日本のプロフェッショナル 日本の司法書士|2024年4月号

大久保 博史(おおくぼ ひろし)氏
Profile

大久保 博史(おおくぼ ひろし)氏

司法書士法人・行政書士法人つばさ総合事務所
所長 司法書士 行政書士

1970年、千葉市生まれ。1994年、中央大学法学部卒業。1995年、司法書士試験合格。同年、神保町の司法書士事務所に入所、1997年1月、司法書士登録して共同事務所に参画。2000年3月、千葉駅近くに事務所を移転し、千葉市での司法書士業務を本格的に開始。2007年、法人化し、事務所も移転して、司法書士法人つばさ総合事務所を設立。2023年、行政書士試験合格、行政書士法人つばさ総合事務所を設立。

司法書士登録25年目にして行政書士にチャレンジし合格。
今後は司法書士と行政書士、さらなる資格取得で夢に挑戦します。

 千葉駅近くで司法書士法人・行政書士法人つばさ総合事務所を運営している司法書士・行政書士の大久保博史氏。1997年に司法書士登録をし、25年が経った2023年に行政書士試験に合格して行政書士法人を設立している。そんな大久保氏が司法書士をめざした経緯から受験時代、勤務時代、独立開業の経緯と今日に至るエピソード、そしてなぜ行政書士にチャレンジしたのかについて、詳しくうかがった。

3回目の挑戦で司法書士試験に合格

 現在、JR千葉駅近くで事務所を構える司法書士・行政書士の大久保博史氏。当初から地元である千葉市で独立開業することを決めて、受験勉強に臨んでいたという。そんな大久保氏がどのような経緯を経て司法書士資格を取得したのか見ていきたい。
 大久保氏は高校卒業後、1年間の浪人生活を経て1990年に中央大学法学部に進学した。

「浪人して大学に入ったのだから、学生時代の前半は遊んで、後半にしっかり勉強しようと決めていました。ですから、1~2年のときは、遊び、サークル、アルバイトに明け暮れていましたね。あまりに勉強をサボりすぎて、1年のときは語学4つすべて落とし、年間36単位のうち16単位しか取得できませんでしたが、このときはまだ1年ということで、何とも思っていませんでしたね」

 とはいえ大学時代の後半は勉強中心という予定を立てていた大久保氏。大学2年の終わりになり、何の勉強をするのか決める時期が迫ってきたときに、せっかく中央大学に通っているのだから国家資格を取得しようと考えたようだ。

「当時の中央大学法学部では、1年のときはクラスの半数以上が司法試験をめざしていました。ただ、司法試験は難しくて合格まで長くかかりそうだし、なんとなく自分には向かないなと思ったんです。自分としては、短期集中で在学中に一発合格できる資格がいいと考えていました。そんな中、書店で資格ガイドを眺めていて目についたのが司法書士と不動産鑑定士でした。ただ、不動産鑑定士は自分にとってハードルが高く感じたので、学歴に関係なく受験できて、一発合格もねらえそうな司法書士をめざそうと決めました」

 大久保氏の学生時代は不動産と株価が高騰した、いわゆるバブル経済の名残がある時期だった。そのような時代背景もあり、大久保氏は自然と不動産に関連する資格に興味を持ったのだという。

「大学3年の春から司法書士の受験勉強を始めました。最初は勉強内容も、勉強すること自体も新鮮で楽しかったのですが、段々と内容が高度になるにつれてついていけなくなりました。私の大学3年次は、1〜2年で落とした単位も取らなければならず、語学は1年次の授業に出るなど、フルに大学の授業もこなす必要がありました。もちろんアルバイトや遊びの誘いも断りません。そんな受験勉強に専念できていない状態だったので、大学4年で初めて受けた本試験も午前中で不合格を確信するほどの出来で。一発合格の夢は叶いませんでした」

 司法書士をめざして勉強を始めた大久保氏だが、なかなか順調に進めることができなかった。大学はなんとか無事に4年間で卒業したものの、卒業した年に受けた2回目の本試験も、前年より得点できたとはいえ不合格。ここで大久保氏はようやく本気になった。

「2回目の受験で合格していく仲間や、新卒で就職して社会人になった仲間と比べて、自分はとても中途半端であることを認識し、かなりの焦りを感じました。そこから意識が変わり、あれほど勉強したことはないというくらい勉強しました。また、2回目の本試験までは学生生活の延長で完全に親のすねかじりでの受験でした。このままではまずいと思い、親に『来年合格するから、1年間の費用を貸してほしい』と頼み、かかった受講料や生活費などをお金の貸し借りノートにつけていったのです」

 退路を断って勉強を続けた大久保氏は、1995年に受けた3回目の本試験で見事合格を果たした。大学卒業2年目、25歳のときだった。

「直接所長とやり取りしながら仕事を学びたい」

 司法書士受験中から明確に開業後のイメージをしていた大久保氏。開業場所は地元である千葉市と決めていた。

「生まれ育った地元がJR内房線の浜野駅で、千葉駅から10~15分の距離です。子どもの頃から東京都内や船橋、津田沼にもよく行っていましたが、一番身近な都会は千葉駅です。地元に根差して、地元から一番近い都会の千葉駅から徒歩圏内に事務所を構えると決めていました」

 大久保氏の受験仲間には、2回目の試験で合格して司法書士事務所に勤務しているものも大勢いた。受験勉強中も仲間からの情報は大久保氏に届いていたという。

「仕事の愚痴や人間関係の苦労話を聞かされて、何よりも事務所選びが大事だと言われました。また事務所によっては、独立するときに同じ地域で開業しないよう、入所時に一筆取るところもあると聞きました。千葉市で開業を考えていた私は、その話を聞いて、千葉市以外の場所で勤務しようと決めました。せっかくなので都内で働いてみたいという気持ちもありましたね。
 事務所選びに際して規模や待遇は重視しませんでした。唯一のこだわりは、所長と直接やり取りしながら仕事ができる事務所に就職し、実務や経営のスキルを間近で学び取りたいという点です」

 当時はインターネットで仕事を探せる時代ではなかったため、大久保氏は司法書士会に行って求人票から事務所名や電話番号などを書き写したという。何件か電話で問い合わせた中で、東京の神保町にある事務所で働くことになった。

「電話をしたら直接所長が出て、今から来られるかと言われました。面接にうかがうと、その場で採用してもらいましたね。私の仕事人生で大きな影響を受けた方で、今でも司法書士で師と呼べるのはその所長だけです」

 大久保氏が勤務した司法書士事務所は所長以下4名の合同事務所で、全員が有資格者。業務は不動産登記と商業登記のみだった。大久保氏は親から借りたお金を早く返済するため、最終合格発表を待たずに1995年10月から実務に就いた。

「私以外の皆さんは社会人経験と司法書士経験が豊富で、すごく仕事ができてまぶしく見えました。それにひきかえ自分だけ何も役に立てていなく、本当に仕事ができな過ぎて、自己嫌悪に陥る日々でした。早く役に立てるようになりたいと思いながら、必死に仕事をしていましたが、半年以上はまったく自信を持てない状態が続きました」

 しかし入所から1年が経った頃、事務所内独立をしてみないかと所長から声をかけられた。1997年1月に司法書士登録をし、大久保氏は司法書士として大きな一歩を踏み出した。

「事務所内独立ということで事務所からの給与がなくなったため、所長の仕事を手伝わせてもらいながら、飛び込み営業もしました。そして少しずつ千葉エリアの顧客開拓を進めました。千葉市に事務所を移転する際には、都内のクライアントは合同事務所にいた後輩にすべて引き継ぎました」

 こうして大久保氏は2000年3月に千葉駅近くの事務所に移り、自身の個人事務所を本格的にスタートした。

千葉市で順風満帆の船出

 合同事務所時代から千葉エリアでクライアントを開拓していた大久保氏は、最低限の売上がある状況で個人事務所のスタートを切ることができた。そして千葉に事務所を構えたことは千葉県内のクライアントからも歓迎され、その後の業績が伸びる一因にもなった。

「千葉市で事務所を開くときに、有資格者を1名採用しました。初めての補助者です。採用面接は、千葉駅で待ち合わせをして寿司屋で行いました。そのあと、まだ机も椅子も何もない借りたての15坪の事務所に案内しました。『ここで始めるから一緒にやろう』と話をして、入所してもらいました。実はそのとき出逢ったのが、今の副所長で法人社員の遊佐洋助です」

 千葉市で事務所を始める準備は計画的に行っていたため、事務所を開いた3ヵ月後には2人目の有資格者を、1年半後には3人目の有資格者を採用した。大久保氏が30歳のときには、有資格者4名の事務所になり、順風満帆とも言える船出をした。

「当時の業務は不動産登記一本です。効率性を重視して不動産登記に絞りました。とにかく不動産登記なら大久保事務所にと売り込んだのです。相続の仕事すら非効率だと感じて避けていた状況でした」

 順調な滑り出しは、そこから約6年間続いた。

「1997年1月に司法書士登録をして共同事務所に参画し、2000年3月に千葉市に事務所を移して、大久保事務所として本格的な展開を始めました。しかし2006年頃に、初めて売上の激減を経験しました。登録以来ずっと右肩上がりで来ていたので増収し続けることが当たり前だと思っていましたが、10年目での初めての減収が、私と事務所の大きな転機になりました」

 実は大久保氏は受験時代から、自身の開業後の事務所イメージを具体的に描いていた。それは事務所に大久保氏と有資格者が1名、補助者が1名という3名体制のビジョンだったという。

「受験時代に描いたイメージは、千葉市に事務所を構えて1年目に実現しました。このときに、次の新たなビジョンを描けばよかったのでしょう。ただ、当時はとにかく仕事を増やすこと、仕事を処理することなど、目先のことだけに目が行ってしまい、将来のビジョンなどはまったく考えなかったんです。事実として、順調に売上は伸びて、有資格者を何人も雇い、私自身も実務で走り回っていました。もちろん不安はありましたが、結果が出ていたこともあり、業績が悪化するということに目を向けなかった自分がいました」

 当時の大久保氏と事務所のメンバーは20代半ばから30代半ば。全員が若く勢いがあり、いわばベンチャー企業のような雰囲気で毎日遅くまで仕事をしていた。その勢いが陰ったのが2006年頃だったのだ。

売上の激減から、法人化を決意

 順調な推移から、売上の激減へ。その理由を大久保氏は次のように語っている。

「私が先のビジョンを描いていなかったことが最大の要因です。具体的な要因はクライアントが偏っていたことです。不動産仲介業者と金融機関が中心で、不動産の事業会社、建売業者や買取再販業者はいませんでした。例えば、仲介業者から建売業者が土地を仕入れていくと、司法書士を選定するのは建売業者になります。さらに、建売業者は金融機関に不動産を購入する買主を紹介します。すると、金融機関からの抵当権設定登記も建売業者が紹介した司法書士が担当します。つまり建売業者の景気がいいと、結果的にうちに不動産登記が回ってくる件数が減ってしまうという状態だったのです」

 売上が激減して、大久保氏は改めて状況を分析したところ、クライアント構成の課題が浮き彫りになった。さらに採用面でも有資格者の採用が困難になっていた。

「当時、債務整理などの簡裁業務(簡裁訴訟代理等関係業務)はやっていませんでした。その頃ちょうど司法書士に新たに簡裁代理権が与えられ、簡裁業務をやってみたいと考える司法書士合格者が増えていた中で、取り扱っている業務が登記だけといううちの事務所は、合格者にとって魅力がなかったようです。結局、有資格者の採用を断念して、初めて非資格者を採用しました」

 業績の悪化と前後して、大久保氏は個人事務所の限界も感じていた。個人事業主でやっていくのか、法人化をするのか。この判断に悩んでいる士業は今も多いだろう。当時の大久保氏はどのようなことを考えたのだろうか。

「今後どうしていきたいのか自分に問い続けた結果、シンプルに考えて判断することにしました。最終的に仕事を“1人だけ”でやるのか、仲間と一緒に“複数人”でやるのかで判断することにしたんです。もし“複数人”とした場合は、それが2名でも10名でも、1人ではないという意味で同じであると考えました。そして自分が選んだ答えは“複数人”のほうでした。
 法人化することによって、大久保個人と組織を切り離すことができます。大久保個人ではなく法人のためにがんばろう、みんなのためにがんばろうと、方向性や意識のベクトルも合わせやすくなる。これが法人化を決意した理由です」

 減収や採用の不調などに見舞われたとき、大久保氏の脳裏には勤務時代の所長の言葉がよみがえってきたという。

「勤務時代、生き方や事務所運営について所長とじっくり話す機会がたくさんありました。ただ、25歳の私には所長の言葉が理解できず、弱音に聞こえることもありましたし、せっかくの貴重なお話も、なんのことやら意味不明で私にはあまり響きませんでした。ところがそんな言葉の数々が、厳しい逆境に追い込まれて心が折れかけ、あきらめそうになったときに、ふっと浮かんできたんです。10年前に聞いた言葉に支えられるという不思議な体験をしましたね。きっと所長も悩むことがあって、そのときに考えたことや苦しんだことを伝えてくれたのでしょう。自分が行き詰まって初めて、勤務時代は理解できなかった言葉の意味がわかりました。これが本当に“生きた言葉”だと思いましたね。私も所長のように時間を超える生きた言葉を伝えられる人になりたいという目標もできました」

相続をはじめ業務の幅を広げる

 こうして大久保司法書士事務所を法人化し、司法書士法人つばさ総合事務所となったのは2007年のこと。そこからは業務内容、採用活動などを見直しながら法人として歩み始めた。

「法人化した当時は、私を入れて7名体制でした。それが今では20名体制になり、司法書士の有資格者は8名です。法人化前は全員男性でしたが、副所長の遊佐が女性職員の採用を進め、現在では男性7名、女性13名となりました」

 法人化することが採用面ではプラスに働いてきたようだ。業務ではどのような展開を行ったのだろうか。

「2011年から相続業務を本格的に始めました。これは前々から、紹介だけではなく、顧客から直接依頼を受けて川上に立つ仕事がしたいと考えていたことを実行したものです。それまでは金融機関や不動産仲介業者が間に入っての業務でした。相続業務については2009年頃から注目して、手がけたいと考えていましたが、事務所内に担い手がいませんでした。それが2011年になって、社歴が5~6年の相続業務に興味がある所員がいましたので、部門長としてやってみないかと打診したんです。ぜひやりたいと快諾してくれて、2011年の夏から相続部門を立ち上げて、今では事務所で一番の部門にまで育っています」

 業務として、不動産登記と商業登記も柱として取り組んでいるが、徐々に発注元のバリエーションが多岐にわたるような取り組みを続けている。

「まず売上では、10%超のVIP顧客を作らないということを念頭に置いています。内部体制では、相続部門、不動産ハウスメーカー部門、金融機関法人部門の3チームに分かれています。中でも相続部門では、自前での集客から解決策の提案までしていく業務もあるので、他部門以上に顧客対応力が向上します。そして、その顧客対応力は不動産登記や商業登記でも活かせると思い、2023年8月からメンバーの3分の2を相続部門に関わらせて経験を積んでもらう体制にしました」

 また、大久保氏自身が行政書士資格を取得して、2023年6月には行政書士法人つばさ総合事務所を設立している。

「司法書士として相続に注力していく中で、周辺業務を扱っている行政書士に大きな可能性を感じました。まずは相続業務で司法書士とタッグを組んで進めていきます。また、国際業務や離婚業務に着目している行政書士有資格者もいますので、徐々に行政書士法人の業務を広げていきたいですね。ゆくゆくは許認可業務についても、商業登記のグループと一緒に取り組んでいければと考えています」

全員が夢を持ってチャレンジする組織

 事務所運営を進めていく中で、大久保氏は3つの視点からの評価を常に意識しているという。

「まず顧客や依頼者から『つばさっていいね』と言ってもらいたい。そして従業員や所内にいる一番身近な人からも『つばさっていいね』と言ってもらいたい。さらに同業者である司法書士からも『つばさっていいね』と言ってもらいたいのです。
 この3者からバランスよく評価してもらいたい。もしバランスが偏ると、どこかにしわ寄せが出ている状況だと捉えるようにしています。たとえ我々が順調に成長を続けていったとしても、同業者から『あの人たちの仕事のやり方はどうか』と苦言を呈されるような仕事の仕方はしたくないと考えています。この3つのバランスを常に意識しながら、仕事を進めています」

 これを実現するには、事務所メンバー全員のサービス力の向上が不可欠だ。大久保氏は、所員一人ひとりに夢や目標を持って仕事をすることを提案し続けている。そして大久保氏自らが、目標実現のため、率先して資格取得に挑戦しているのである。

「行政書士法人を設立するために行政書士の試験勉強から挑戦しましたが、実際には所員の中にすでに行政書士有資格者が数名いました。とはいえ法人を設立する際には、できれば大久保が参画していたほうがいいという意見があり、私とあと2名のメンバーで行政書士の勉強を始めたんです。2021年7月から始めて、4ヵ月後の11月に本試験を受けました。結果は合格点にあと1問足りずに不合格。司法書士だから受かるだろうと周りから言われていましたが、司法書士の受験をしたのは25年以上前のことです。その後1年間がんばって2022年の試験で無事合格でき、行政書士法人の設立につながりました」

 こうした資格取得の動きは今、事務所を挙げてのブームになっている。

「例えば、中小企業診断士、CFP®、AFP、行政書士、土地家屋調査士、相続アドバイザーなどに挑戦している所員がいます。ただ必ずしも資格の取得に限らず、全員が夢や目標を持って新たなことにチャレンジできる職場環境を作っていけるよう心がけています。
 その一環で、2023年2月から事務職向けに私が講師となって民法の勉強会を毎月2回実施してきました。行政書士の民法のテキストを教材に1年間実施しましたが、思いのほか、難しすぎて伝わっていなかったんです。行政書士の受験勉強をしている人になら伝わることが、伝わらなかった。また、うちの事務職にさえ伝えることができていないということは、一般の相談者にも伝わっていないのではないかという気づきもありました。このままだと苦手意識を持たれそうだったので、2024年は誰が聞いてもわかるくらいに民法をかみ砕いて講義を行うことにしました」

行政書士に続き、土地家屋調査士に挑戦

 スタッフ全員が夢や目標を持って資格取得などにチャレンジする。その動きは法人をポジティブな雰囲気と方向に導こうとしているようだ。そんな中、大久保氏はさらに新たな資格取得に挑戦している。

「現在、私とあと2名のメンバーで土地家屋調査士(以下、調査士)の勉強をしています。今私は53歳ですが、行政書士試験に挑戦したのは50歳からです。そして今、さらに調査士をめざす理由は、司法書士の周辺業務であることと、顧客からの要望が増えているからです。
 実は今までに3回、調査士業務への挑戦を考えました。最初は30代前半です。そのときは試験内容を見て計算や図面などが難しいと感じたのと、司法書士業務が多忙すぎたため見送りました。
 2回目は40歳過ぎ。このときは、調査士の内製化を検討しました。ある方から司法書士事務所内での独立を希望している調査士を紹介してもらい、面接まで進みました。ただ司法書士と調査士を兼業している先生に相談したところ、『司法書士の大久保さんには調査士の苦労がわからないだろうから、うまくいかないよ』とアドバイスされ、断念しました」

 そして現在が3回目の挑戦になる。

「資格取得からチャレンジする。建物だけではなく土地までしっかり実務を身につける。そして売上につなげていく。このようなステップを考える中で、ハードルが高くネックになるのは実務を身につける、特に土地の実務経験を積むことです。これをどう解決するか考え、20年以上のつき合いのある調査士に打ち明けて相談したところ、合格したら実務指導をしてくれるという確約をもらえました」

 こうして大久保氏は20年前からの夢を実現するため、現在10月の本試験をめざして調査士の勉強を行っている。
 それとは別に大久保氏は、2023年10月から家事調停委員に任命され、新たな挑戦をしている。

「調停とは、私人間での紛争を解決するために、裁判所(調停委員会)が仲介して、当事者間の合意を成立させるための手続きです。家事調停委員は当事者と一緒に紛争の実情に合致した解決案を考えるために、当事者双方の言い分を聞いて調停の手続きを進めていきます。法人とは別の新しい取り組みですが、できる限りがんばりたいと思います」

 新たなチャレンジにも前向きに取り組む大久保氏の姿は、法人内で夢にチャレンジするスタッフにとっての刺激になっていることだろう。

仕事人生が起承転結なら、自分はこれからが「転」

 50歳を過ぎてからも新しいチャレンジを続けている大久保氏だが、法人の今後についてはどのように考えているのだろうか。

「2023年に幹部メンバーと一緒に『一人ひとりをトータルサポートし、安心・満足の実現を追求します』というミッションを掲げました。併せて2030年に向けたビジョンも作りました。2030年には司法書士法人、行政書士法人、土地家屋調査士法人の3法人体制で千葉県内4拠点、50名体制を想定しています。
 実は個人的には売上や規模にはそれほどこだわっていません。一番こだわっているのは、縁あってつばさと関わった顧客に対して期待を超えるサービスが提供できているのか、所員に対して夢や目標を実現できる場が提供できているのかという点です」

 数年前まで、仕事人生を起承転結に例えたなら、自分はこれから「結」に進むのだと考えていたという大久保氏。それが幹部メンバーとの打ち合わせを進めるうちに考えが変わり、まだ「承」から「転」に移る段階だと再認識したという。その思いが、資格取得や新たなチャレンジを積極的に行う大久保氏の姿に重なっているようだ。
 最後に、資格取得をめざす読者に向けてアドバイスをいただいた。

「国家資格は、取得できるときに取得しておくと本当によいものです。私は25歳で合格して20代、30代、40代と司法書士としてがんばってやってきましたが、一方で、同じ年に大学3年生で合格した知人は、新卒では上場企業に就職して、40代で会社の幹部にまで上り詰めてから50歳手前で退社し、司法書士として独立開業しました。彼とは合格後からずっとつき合いが続いていたので、司法書士の世界に戻ってきたときには『お帰りなさい』と伝えました。資格にはいろいろな使い方があるし、未来にわたって道を開く鍵になるという一例だと思います。
 確かに受験勉強は大変だと思います。合格するのは簡単なことではありません。でも取得すれば確実にその先が開けてきます。チャレンジする価値は十分にありますから、皆さんもぜひがんばってください」


[『TACNEWS』日本の司法書士|2024年4月号]

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