日本のプロフェッショナル 日本の司法書士
柏原 昌之(かしはら まさゆき)氏(写真左)
司法書士法人かしのき事務所 代表司法書士
行政書士 宅地建物取引士 FP2級
柏原 詠子(かしはら えいこ)氏(写真右)
司法書士法人かしのき事務所
司法書士 宅地建物取引士
夫婦であることを全面的にアピール。
相談しやすい、話しやすいイメージが、好循環につながっています。
士業夫婦が2人で事務所をやっているケースは少なくない。ただ、前面に出るのはどちらか1人で、夫婦でやっていることをアピールするケースはほとんどない。そのような中、さいたま市の司法書士法人かしのき事務所の代表である夫・柏原昌之さんと妻・柏原詠子さんは夫婦を全面的にアピールするやり方を採っている。実は奇跡的ともいえる2人の出会いから、夫婦での事務所運営に至った経緯、プライベートなできごとまで詳しくうかがった。
「まさか!あなたも司法書士!?」
素朴であたたかみのある木目調の書棚やテーブル。英国風クラシックスタイルのシャンデリアがある応接室は、時間の流れもゆったりと感じられる。
大宮駅からタクシーで15分。埼玉県さいたま市西区。住宅街が広がる一角に「司法書士法人かしのき事務所」はある。来客があればこの応接室に招き、まずは、こだわりのカップアンドソーサーでお茶を淹れ、落ち着いた雰囲気の中でゆったりと話が始まる。
「古くからの大切な友人と気兼ねなく話せる場所。それがこの部屋のコンセプトです。心地よい空間でゆっくり、お話をうかがいたいと思いまして、リラックスしてお話しいただけるように、あえて古民家を探しました。たまたま一人暮らしのお年寄りが亡くなった家を、ご遺族からお借りして、家具もできるだけそのまま使わせてもらっています」
そう話すのは司法書士法人かしのき事務所の代表司法書士・柏原昌之さん。リラックスできる司法書士事務所もなかなかないが、それ以上に珍しいのは、この事務所が奥様であり司法書士の柏原詠子さんと2人で、つまり夫婦で経営する司法書士法人であることだ。
2人の出会いは、ちょっと奇跡がかったものだった。
「4年前の2020年、ちょうどコロナ禍まっただ中に、さいたま商工会議所のオンライン婚活イベントに参加しました。50人対50人をZoomでつなぐので、1人当たりのプレゼン時間はわずか20秒。チャチャッと50人が自己紹介するから、何もわからない(笑)」(昌之さん)
そんな短い時間の中で「田舎育ちで家族が大好き」という詠子さんの言葉が印象に残った。
「彼女は職業を公開していませんでしたが、笑顔がとてもすてきでした」
かくいう昌之さんも司法書士であることは伏せて、ただ自営業と紹介。
「Zoomの背景が書棚で自営業ということだったので、おそらく何か士業的仕事をしているのだろうなと推察はしていました。第一印象は兄貴肌。頼りがいがあって、さわやかな印象でしたね」と詠子さんは話す。
イベントの終わりには、気になる人とZoomでダイレクトメッセージを交換する。昌之さんは迷わず詠子さんにメッセージを送り、LINE交換をお願いした。やりとりをしていくうちに、初めてお互いの職業が司法書士とわかって、一気に意気投合。5ヵ月後、めでたくゴールインした。
結婚当時、昌之さん46歳、詠子さん44歳。まるでドラマのようなシナリオだった。
夫は、試験合格後すぐに独立開業
ここで2人のプロフィールを紹介しよう。昌之さんは生まれてからずっとさいたま市大宮区大成町で育ち、地元の小中高校から日本大学に進み、哲学専攻で大学院まで進学している。
「考えるところがあって、大学院をやめてバーテンダーやブランドバイヤーを転々としました。その後は、原子力発電所設計員として各地の原発に出張。福島第一原発で防護服を着て作業していたときに、東日本大震災が起きました。原発の事故をきっかけに『これは手に職を持った方がいいな』と強く考えるようになったんです」
福島で働く3年前、実はWセミナー(※)で司法書士試験の勉強をしていたことがあった。そのときは一度挫折したが、事故をきっかけに勉強を再開しようと決めた。 (※)WセミナーはTACのブランドです。
「資格試験は、きちんと過去の問題をやれば合格できるというのが持論。実は原発に関わっていたとき、過去の問題演習に注力して第1種放射線取扱主任者試験に合格しました。
そのような成功体験があったので、もう1回、司法書士を受けてみようと思ったんです。3年かかりましたが、2018年に無事合格。やっていたことをすべてやめて、すぐに独立開業しました」
ちなみに司法書士試験に落ちた2年目に、行政書士試験にもチャレンジしている。
「開業を意識していたので、ダブルライセンスを考えました。2年目も司法書士試験に落ちて、悔しさから勢いで勉強して1ヵ月半で行政書士試験に合格しました」
おおらかで何でもありのままに話す昌之さん。ダブルライセンスで登録したものの、実務経験はゼロ。そこで、まずは2つの士業の本会会務に励んだ。
「行政書士会の会務を一生懸命やっていくうちに、『登記だけお願いします』と言われて司法書士の仕事を少しずついただくようになりました。おかげでスタートから仕事がないことはありませんでした。
資格を取得したばかりの人は、会務にきちんと関わっていたほうが絶対にいいと思います。一見、無駄に見えるし、売上にはまったく関係ないと思えますが、会務に携わっている人は少なくとも行政書士会ではすごくもうかっていますよ」と、後輩にアドバイス。
本会の会務をこなす中で昌之さんの人脈は広がり、仕事のすそ野は広がっていった。
柏原 昌之 氏
1975年、埼玉県さいたま市大宮生まれ。日本大学文理学部哲学科卒業。日本大学大学院を中退し、バーテンダー、ブランドバイヤー、原子力発電所設計員などを経て、2017年、行政書士試験合格、2018年、司法書士試験合格。2019年、独立開業。2023年、司法書士法人かしのき事務所として法人化。
妻は、勤務司法書士から法務局専門職へ
一方、妻の詠子さんは、西南戦争最後の内乱「田原坂の戦い」の地にほど近い熊本県植木町に生まれた。春は裏山でタケノコ掘り、夏は父親と天草で釣り、秋は干し柿作り、冬はもちつきと、大自然の中で伸び伸びと育ち、九州大学法学部進学で福岡に出た。
「母親が看護師で、女性も手に職をつけて自立しなさいという教えの家だったので、もともと資格を取得して自立したいという気持ちがすごく強かったんです。長女の私は法学部で法律系資格を、妹は看護師をめざしました」
当初は司法試験をめざしていた詠子さんは司法書士に転向して、5年かかって29歳のときに司法書士試験に合格。
「合格後、東京で研修を受けた際に、講師の方が『うちの事務所でスタッフを募集しています。興味のある方はどうぞ』とアナウンスしたので、挙手してすんなり就職先が東京に決まったんです」
こうして詠子さんは上京。最初に就職したのは文京区にある司法書士と行政書士兼業の事務所だった。おかげで不動産登記から商業登記、債権譲渡登記、契約書作成、その他行政書士業務まで、幅広く経験できた。さらに次の事務所で司法書士登録。勤務司法書士としてキャリアを積んでいった。
「勤務していた2019年、法務局で中途採用試験が始まりました。ブランク世代の人員を補充するために30代、40代の司法書士と土地家屋調査士の有資格者を採用することになったんです。募集枠7名に77名の応募でしたが、運よく11倍の難関を突破して、さいたま地方法務局の専門職採用に合格しました」
昌之さんに出会ったのは、まさにその直後だ。当時、昌之さんは独立して3年目。まだまだ駆け出しで、自宅兼事務所だった。つまり、詠子さんのほうが10年以上早くから司法書士として活躍していたわけだ。
昌之さんとのなれそめを、詠子さんは次のように思い返す。
「国家公務員は兼業が禁止されているので、法務局勤務になったときに司法書士登録を一度抹消しました。しかも仕事が忙しくて、婚活イベントの際はプロフィールを送る暇もなくて(笑)。
実生活の中で司法書士に出会うことなんてまずありません。それなのに、たまたま婚活イベントで出会った人が、司法書士の資格を持って司法書士として働いている人。びっくりですよね。ものすごく縁を感じました」
現実の男性との恋愛よりも、自立した女性として独り立ちする生き方を選択してきた詠子さん。プライベートでは『テニスの王子様』に夢中で、男装コスプレをするほど趣味に忙しく、それまで3次元の恋愛には縁がなかった。
「自分もパートナーが欲しいな」と思ったのは、妹さんの結婚がきっかけだ。相手がとても優しい男性だったので、「結婚もいいな」と意識するように。そして、たまたま参加した商工会議所のオンライン婚活イベントで、昌之さんに出会ったのだ。
柏原 詠子 氏
1977年、熊本県植木町生まれ。九州大学法学部卒業。2006年、司法書士試験合格。上京し司法書士事務所、法律事務所勤務、2019年、さいたま地方法務局(専門職採用)に勤務。2022年3月、同法務局退職、2022年4月、かしのき事務所に合流。
両親は反対。でも夫婦で事務所をやりたい
出会ってわずか5ヵ月で結婚した昌之さんと詠子さん。ともに40代半ば、それまでのキャリアもしっかりとある中での結婚。夫婦で事務所を持つまでの決断は、決して簡単ではなかった。何しろ詠子さんは法務局に務める国家公務員、しかも幹部候補生。将来を嘱望される立場だ。
「私(昌之さん)の両親は『なんで国家公務員なのにやめさせるんだ』と大反対でした。詠子のご両親も『せっかく入ったのに』と、とても残念がっていました。常識的な意見ですよね。彼女にとってもかなり難しい選択だったと思います。
私は当時、司法書士会で理事をしていたので、『彼女が法務局で上の役職に就けば、何か一緒にできることがあるんじゃないか』。そんなイメージを持つ一方で、『一緒に事務所をやれば絶対におもしろいだろうな』と思っていました。何しろ私は相続や成年後見という成長マーケットにいますから、絶対的に仕事があるという確証がありました。収入も公務員より稼げるかもしれないし、定年がない。メリットはたくさんあります。きっと一緒にやったら楽しいな、と。あとは彼女と相談して決めました」
「私もだいぶ迷いましたが、最終的には2人で決めること。何より彼の思いに突き動かされました」と、詠子さんは話す。
こうして結婚して1年、2022年3月に詠子さんは法務局を退職。4月から昌之さんの事務所に合流した。昌之さんが営業、詠子さんが申請書作成など事務処理を担当するようになると、売上は一気に伸びていった。
高齢者周りと商業登記の2本柱で法人化
昌之さんは、詠子さんが合流すると夫婦のシナジー効果で事務所が大きく変わったと話している。
「私はおじいちゃん、おばあちゃん子。それもあって成年後見の人手不足や相続などの高齢社会を支える仕事を大切にしています。だから、開業当初から100人の成年被後見人を受け入れられる事務所にしたいという思いを、ずっと持っていました。彼女もおじいちゃん、おばあちゃんが大好き。まずは、ビジョンの共有ができたんです。何より彼女が入ってくれたおかげで、2023年9月には法人化できました」
このとき法人化を見据えて探した事務所が、現在の民家だ。引っ越してすぐスタッフを採用し、以降、半年に1名ずつのペースで採用し、現在はスタッフ5名(行政書士2名含む)、司法書士1名(業務委託で週3~4日)が増えた。すでに満席状態で、次の場所を検討する時期になっている。
「次も田舎で広々とした家を借りたいですね。これから合格する人にぜひ伝えたいのは、場所は関係ないということ。私たちが最初に住んだマンションは埼玉県川口市、事務所はさいたま市大宮区大成町という状態でスタートしましたが、自宅周辺でも事務所周辺でも仕事が生まれたことはありません。逆にこちらに来てから、依頼が多過ぎて広告を止めている状態です。仕事は人脈からくる。どこにいても関係ありません」
一方、詠子さんは都内の事務所で商業登記だけでなく、合併や会社分割、組織再編登記も経験してきた。
「私の強みは法人系で、彼の得意分野は高齢者周りの民事法務系。2本柱で仕事は増えていて、法人からの依頼も増えてきました。商業登記は期限が決まっているものが多いので、迅速に正確に処理していくことを意識しています。丁寧さを心がけていくと、依頼主から引き続き依頼をいただけるんです」
企業法務の顧問案件も徐々に増えつつあり、法人化して実現した業務の1つだ。昌之さんは、法人化した先輩から、法人化すると客層が変わると言われていたという。
「成年後見も、法人化すれば組織で受けられます。100人の後見人になるビジョンも、法人化で初めて実現可能になります。法人化した理由の1つは、まさにそこにありました。このスキームを後輩たちに真似してもらって、後見人不足を解消できる起爆剤になればと思っています」
「夫婦の事務所」で「尖る」
現在広告を止めている状態だと話す昌之さんだが、営業活動の一環で詠子さん合流当初は広告を打ち、Webサイトを一生懸命に作り込んできた。
「Webサイトからの依頼は半年に1本程度で、紹介がほとんどです。Webサイトやネット広告では資金力がある大手が強いし、同じ土俵で勝負するのは間違っています。ただし、そこでもうちが勝てるやり方がある。それは『尖る』ことです。その尖り方が、うちの場合は『夫婦を打ち出す』ことでした」
アピールポイントとして顧客数や実績、学歴などでお客様は事務所を選ばないと、昌之さんは分析する。大事なのは第一印象。パッと見て『ああ、ここなら何でもしゃべれそう。こんなこと聞いてもよさそう』と思わせることが大切だという。
「うちはそこを意識的にやっています。夫婦を打ち出すのもその一環です。夫婦でやっているから何なの、どう受注につながっていくのか、と言う方もいますが、これがものすごい強みなんです。実際に強みになるんじゃないかと思って実行したら、数字がどんどん上がっていきました。特に相続関係は夫婦を打ち出すと強い。顔出しは大事です」
Webサイトやパンフレットは緑色の温かみのあるデザインにして、安心して相談できる雰囲気を演出。夫婦の顔写真も事務所風景もプロに依頼して撮影。デザイン、キャラクターに至るまで、ブランディングをしっかりとしている。
「独立直後から小規模事業者持続化補助金を申請して3回採択されました。そのたびにプロのデザイナーにお願いして、Webサイトの作り込みはもちろん、キャラクターやLINEスタンプ作りもしています。
Webサイトやパンフレットのテーマは、電話をかけやすい雰囲気。士業事務所でありながらハードルの低さを常に意識して、色合いやデザインを考えてもらいます。名刺は選挙ポスターをイメージして、思いっきり笑顔の私たちの写真を使いました。とりあえず記憶に残ること。それやはり笑顔でしょう!ということで笑顔のイメージを打ち出しました。こんな士業の名刺はなかなかないんじゃないですか」
一方、詠子さんは「私はどちらかというと引っ込み思案タイプ」だという。
「あまり前に出たくないのですが、彼が前に出てくれるぶんにはいいかなと。隣にいる感じです。何よりかしのき事務所を、何かあったときに気軽に相談できる『かかりつけの法律の専門家』として見てもらいたいですね。
何かことが起きる前に、自分がゆっくり考えられる余裕があるときに、些細なことでも何でも相談に乗ります。そんな敷居の低い事務所にしたいんです。些細なことでも公式LINEで気軽にご連絡いただきたいですね」
公式LINE登録者はすでに300名以上。ふとしたときに覚えてくれていて連絡が来るとうれしいと、詠子さんは笑顔を見せる。
「実際に遺言書を書く」5週連続の遺言セミナー
かしのき事務所は、今後も高齢者対象の相続、成年後見と商業登記の2本柱で走っていく。さらに行政書士として許認可も伸ばしつつ、法人としていくつかの団体運営にも関わっている。
「団体の1つに『花の丘相続・遺言サポート』という士業が集まった団体があって、さいたま市の生涯学習総合センターなどでセミナー活動をしています。メンバーは司法書士、行政書士、元裁判所書記官、税理士、ケアマネージャーなど、多様な人が集まって、1つの案件を多角的に解決しています。先日は、さいたま市民大学で約50人を集めて、5週連続で遺言セミナーを開催しました。」
この5週連続の遺言セミナーは行政の主催。受講料は5回2,500円で実施している。
「普通の遺言セミナーはほぼ2時間で終わり。それでは遺言書は書けません。一方、5週連続セミナーでは実際書くところまでやります。
初回は『なぜ遺言を書かなければならないのか』がテーマで、宿題で『戸籍を集めてきてください』。次に戸籍を持ってきたら『それをもとに家系図を作りましょう』。次の宿題は『財産を書き出してください』。その次は財産と家系図から、ざっくりの相続税を出します。その次は『遺言書を書くときに気をつけるべき具体的な話』をして、5週目の1歩前で『実際に遺言書を書いてきてください』を宿題にして、最後の週にチェックします。5週目は遺言書についてと、亡くなったあとの「遺言執行の話」など。遺言を縦軸にして、いろいろなことを網羅してこちらでサポートします。その流れに乗って出された宿題を全部やれば、遺言書が書けてしまうという仕掛けなんです」
遺言作成に15万~20万円かかることが心のハードルになって二の足を踏み、トラブルになるのは社会的マイナスだと、昌之さんは指摘する。
「だからこそいますぐやったほうがいい。もし不安があれば、うちの公式LINEに遺言書を写真で送ってくれれば、チェックします」
初めて知った子育ての現実
2023年9月の法人化からわずか半年後の2024年3月。2人の生活が大きく変わった。特別養子縁組みによって、2歳半の子どもの父親と母親になったのである。
「ともに40代ですが、子どもが欲しいと思って不妊治療をしたのですが、なかなか子どもに恵まれなくて。そこで必要となる研修を2人で受講して、2023年8月に里親登録をしました。通常は登録してから1年ほどかかるそうですが、9月に入るとすぐに児童相談所から『会いに来ませんか』と連絡がありました。2人とも司法書士という国家資格を持って仕事をしている、基本的に家にいる、定年のない職業であることから安心だと判断されたのでしょう。
11月に乳児院に会いに行って、そこから週2~3回、会いに行きました。法人化もあって、仕事が順調過ぎてどんどん増える。2人で毎日夜中まで仕事して、朝8時に起きると9時にスタッフが出社して来るような生活です。そこに2024年3月から子どもを迎えました。盆と正月がいっぺんに来た感じです。子育ては楽しいことばかりで、本当にありがたいしうれしい。でも正直なところ、2人とも子育ては初めてで、本当の大変さを知らなかったと痛感しています」
スタッフには子育て経験者が多いので、ときには教わりながら子育てできるのもありがたい。知人には保育士資格を持っていてベビーシッターをお願いできる人もいる。
「環境的には恵まれていると思いますね」
子育ては初めてのことばかりで驚き、喜び、不安、大変さの連続。一方で仕事は順調過ぎるほど順調に増えている。
ビジョンを共有するスタッフ
事務所の今後について語るとき、避けて通れないのが士業の仕事がAIに取って代わられるのではないかという疑念だ。昌之さんはどのように考えているのだろうか。
「公式LINEにはAIのチャットボットがあります。これを導入すれば自動化でき、どんどん返信してくれます。でも、私たちは夜な夜なお客様と何十件も公式LINEでやり取りをしているんです。過去、一度チャットボットでやってみようと思ったことがありました」
チャットボットは『相続ですか』『法人ですか』からコンテンツを選択すると、相談項目に則した必要書類がパッと出て、『これを何日までに集めてください』と返信する。『面談したい』を選ぶと、パッと場所と時間が出てくる。このチャットボットの活用を検討したが、断念したという。
「人が書いているものとの温度差、体温があるかないかが全然違います。相談者が入力するとバっと長文で自動応答する。ベルトコンベアに乗っけられて、あたたかい対応をされていないと感じられてしまう。内容的には自分で書いた文章もAIも内容はほとんど変わりません。それなのに、何か得体のしれなさを感じるんです」
何十件もやりとりするのには時間がかかる。しかし2人は自分たちで公式LINEに毎日返信することを選択した。
一方で仕事が増えれば増えるほど、2人ができる作業量がボトルネックになってしまう。
「法人化しましたので、私たちの理念を理解してくれているスタッフに対応してもらえるスキームを作っています。そうしなければ、この先の成長は見込めません。だから、どんどんスタッフに仕事を移行していきたいと考えています」
今後を見据えて採用にも力を入れていくと話す昌之さん。あくまで資格より性格第一主義。仲間として一緒にやっていける人材を採用では重視する。
「今いるスタッフにも金融機関勤務経験者がいます。それぞれのキャリアが私たちの財産になっているんです。受験勉強中の方も大歓迎です。採用面接の日に子どもが熱を出したら、ドタキャンもOK。子育てするようになって、子育て中の方は本当に大変だと改めて思うようになりました。そうした方たちにとって働きやすい職場の1つになることも、大事だなと思っています」
子育てをしている人にあたたかい目線を送れるようになったことも、2人が親になった大きな変化といえる。
あきらめなければ必ず実を結ぶ司法書士試験
経営に時間を割くより自己研鑽に時間を充てたいタイプの詠子さん。自分が独立開業して顧客開拓や営業をするよりも、自分の専門性を磨きたいという意識を持っていたという。そのような自らの経験から、司法書士試験はあきらめなければ必ず実を結ぶ試験だと、受験生にエールを送る。
「私は5回も司法書士試験を受けたので、途中何回もくじけそうになったことがあります。でもそこは『どうしてもこの仕事をしたい』『これしかないんだ』と、自分を鼓舞して腹落ちさせました。自分の決めたことをやり抜きたいという意思をしっかりと持つこと。勉強できる環境を今与えられていることに、感謝の気持ちを持って勉強すること。この2つをきちんと持っておくことが大事だと思います。
司法書士は合格率では無謀な試験に見えますが、きちんと勉強してきちんと受験を続ける方を総体とした場合の合格率は、それほど低くないと思えるんです」
プライベートでは「さすがに子どもができてからは、趣味の時間はあまりとれていない」と話す詠子さん。「子どもがやりたいといえば、一緒にコスプレしてみたいですよね」と思いをはせる。
一方、昌之さんは、AIの時代であってもブレない大切な思いを語る。
「士業の仕事がAIに取って代わられる部分は、間違いなくあります。それは否定できませんが、私たちが打ち出しているブランディングは、まさにAIとは真逆。ハートフルな方向です。それはいくらAIを使っても真似できません。高齢者周りの仕事は、AIにはできません。寄り添って、半分雑談をして、それが信頼関係を生む世界です。だから仕事はたくさんあります。司法書士試験に合格したら、安心してこの世界に入ってきてください」
奇跡的な出会いから夫婦で事務所を始め、さらに父と母になった昌之さんと詠子さん。道なき道を模索しながら切り開いていく2人。この先もさらに活躍していくことだろう。
[『TACNEWS』日本のプロフェッショナル|2024年9月 ]