためでもあるが、事務所を組織として再構築していきたい思いもあったのだろう。

 「前所長ともう1名の弁理士と私、技術者、事務職を含めて10名くらいの組織でした。仕事の依頼をいただけることが見えてきたころから、先行きの見通しも立ってきたので、積極的に若手の採用を始めました」

 採用活動とともに石橋氏が代表になってから注力したのは、事務所のビジョンを打ち出すことだった。

 「前所長はビジョンを打ち出すというよりも、目の前の仕事をきちんとこなすことで、次の仕事につなげていくというやり方でした。今まではその繰り返しでうまく回ってきましたが、翌年同じように仕事があるとは限りません。まずは他の事務所との差別化をしなければならないと考えました」

 差別化のために石橋氏が考えた1つの方法が、アメリカの弁護士資格を取得し、アメリカで事務所を開くというものだった。

 「特許を外国出願する場合、日本の特許事務所とアメリカの特許事務所の2ヵ所にフィーを支払わなければなりません。それを1つにしたらクライアントのためにもなるし、他事務所との差別化にもつながると考えました」

 実際に石橋氏はアメリカ・カリフォルニア州に試験を受けに行った。

 「“だめもと” の思いで試験会場に入って、実際に受験しました。アメリカはパソコンを使っての受験で、他の受験生はネイティブなので英文タイピングの速度がものすごい。そのハンデを覆して合格するには相当時間がかかると気付きました。1日目は受験しましたが、2日目は試験会場には行かずに、ホテルに篭って作戦の練り直しです」

 日本出願は減少傾向にあったので、外国絡みの案件もやらなければならない。当時、クライアントからの欧州出願の依頼が増えており、そこで直面していた実務上の困難性を打破するために、日本語の明細書をどう書けばいいのかを石橋氏は常々考えていた。

 「作戦の練り直しで浮んできたのが、『グローバル明細書』の着想です」

「グローバル明細書」を事務所の強みに

 日本で特許を取得できた明細書をそのまま外国に出願しても、世界各国(地域)間における中間処理から権利行使段階に至る実務上の取り扱いが異なっていることから、世界各国(地域)で良い特許を取得することは簡単ではない。そのことを考えていた石橋氏は、各国の実務に応じた日本語明細書の最適化を考えていた。

 「ヨーロッパでの実務で補正要件の対応に苦慮するケースがあり、日本語明細書の段階でどのようにドラフトすればいいのかを考えていました。しかし、アメリカ実務への対応とヨーロッパ実務、中国実務への対応とを両立することは容易ではありません。
 そこで、日本語明細書を作成する段階で、世界各国での実務を考慮した『グローバル明細書』を作成することを考えました。その内容は、日本弁理士会パテント誌Vol.68(『月刊パテント』2015年11月号)に『グローバル出願に適した特許明細書』として発表しています」

 日本語の明細書を作成する段階で、多くの国に共通の対策、そしてヨーロッパや中国、アメリカでの実務の違いにおける対策を盛り込んだ内容の「グローバル明細書」を作成すれば、そのまま外国での出願に耐えうる内容になる。

 「外国出願時に世界各国の実務に合わせて明細書を作り直すのは、クライアントにとってコスト・時間面で大きな負担となっていました。それを解決し、明細書を作成する段階で外国出願の対策を盛り込んだものが、『グローバル明細書』です」

 事務所の業務自体は前所長時代から順調に推移してきたが、石橋氏が代表になり、より積極的にクライアントとの信頼関係を構築したことと、「グルーバル明細書」によってクライアントはさらに増加したという。

自社開発で真のDXに取り組む

 代表に就任して11年目の石橋氏だが、弁理士業務の差別化以外ではどのようなことに取り組んできたのだろうか。

 「今でも課題と感じているのは、事務部門の差別化です。うちの事務部門は一人ひとりの能力が高いスタッフが在籍していて、丁寧にやっていますので他の事務所に引けを取ることはないと思います。ただ、特許事務所にもDXの波が押し寄せており、これまでと同じやり方というわけにはいきません。事務所によってはRPAを導入していると聞きますが、私は少し違う考えです。RPAだと、一つひとつの小さな作業を自動化することはできても、仕事のやり方を抜本的に見直す『真のDX』は難しい。我々は、真のDXを実現するために、自分たちで一からコーディングして、ソフトウェア業界の最先端のテクノロジーを取り入れたアプリ開発をめざします」

 プログラムを書くといっても、もともとプログラマーが在籍していたわけではない。石橋氏ら数名が勉強しながら取り組んでいるという。この取り組みの前段階として、コロナ禍への対応があった。リモートワークを進めようにも、ペーパーレス化を実現しないと、リモートワークができないという現実に直面したのである。

 「当時は、紙の必要資料などを綴じた案件ファイルを事務から弁理士に渡すことで、所員間でタスクを依頼していました。自分の机に積んである案件ファイルを見て、弁理士は自分が抱える案件を把握していたのです。
 しかし、このままではリモートワークはできません。そこでペーパーレス化のために、所内タスク依頼システムを構築しました。Microsoftの『Power Apps』というローコード開発ツールを一から勉強してアプリを開発、2~3ヵ月程度で実装しました」

 ローコードアプリの開発をきっかけに、石橋氏らは、その後プログラミング言語であるPythonやJavaScriptも習得し、現在は、業務自動化アプリを開発中だという。

 なお、コロナ禍が落ち着いた今でも、希望者にはリモートワークを認めており、特に子育て中のスタッフは喜んでいるという。

弁理士資格取得は事務所がサポート

 現在、SSIP弁理士法人に在籍する弁理士は11名、技術者、事務部門などを含めると総勢は35名になる。石橋氏が入所した当時は総勢10名程度だったというから、3倍強になっている。業務内容は「グローバル明細書」を強みとした国内外での特許・実用新案出願、国内外での審判手続及び訴訟、国内外での意匠登録と商標登録、知財コンサルティングへと広がっている。

 「私が所長に就任して以来、高品質な弁理士業務を通してクライアントに貢献することに注力してきました。これからもこの方針は変わりません。
 その一方で、時代は目まぐるしく変化しています。今後は、次世代の特許事務所の在り方を考えながら、最先端のテクノロジーを活用できる組織に変革していくことが大事だと思っています」

 そのためには必要に応じて人材採用も行わなければならない。人材採用について、石橋氏はどのような考えで臨んでいるのだろうか。

 「まず、将来性のある方に長く働いてもらいたいと考えています。そして、できるなら次世代の当事務所の運営を担っていってくれる、チャレンジ精神ある方に来てほしいですね。もちろん弁理士業務は大事だけどそれだけでは物足りない。弁理士業務の外側の世界にも自分の可能性は広がっている、といった考えの人は大歓迎です」

 弁理士資格については、本人が取得を希望すれば、入所後に取得すればいいという。そのためのサポートは事務所としても行っており、現在も弁理士試験に向けて勉強中のスタッフが何人もいる。

 「入所時に弁理士資格を持っているかいないかは、あまり関係ないと思っています。むしろ大事なのは、技術的に深く理解できる、理系のバックグラウンドを持っていることや、論理的に物事を考えられるかです。
 もちろん、特許事務所なので、弁理士資格取得は推奨しています。せっかくこの業界に入って、特許の仕事をするのであれば、持っているに越したことはない。弁理士資格の有無でできることが大きく違ってきます。クライアントとより近い立場で信頼関係を直接構築する醍醐味を味わうには、弁理士資格を取得していたほうがいいですから」

 事務所ではスタッフ育成のために不定期ではあるが所内研修を行い、明細書の書き方、中間処理の仕方、弁理士業務のスピードアップ方法などをレクチャーし議論している。そして、弁理士のキャリアパスを考慮し、海外研修への参加も認めているという。

事務所が将来も存続し成長していけるように

 メーカー勤務から転じて弁理士になった石橋氏。弁理士という仕事をどう捉えているのだろうか。

 「弁理士になってよかったですね。自分に合っているのは間違いないと思います。物事を深く考えるのが、もともと好きだったことも影響しています。例えば、クライアントや発明者から発明内容の説明を受けて、その内容を自分がすっきりするまで理解を深めて、それを書面にアウトプットします。そのアウトプットを発明者にほめてもらえたら、うれしいじゃないですか。そういうことが楽しいと思える人間なので、弁理士は向いていたと思います」

 発明者の顔、知財担当者の顔が見える仕事である点も、直接人の役に立てる、喜んでもらえる仕事であることは励みになるという。

 「でも、特許出願しても、それを出願して意味があったかどうかは、なかなかわかりにくいんです。競合する企業が無効審判や異議申立をしてきて、はじめて、この出願に意味があったんだとわかります。ですから特許出願を提出して、権利化業務だけをやっていると、なかなかクライアントのためになっているのかが見えにくい部分があります。そういう意味では、訴訟や無効審判といった係争関連の業務は、クライアントの会社の売上・利益に直接影響するもの、大事な特許について争うわけですから、特にやりがいを感じますね」

 事務所の今後の展望についてもうかがってみた。

 「もともと規模拡大という気持ちがあったわけではありません。結局のところ、他の事務所と比較したとき、どれだけ競争力があるかだと思います。その結果として、競争力が維持できるサイズで成長すればいいと思っています。
 また、私が引退しても事務所は残りますから、次の世代についても常に考えています。前所長がうまく道を作って引き継いでくれたのと同じように引き継いでいかないといけないし、事務所が将来も存続し成長していけるようにしていききたいですね」

 今後は人材育成にさらに注力するとともに、若い世代のパートナーも徐々に増やしていく計画だという。

 「次の世代の代表候補は、クライアントに納得していただける仕事ができる弁理士でないと困るので、そうした弁理士の中から出てきてくれることに期待しています」

合格を達成したとき人間としてもすごく成長している

 最後に、これから弁理士をめざす方、資格取得を考えている方に向けてメッセージをいただいた。

 「これは私の考えですが、人間は自分の能力の限界を越えた試練をクリアしたときに成長すると思います。私の場合もその繰り返しでした。弁理士試験は、これから勉強しようという方には、かなり高いハードルに見えるかもしれません。でもコツコツやっていけば、いつか合格できるはず。そして、それを達成したとき人間としてもすごく成長していると思います。
 単に資格が手に入るだけでなく、勉強を通して物事の考え方などがどんどんよい方向に変わっていくはずですし、人生が彩り豊かになると思います。今は長いトンネルを通過しているイメージかもしれませんが、必ず最後にはその努力が報われるときが来るはずです。毎日の勉強をがんばってください。
 そして、合格しても弁理士資格を取得しただけでは、すぐにクライアントに貢献できるわけではありません。あくまでもスタート地点に立っただけです。そこから自分にとって不得手な分野の仕事にあえて挑むとか、少しずつ自分に試練を与えて、それにどんどん適応し続けていくことで、クライアントの役に立てるいい弁理士になれると思います」


[『TACNEWS』日本のプロフェッショナル|2024年8月 ]

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