日本のプロフェッショナル 日本の弁護士|2020年4月号
髙橋 裕樹氏
アトム市川船橋法律事務所弁護士法人
代表弁護士
髙橋 裕樹(たかはし ゆうき)氏
1979年、岩手県盛岡市生まれ。2001年3月、千葉大学法経学部法学科卒。2006年、司法試験合格。2008年9月、弁護士登録。6年間の法律事務所勤務を経て、2015年4月1日、千葉県市川市にて市川船橋法律事務所を開業。2017年、法人化してアトム市川船橋法律事務所弁護士法人に名称変更するとともに千葉支部を開設。
0.1%の刑事事件無罪判決を勝ち取るために。弁護士としての法廷活動に注力しています。
「日本の刑事裁判の有罪率は99.9%」という数字を聞いたことがある読者も多いのではないだろうか。そんな中、裁判員裁判における主任弁護士として4連勝を遂げたのが千葉県にあるアトム市川船橋法律事務所弁護士法人の代表弁護士・髙橋裕樹氏だ。若々しい風貌に歯切れの良い話し方はビジネスエリートを思わせるが、「自分が一番やりがいを感じるのは法廷活動。刑事事件がとにかく好きなんです」と笑顔で話す。そんな髙橋氏はどのような経緯で弁護士をめざしたのか、なぜ刑事事件に魅了されたのか。「戦う弁護士」の熱い思いをうかがった。
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合格率2%未満の年に、司法試験合格
「小学校の頃は、先生に医者になりなさいと言われていました」
そう語り始めた弁護士の髙橋裕樹氏は、岩手県盛岡市に生まれた。「医者になるんだ」と素直に思い込んでいた髙橋少年は、中学校に入学し思春期に入ると、ある変化を迎えた。
「歌手の森高千里さんの大ファンになって、どうすれば彼女に近づくことができるのか真剣に考えました。田舎の中学生が考えて出した答えは『作曲家になること』でした。子供の頃からピアノを習っていたので、音楽大学に進んで作曲家になれば会えるのではと考えたのです。高校に入学し文系進学コースを選択したところ、親に『どこの大学に行くんだ』と聞かれました。そこで『音楽大学に行く』と話したら親戚中から猛反対に遭い、『音楽は趣味でやります』となってしまいました。この時点からは理系進学コースへの進路変更もできず、それなら文系学部のトップをめざそうと考えた結果が法学部への進学でした。私の場合は、弁護士をめざして法学部に進んだわけではなく、法学部に進んだことが弁護士につながったのです」
大学受験を経て、千葉大学法経学部法学科へ進学した髙橋氏。その後、ある事件が起きた。借金をした身内の男性が、返済したにも関わらず田舎に住みづらくなって、体調を崩して亡くなってしまったのだ。
「あとから聞いたところ、その男性には大変な額の過払金がありました。過払金は必要な手続きをすれば戻ってくることは今でこそよく知られています。しかし、当時はあまり知られておらず、その男性は債権者に言われるがまま返済していたようです。本来なら過払金を清算してとっくに普通の生活ができていたはずなのに、世の中から多額の借金を抱えたことに対して後ろ指をさされている気持ちになり体調を崩してしまった。この差は何だろうと考えたとき、『法律を知っているかどうかなんだ』と思ったのです。法律を知っていれば助けられた。そう考えた瞬間、身内にひとりでも弁護士がいたほうがいいだろうという気持ちになりました」
これをきっかけに、弁護士になろうという決意が固まったのは大学2年生のときだった。しかし、なかなか本気で受験勉強をする気になれないまま、大学卒業の時期を迎えた。
卒業に際して「司法試験を受ける」と周囲に公言したが、それでもまだ気持ちが乗りきらずに、アルバイト中心の受験勉強だった。「受験勉強を中心にしなければダメだ」と感じて本腰を入れ始めた頃には、大学を卒業して2年が経っていた。
「この2年間は私の暗黒時代です。社会的地位がなくて当然受験もダメ。実家にも帰りづらかった」
こうして司法試験に集中し始めたのは24歳のとき。Wセミナー津田沼校に通い、27歳で司法試験に合格した。
「真剣に勉強を始めてから受けたのが4回。暗黒時代にとりあえず受けたのが2回。受験回数は合計6回ですね」
合格当時は試験制度改革の過渡期で旧司法試験に駆け込み受験する人が多く、その年は3万人超の受験者がいた。その中で合格者はわずか549人。実に合格率1.81%の年だった。「確率論でいえば本当に奇跡としか言いようがなかった」と話すように、髙橋氏はまさに逆境の中で司法試験合格を勝ち取ったのである。
司法修習で刑事事件にめざめる
「身近な人を助けたくて法律家をめざしたので、実務では主に民事事件を担当する弁護士になりたいと思っていました」と語るように、髙橋氏は司法試験に合格して司法修習に入るまでは、ずっと民事事件が念頭にあった。
ところが、司法修習で出会った先輩弁護士が法廷で戦う姿を見たとき、目から鱗の体験をする。「なんてすばらしい仕事なんだろう。自分が求めるものは法廷にあるんだ」と確信したのだ。「テレビや映画でよく目にする、弁護士が法廷で戦う姿のほとんどが刑事事件裁判です。私はその法廷で戦う弁護士の姿がカッコいいなあと思ったのです。ちょうど裁判員裁判制度が始まり、タイミング的にも『法廷内での弁護活動をアクティブにやっていく弁護士になりたい』という思いが強くなって、刑事事件に軸足を置くようになりました」
学生時代から千葉県弁護士会でアルバイトをしていたので、髙橋氏は合格した時点で弁護士会の約7割の人とは顔見知りだった。先輩たちは、弟分のようなキャラクターの髙橋氏をかわいがってくれた。
「弁護士会のアルバイトが縁で、弁護士登録も千葉県になりました。民事事件で相手側の弁護士が知っている方のときは、全く知らない方よりもずっと話しやすいですし、単に戦うだけではなく落としどころを見つけての協議もしやすいというメリットがありますね。司法修習後は、『うちに来ないか』と誘ってくださった先輩の弁護士事務所に入りました」
入所した事務所は、千葉県でも2、3番手の大きな事務所だった。企業法務の大きな顧問先があり、交通事故、債権回収、会社関係、離婚、相続といった一般的な民事事件も数多く取り扱っていた。
「その中で、私だけは刑事事件を特に多く担当していました。民事事件が中心の事務所の中では浮いている存在でしたね。でも私は『事務所に弁護士が10数名いたらひとりぐらい刑事事件を中心に担当するヤツがいてもいい』と思っていました。おかげで、千葉県で起きた注目事件を担当することができたのです」
そのとき受任した事件は、2007年に千葉県市川市で起きた英国人女性リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件の被疑者(当時)である、市橋達也の弁護人だ。事件後逃亡した市橋は指名手配され、約2年半後に逮捕・起訴されて千葉県弁護士会に弁護人の依頼が来たのである。偶然にも市橋は千葉大学出身で髙橋氏と同い年だったので、「この事件の依頼があれば絶対に自分が担当したい」と考えていた。そこで弁護士会内でチームを組んで弁護活動を行うことになったとき、「私も入れてください」と自ら志願して参加させてもらった。
市橋の弁護をすることになると「なんであんな人の弁護をするんだ」と、世間からの風当たりが強くなった。事務所にもお客様からクレームが入り、かばってくれる人もいたが「事務所のカラーとしてこの刑事事件を担当するのはよくない」と言われることもあった。
「ひとり立ちしようと思ったのはその頃からです。独立は以前から考えていましたし、刑事事件畑にいるけれど民事事件の案件もしっかりやれるというスキルを、その事務所にいたからこそ養うことができました。これは独立に際し大きなメリットになりました」
実は刑事事件は多くの案件を同時に担当することができない、と髙橋氏は言う。なぜなら、民事事件の場合は事務所内で処理できることも多いが刑事事件は警察署などに行く機会が多く、時間的にも担当できる件数に限りがあるからだ。
「このため、当時も今も民事事件が9割で1割が刑事事件というバランスです」
髙橋氏が独立という思いを実現したのは、結婚した翌年のこと。2015年4月1日に千葉県市川市に「市川船橋法律事務所」を開業した。そこには「自分の求める弁護士像になっていくためには、やはり自分の組織が必要」という思いもあった。
めざすは千葉県No.1の知名度
事務所を市川市に置き、事務所名を「市川船橋法律事務所」としたのは、市川市に個人的な縁があったからではない。実は髙橋氏の同期の弁護士が同名の事務所を6年間運営していたのだが、東京都内で労働事件専門の法律事務所を作ることになったため、そのまま髙橋氏がその事務所を譲り受けたのだった。
「かなり特殊なケースなのですが、事務所の名前と賃貸契約、Webサイトやドメインなどすべてを事業譲渡してもらい独立しました。事務所名に地名を入れてエリアを限定している点は、マーケティング戦略の観点からも効果的ですし、千葉県の中でもこの市川市と船橋市には富裕層が多いので、ビジネスチャンスは多いだろうという狙いもあったのです」
他にも、事務所勤務時代から依頼主の4〜5割は東京都内在住だったので、千葉県弁護士会に所属しながら地理的に一番東京寄りの市川市で仕事をするのは理想的という判断もあった。加えて、当時裁判員裁判の件数は全国の中でも千葉県が一番多かったので、千葉県に登録している弁護士の人数を考えると刑事事件裁判の依頼が回ってくる確率も高い。さらには「千葉県なら趣味の釣りもできる」といった諸事情もあり、これらすべてを勘案しての開業場所の選択だった。
さらに2017年、別の同期の弁護士が運営する「アトム法律事務所」の千葉支部を、市川市での独立時と同じく事業譲渡を受けた。これと同時にアライアンスを組み、事務所名に「アトム」を加えて「アトム市川船橋法律事務所弁護士法人」として法人化した。これで市川市と千葉市の2拠点体制になったのだ。
「独立開業するときも法人化するときも事業譲渡だったので、私はゼロから事務所を作ったことがありません。レアなケースなので、友人から独立したいと相談を受けてもあまり参考にならないのです。ただ最近は、事務所を譲りたいと考える高齢の弁護士の方も多いので、事業譲渡のパターンは今後増えてくると思います。そのときは私の経験が参考になると思います」
さて話を独立開業時に戻すと、開業後に必要となる集客は髙橋氏の腕にかかってくる。髙橋氏はまず市川商工会議所の青年部に入会し、何の縁故もない市川に溶け込もうとした。集客といえばWebサイトの活用をメインにするケースが多い昨今、あえてアナログ的な手段も取り入れたのである。結果、商工会議所で知り合った自営業者のメンバーからの依頼が増え、ひとつ仕事を終えるとリピーターになってくれる依頼人も出てきた。そこから徐々に顧客は増えていったのである。
独立当初、アナログ的な集客手段もとった髙橋氏にはビジョンがあった。それは「地元の人が困っていることがあれば、オールジャンルで対応できるような事務所にしたい」というものだった。
「ジャンルに特化するのではなく地域密着。地域一番をめざしているので、当初は市川市と船橋市で知名度No.1の事務所をめざしました。そして今は千葉県No.1をめざしています。
なぜ知名度を重視するかというと、弁護士業界には事務所の比較尺度がないからです。売上は公表していないので、尺度になるのは知名度と所属弁護士数。でも単に事務所の人を増やしても肥大化するだけなので、今は人数を増やすことは考えていません。となるとあとは知名度しかありません。そこで2019年からはテレビを含めてメディアにどんどん露出するようにしました。千葉県でテレビに出ている弁護士はおそらく私しかいないので、その意味では知名度は上がっていると思います」
こうして髙橋氏は現在、テレビやラジオへの出演、法律監修、新聞や雑誌の取材、書籍執筆など、幅広いメディアからの依頼を受け、条件が合えば出演している。今後はテレビだけでなく、YouTubeでの動画配信やSNSにも力を入れていくという。
刑事裁判で4連続の無罪判決
現在、事務所の陣容は髙橋氏を含め弁護士6名、パラリーガルと秘書が4名。総勢10名となった。開業6年目、これまで順調にきたのは集客活動やメディア露出による知名度アップの影響だけではない。弁護活動において、髙橋氏がめざましい功績を残していることが大きい。「有罪率99.9%」と言われる刑事事件裁判において、異例の4連勝を勝ち取っているからだ。
以下が髙橋氏が勝ち取った4つの無罪事件である。
1:「危険運転致死等被告事件」千葉地方裁判所 平成26年(わ)第986号外
2:「殺人被告事件」千葉地方裁判所 平成27年(わ)第1008号
3:「覚せい剤取締法違反、関税法違反被告事件」 千葉地方裁判所 平成27年(わ)第1162号
4:「傷害致死被告事件」千葉地方裁判所 平成28年(わ)第1500号
この4つの刑事事件で、髙橋氏は裁判員裁判における主任弁護人を務めており、3つ目と4つ目の事件では完全無罪の判決を勝ち取ったのである。ドラマや映画の素材にもされる有罪率99.9%の刑事事件裁判で、4連勝の無罪判決は、弁護士業界でもきわめて異例だ。さらに、第一審の地方裁判所で無罪を勝ち取ることよりも、有罪を高等裁判所でひっくり返すほうが難しいと言われている中、2019年12月13日に東京高等裁判所で脅迫被告事件の逆転無罪判決を獲得している。
「刑事事件を起訴する側の検察官は、有罪だと確信した被告人しか起訴しません。ですが、その中にも事実無根の冤罪という方がいます。『その0.1%の無罪の方々を救いたい』。それが私の法廷で争う姿勢です。
私がいつも心掛けているのは、『他の人が無罪を取れる裁判は、自分も絶対に無罪判決を取れる実力を持っておこう』ということです。誰も取れないようなものをひっくり返そうなどと無謀なことを考えるよりも、他の弁護士が担当して無罪を取れる事件を自分が落とすことは絶対にしたくない。そのために、刑事事件を含め法廷活動でのスキルを常に磨いておこうと思っています。
法廷活動のスキルを磨く具体的な方法は、まず法廷をプレゼンテーションの場だと思うことです。裁判官や裁判員を説得する話し方、文章の作り方、ビジュアライズされた資料の作り方に始まって、核心に迫る反対尋問をするための練習とノウハウの蓄積、そうしたところを心掛けています」
実際に、髙橋氏は弁護士登録後2〜3年の間、全国で行われる弁論活動や裁判所での説得プロセス、反対尋問方法などのノウハウを勉強するために、全国の弁護士会の勉強会に参加した。そして教えられる側だけでなく、講師養成研修を受けて教える側にもなり、全国各地に出向いて講師として教壇にも立った。
「やはりスキルを磨くことで結果につながったと思います。最終的に依頼者に損をさせないために、自分のスキルを常にブラッシュアップしています」
髙橋氏が法廷に真摯に向き合う姿勢は、裁判員にわかりやすいプレゼンテーションを行うための地道な努力にも現れている。
「裁判員裁判制度が導入される前と後では、法廷でのやり取りはガラッと変わりました。それまで通りのやり方を続けていたら裁判員の説得はできません。裁判官、検察官、弁護士の3者間でのやりとりであれば法律用語で話ができるのですが、それでは一般市民である裁判員には何のことだかわからないのです。そこで私は、誰にでもわかりやすくプレゼンテーションするスキルを身につけたいと思いました。今はYouTubeで動画配信もし、中学生にもわかるように話すクセをつけて、裁判員裁判でも通用するスキルを磨いています」
ところで、4連続無罪の事件はどのような経緯で髙橋氏が担当することになったのだろう。
「すべて国選弁護人としての依頼です。大きな事件の場合は、容疑者の逮捕直後に千葉県の弁護士会からある程度経験のある弁護士に『すぐ行ってくれ』と派遣依頼を出しますので、どんな状況なのかは行ってみるまでわからないのです」
そこから法廷で無罪を勝ち取るまでは、気の遠くなるような道のりだ。
「その意味では私は運がいいですね。勝てる事件と勝てない事件が本当にあるので、運良く戦い甲斐のある事件に巡り合いました」
所属弁護士の集客の負担を減らす
事務所では、どんなときでも依頼された案件にしっかりと対応することを徹底している。事務所勤務時代に髙橋氏は、集客と実務の二足のわらじでかなり大変な思いをした。だからこそ自分の事務所では、所属弁護士の集客の負担を減らし、実務に集中してもらいたいと考えている。
「集客は基本的に私が担当して、お客様から依頼があった案件は、相談を受けるあたりから所属弁護士にすべて任せています。内容によっては私も一緒に実務をやることがありますけどね。私のメディア出演によって、所属弁護士がお客様から相談を受けた際も、『テレビに出ている先生の事務所ですよ』と言えるので会話もはずみ、依頼に繋がりやすくなったようです。最近は事務所への問合せも増えていますので、メディア出演によりある程度の信頼を得られたと思います」
では、「アトム市川船橋法律事務所」の「求める人物像」とはどのようなものなのだろうか。
「一緒に仕事をしたいと思う方、フィーリングが合う方としか言いようがないですね。一緒にご飯を食べに行ったり、飲みに行ったりできる方かなぁ。人としてつき合える方がいいと思っています。弁護士の人は難しい司法試験に合格しているので、特に真面目な方が多い。『目標を持ってがんばるだけで、偶然まぐれあたりで合格する』ということはなかなかないと思うのです。言い換えれば、試験に合格しているなら最低限の実力はある。大事なのはそこから先で、最後はやはり『人』の部分ですね」
刑事事件だけをやりたい
千葉県でNo.1の知名度になったあと、髙橋氏はどのような方向に向かっていくのだろうか。
「千葉県で一番の知名度になって集客をしっかりできるようになったら、私は刑事事件だけをやりたいのです。そのために私がメディアに出たりブログを書いたりしているわけです。個々の民事事件の案件は基本的に所属弁護士に任せ、自分は『刑事事件専門です』と言い切ってしまえるぐらいになるのが理想ですね。私は法廷が好きなので、弁護士である以上、法廷で活躍したい。それができなくなったら辞め時だなと考えているので、絶対に外せないですね」
やはり法廷で戦う姿勢をつらぬくことが、髙橋氏の大きなモチベーション。弁護士としてのやりがいと醍醐味はあくまで法廷にあると考えているようだ。
「依頼者を勝たせるために反対尋問し、弁護活動し、プレゼンテーションをする、法廷活動が私は純粋に好きなので、それをやりたいし極めたい。特に刑事事件は基本的に有罪となり検察側が勝つ裁判なので、それをひっくり返す醍醐味を常に感じていたいですね」
刑事事件裁判において、検察が勝つことがほぼ決まっている裁判をくつがえすのは並大抵の努力ではないだろう。それはつらい闘いでもあるはずだ。
「非常につらいですよ。周囲からも『初めから負けるのがわかってるじゃないか』とよく言われます。ですが私が4連勝したように、決してそうとは言い切れない面もあります。明らかに格上の相手から勝利をもぎ取る、そのおもしろさがある。加えて、誰かに物事を説明すること自体が好きなので、そうした意味でも適性がある。天職だと思っています」
事務所の仕事や法廷活動だけでなくメディアでの露出も増えて、ますます忙しくなってきた髙橋氏は、プライベートになかなか時間が割けないという。「できればもっと子どもと一緒に過ごす時間を作りたい」と言うが、現在は2週間に1度の休みをなんとか確保している状況だ。
「弁護士は自由業だから休みが少なくてもいいのです。誰かに命令されてやるならブラックでしょうけど、自分の意志で好きでやっているので」と笑顔をみせる。
もちろん所属弁護士にはきちんと休みを取ってもらう。髙橋氏自身も年末年始はしっかり休みを取るし、パラリーガルや秘書には5時退社を厳守して土日に仕事をさせることは一切ない。所属弁護士は雇用契約ではなくて業務委託契約のため、労働基準法には抵触しないのだが、息切れしたり、事務所内の空気が悪くならないように配慮しているのである。
最後に、弁護士やその他の資格取得をめざして勉強中の読者に向けてアドバイスをいただいた。
「弁護士という仕事はお客様を幸せにする、もしくはお客様の不幸を取り除く、本当にとてもやりがいのある仕事です。お金をいただいているのでボランティアではありませんが、誰かのために何かをしたいという方にはとても良い仕事です。
今後AIの進展によって、弁護士の仕事内容も変わってくると思います。確かに検索能力や論理力ではAIには勝てないでしょう。しかしAIを活用する、つまりAIを助手として活用して、私たちの法的な知識を活かしていくことは必ずできると思っています」
「法廷が大好き」な戦う弁護士は、0.1%の無罪判決をめざしてこれからも戦い続ける。
[TACNEWS|日本の弁護士|2020年4月号]