日本のプロフェッショナル 日本の社会保険労務士|2019年2月号

  
Profile

大槻 智之氏

社会保険労務士法人大槻経営労務管理事務所
代表社員 社会保険労務士

大槻 智之(おおつき ともゆき)氏
1972年生まれ、東京都出身。2010年3月、明治大学大学院経営学研究家経営学専攻博士前期課程修了、経営学修士。1994年4月、大槻経営労務管理事務所入所。2006年1月、社会保険労務士登録。2007年4月、特定社会保険労務士付記。社会保険労務士法人大槻経営労務管理事務所への改組にともない銀座支社長に就任。2011年、統括局長就任。2016年、代表社員に就任。

AIにより業務がどのように大転換していこうとも、社会保険労務士は 社会貢献することでおもしろさをみつけられます。

 AIの影響により士業の業務が大転換するかもしれないといわれている今日、社会保険労務士においてもそれは同様である。影響に規模の大小は関係ないだろうが、100名を越すスタッフを擁する社労士法人の場合、どのようなインパクトがあるのだろうか。社会保険労務士法人大槻経営労務管理事務所の代表社員として、次の時代を見据えながら事務所経営に腕を振るっている大槻氏に、士業をめざした経緯から事務所の成長、そして今後の展開までをうかがった。

図らずも社会保険労務士に

 社会保険労務士法人大槻経営労務管理事務所(以下、大槻事務所)は2018年に創立45周年を迎えた。代表は現在46歳の社会保険労務士、大槻智之氏である。大槻氏が1歳のときにこの事務所を創業したのは、父である大槻哲也氏。氏は、東京都社会保険労務士会会長、全国社会保険労務士会連合会会長を歴任し、現在は全国社会保険労務士会連合会最高顧問を務めている。
「父は、私が物心ついた頃には社会保険労務士(以下、社労士)として活躍していたはずですが、正直、社労士がどんな仕事かは知りませんでした。お父さんの仕事は何?って聞かれて、正確に答えられるようになったのは大人になってから。大学時代も、まさか社労士になるとは思っていませんでした。父だって、私の就職活動の時に『労働基準監督官のなり方』みたいな本を持ってきましたからね、こっちがいいんじゃないかって(笑)」  取材は終始笑いであふれていた。笑いのツボを心得ている。笑いは、社労士・大槻智之氏の最大の魅力であり、武器でもある。
 智之氏は大槻家の次男として生まれた。一度は長男が事務所を継ぐべく入所したが「自分で違う事業をやる」と宣言したので、事務所を継ぐ人間がいなくなった。 「もう24年も前の話です。今の若い人たちみたいに『これがやりたい』という思いもなくて、『卒業したら働いて生活しなきゃいけないな。どこでもいいや』と思ってました。本当は女性が多い百貨店に行きたかった。エレベーターガールがいる職場って、楽しそうだなと(笑)。それが、『どこでもいいならおまえが事務所をやれよ』って話になったんです」
 これが大学4年のとき。大槻氏は大学卒業後、大槻事務所に入所。初めて社労士の仕事が何なのかを知った。 「最初はつまらない仕事だなと思いました。お客様から頼まれて、ひたすら何種類かある書類を作って役所に出して、給与が出たら月額変更。その繰り返し。達成感などまったく感じなかったですね」
 大学4年から社労士をめざして受験勉強も始めていた。当時の社労士試験は「6割取れば合格」と言われていた。本試験に臨むと、6割は確かに取れていたのにその年だけ基準が変わったのか不合格となった。
「そこからやる気がなくなって『試験なんて別にいいや』と、惰性の受験が続きました。本気を出して勉強するようになったのは結婚してからです。嫁に、『あなた今後どうするの?』と言われまして。それに、私が入所した頃は職員がなかなか試験に受からないのは当たり前でしたが、徐々に職員の人数が増えてくると、職員の中から合格する人が出てきたんです」
 事務所には、会社を辞めて1年間受験に専念して社労士試験に合格したという人や、学生時代に勉強して合格したという強者まで入社してきた。大槻事務所では2年間実務経験を積んだ職員には補助金が出て、社労士登録ができる制度がある。試験に合格した彼らが2年経って要件を満たせば、社労士になる。
「これはまずい。逆転される」
 そう思ったら火がついた。 「人間どこかでスイッチが入るものです。詰め込みタイプなので、本試験1週間前からは仕事を休んで、本試験まで食事と睡眠以外はずっと勉強していました」
 こうして2005年の本試験で、大槻氏は晴れて社労士試験に合格。実務要件は満たしていたので翌2006年1月に登録を果たした。受験勉強を始めてから、10年の月日が経っていた。

大企業からの依頼で成長軌道に

 2003年の社労士法改正に伴い、事務所は個人事務所から社会保険労務士法人大槻経営労務管理事務所に改組。大槻氏が入所した頃は10人程度だった事務所は成長軌道に乗って、その頃には20人規模になっていた。
 背景には、その頃急成長を遂げつつあった給与ベンダーとの提携があった。当時は、それまで給与ベンダー(給与計算等の業務を代行する会社)に社会保険手続までを依頼していた企業が、コンプライアンス上の問題からこの手続きを社労士への依頼に切り換え始める動きがあった。そこで給与ベンダーと提携し、その給与ベンターが給与計算を受託している企業の社会保険の受託を推し進めたのだ。
 その頃の社労士といえば中小企業や中堅企業からの依頼がほとんどで、これは大槻事務所も例外ではなかった。だがこの提携により、大企業から社会保険手続きの依頼を受けることになったのだ。業務量の増加に伴い採用を強化したことから職員数も増加したが、この時期は苦しかったと大槻氏は振り返る。
「当時は今みたいにシステム化なんてされてません。ちょうどオフコン(事務処理用に特化されたコンピュータ。オフィスコンピュータ)からパソコンヘの転換期で、切り換えに伴う混乱もありました。今では当たり前のメールでのやり取りも始まったばかりで、事務所にメールの文化はなくてまだまだファックスが中心の時代でした。
 ところが大企業はもうメールで普通にやり取りしてるんです。そうしたことに対する戸惑いとギャップが結構ありました。それでもおつきあいが始まった大企業からは、社会保険に関する業務をフルアウトソースで完全に任せてもらえるようになりました。それまでのクライアントは多くても従業員数300人規模でしたが、一気に1,000人規模を超える企業が増えて、一番大きな企業は5,000〜6,000人規模。今だにおつきあいいただいているところがほとんどです。ただ、規模が違うと、今までやってきた手続と同じ内容でも扱う数の桁が違いますから、猛烈に働きましたね。今だとブラックと言われちゃいますが、終電前に帰れるときには『今日は早く終わったね』なんて言ってましたよ(笑)」
 当時、現場を仕切っていたのは30歳そこそこの大槻氏と2〜3歳年上の先輩だった。だからクライアント先にトラブルがあって出かけていくと「若いヤツが来た」と言われた。 「あの経験があるので、今では多少のことは何でもなくなりました。謝るのが得意になったんで」と大槻氏は笑顔で話す。その頃の経験があったからこそ、今日につながるノウハウを得たと大槻氏は感じている。
 一度成長の軌道に乗った事務所は順調に成長して、現在、社労士35人(特定社労士15人含む)が所属する組織に成長した。そこに、社労士をめざしているスタッフや社労士法人とともに歩んできたアウトソーシング業務、労働保険事務組合、社員研修、講演からビジネスマッチングまでを引き受ける「株式会社オオツキM」を加えたオオツキグループは約120人から成る。
「勤続5年以上の社労士だけでも結構な人数がいます。おそらく社労士の人数と社労士歴の長い人間が揃っているという意味では、うちぐらいのところはないと思います」
 ここまで拡大できたのは、大槻氏のマネジメント能力にプラスして、大手企業の中に労務業務をアウトソーシングする文化が根付いてきたという背景がある。それまで人事部員を抱えて自社で処理していた社会保険手続をアウトソースする企業が増えてきたのだ。アウトソース先は、必然的に対大企業の実績とノウハウを持つところが選ばれる。こうして大槻事務所には大手企業からの依頼が数多く集まるようになったのだ。

シンガポールに海外初拠点

 大槻事務所のサービスメニューは、社会保険手続から給与計算、就業規則作成等、社労士にかかわるすべてのラインナップが網羅されている。アウトソーシングに関しては45年の実績から様々な手続に対応でき、かつ豊富なノウハウを駆使してムダ・ムリ・ムラのない手続を提案していくことができる。そのサービスメニューの中で一番伸びているのが、人事労務問題に関する労務コンサルティングだ。
「制度を見直したい、規則を見直したい……。労務コンサルティングについては、働き方改革が叫ばれてから追い風が吹いてます。一番大きな変化は、上場企業が社労士を使い始めたことです。今までの労務相談は、顧問弁護士についでに聞けばいい程度だったのですが、それでは通用しなくなってきました。まだ労務監査は入っていないけれど、コンプライアンス上しっかりやっておきたいと考える企業が増えたことから、依頼が増えました」
 こうした企業側の変化に伴い、上場企業からの案件が増えてきたのである。
「そういう意味では仕事の対応幅が広がっています。まだまだ先細りではない。やろうと思えば仕事はあるんです」
 2014年1月にはグローバルな社労士事務所をめざして、シンガポールに初の海外拠点「SYAROUSHI OTSUKI OFFICE SINGAPORE」を開設した。その経緯がまた大槻氏らしい。
「ちょうど誰もがグローバルと言い出していたので、名刺に海外拠点が書いてあるとカッコいいなと思ったんです。ロサンゼルスやニューヨークが良かったんですけど、現実的じゃないので、いろいろと調べた結果、シンガポールがちょうど良いとなりました。
 拠点を出したからといって、仕事のあてはありません。当時、税理士や弁護士はシンガポールにこぞって出ていきました。そこで社労士として一番乗りで現地に看板を出して『SYAROUSHI』と入れました。現地の人は『これなんですか?』と聞きますが、いずれ社労士が根付いた時には『ああ、あそこ昔からあるじゃない』となる。
 というわけで、大企業はもちろん、中小企業のアジア進出の際のサポートをしようという建て付けで始めました。日本企業の海外進出はシンガポール、タイ、インドネシアなどに展開するのが一般的なので、そこまでは我々も一緒に行きますということです。  ちなみに、海外に出るまでは手続きや就業規則、周辺業務などの社労士業務が中心ですが、現地ではむしろ橋渡し的役割、コーディネートが大事になっています」
 シンガポールではローカルから日本人まで広がった現地の知り合いに、いろいろな紹介をするコーディネーター的展開を行っている。
 「シンガポールで社労士といえば大槻」と言われるようになるために。大槻氏は現地のフリーペーパーに記事を載せ、セミナーを開催し、ブランディングに忙しい。

「生え抜き」の社労士を育てよう

 大槻事務所ではコンサルティング・メンバーを増やすために、人材育成にはかなり力を入れている。
「もともと中途採用メインだったのですが、ちゃんと育てたいという思いから新卒採用に踏み切って、2018年で3年目になりました。1年目2人、2年目3人、2018年4月入社が3人です。それまでも、やる気があれば未経験でも採用していたのですが、実際に育てるとなると時間もコストもかかります。そこで一から生え抜きを育てようと、新卒採用にシフトしました。そして彼らを5年間で一人前に育てる仕組みを作りました。5年かけて、担当者として1社まるごと、手続から基礎的な労務関係の相談業務までできるようになる。そこを一人前としてめざす。その後はまた別メニューを用意し、ステップアップを図っていきます。
 アウトソーシングのほうは人手が足りない部分を中途採用でカバーし、あとは外注スタッフ、派遣スタッフを入れています」
 社労士を新卒採用するのはアウトソーシング系企業が多く、労務コンサルタントとしてゼロから育てているところはほとんどない。そして、事務所が社労士を新卒採用することは決して多くない。
 「だから採用が難しい」と大槻氏は言う。ただ、新卒採用に取り組み始め、事務所の社会貢献的側面をしっかり伝えていくと「そういう仕事に就きたい」という学生たちが来てくれることもわかった。
 「生え抜き」の社労士を育てる。この一大決意表明をしてから、採用後は月2回社内に講師を呼び、社労士の受験勉強をサポートしている。そこで流れを掴んでもらい、後は各々にTACなど受験指導校に通って社労士合格をめざしてもらう。
 さらに仕事のスタイルも変更した。以前は手続きから労務相談まですべて担当者1人で1社をまるごと担当していたが、現在は労務コンサルタントは労務専門にして、手続は別の担当が処理するようになった。
「労務コンサルティングに長けている人間が、わざわざアウトソーシングに時間を割く必要はない。そこで分業して効率化を図っています」

大転換期を迎えた士業界

 上場企業が社労士に依頼する時代に、社労士の仕事の幅は広がっていくだろうか。そこは、社労士自らの努力で「質の高いサービスを提供できるかどうか」にかかってくる。なぜなら、アウトソーシング分野は大転換期に入っているからだと、大槻氏は指摘する。 「デジタル化の波です。そこにうまく乗ったところは伸びていくでしょうし、乗り損ねたところは厳しくなるでしょう。
 士業の手続業務はすべてAIに置き換わってしまうと言われています。ただし、置き換わるといっても、誰かが何かをしなければ置き換えられない。それなら、自分たちが『何かをやる誰か』になればいい。そこにいけるかどうかが勝負です。社労士だからということではなく、どの産業にもAIの波は襲ってきます」  大転換期を迎え撃つために、大槻氏は様々な部分で投資し、全体を見直して分析し、着々と戦略を練る。
「うちはオープンイノベーションに走っています。だから、テレビCMでやっている無料で使えるクラウド人事ソフトなどが出てきても『社労士業界は困る』といった感覚はなくて、うまくコラボレーションしてやっていけるように持っていく。いろいろなところでそうしたものを取り入れながら、独自の商品開発をめざしています」
 そこで、現在最優先事項で進めているのが「RPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)」だ。これは、認知技術を活用した、主にホワイトカラー業務をロボット化・自動化する技術である。この技術を導入したら、社労士の手続き業務はすべてロボットに取られてしまうのではないだろうか。そんな素人考えをよそに、大槻氏はむしろRPAを歓迎する。
「RPAも、技術的な土台があるだけでは作れません。どんな業務がどういうふうに自動化できるのかというノウハウの部分をうちは持っているので、そこを活かしていきたいと思っています。また、うちのような大型事務所は外注費も大きいので、その部分をRPAを導入することで改善していきたいと思っています。費用がかかるアウトソーシング系業務も自動化を進めていくことになるでしょうね。なにしろRPAは24時間稼働ができて、36協定も割増賃金も関係ありませんから(笑)」
 まさに時代は変わろうとしている。この何年かで、これまでやってきた業務が大きく様変わりしていくのは間違いない。変わっていかなければ、時代をキャッチアップできない。「今の社労士業界は明治維新前と同じ状況です」と、大槻氏は言う。  アウトソーシング系は自動化と効率化に拍車がかかりそうだが、社労士が行う労務コンサルティングはどうなのだろうか。
「いずれは今までのように、相談対応だけでは足りなくなるでしょう。質問に答えるだけではなく、実際に改善するための提案をしっかりとしていかなければならない。本来社労士が得意としている部分をいかに出せるかが、力の見せどころです。労働基準法などだけでなく、いろいろな情報を駆使しながら、社労士の今までのコンサルティングを『新しいコンサルティング』へと進化させることができれば、依頼は増えていくと思っています」  そうなれば、当然、これまでと組織の作り方も変わってくるだろう。120人を数えるスタッフを抱える大槻事務所は今後どのような姿をめざしていくのだろう。 「人員的規模でいけば、現在、全国の社労士法人の中でおそらく上位に入っていると思います。昔は『まずは100人、次は300人に』と豪語してきましたけど、今の流れでいくとそういう時代ではなくなってますね。頭数を増やすことが問題なのではない。コンサルティングの業務では人を増やし、バックオフィスの業務では最小限に抑えていく。人の質や構成は変わってくると思いますが、トータル人数はそれほど増えていく必要はないと考えています。だから人数は数値目標にならなくなりました」
 国内拠点は銀座、京橋、調布、日本橋とあったものを、ほぼ銀座に集約した。
「基本的に今は距離的な問題もITツールで解決できるので、例えば新たな拠点として大阪に出す必要性などは感じていません。ただ、首都直下型地震が起きたら業務が麻痺してしまうので、BCP(Business Continuity Plan:事業継続計画)対策には取り組む必要があります。仮に震災が発生したとしても、早急にシステムを立ち上げ事業を継続するために、データセンターはもちろんですが、東京以外に拠点を置くべきだとは思っています。大手企業は『災害時対応はどうなっているのか』を聞いてこられますし、みなさん何らかの対策を取るとともに、意識も高いですね。『災害があったからシステムが動きません』とは言えないんです。私たちの責任のひとつに給与計算がありますが、その対策がきちんとできていないと混乱してしまいますから」
 新たな拠点展開があるとしたら、BCP対策のためという側面が強くなりそうだ。

社労士は社会貢献できる仕事

 図らずも事務所の二代目となった大槻氏だが、氏の次の世代については、どのように考えているのだろうか。 「その時が来れば、事務所を継ぐであろう誰かが出てくると思っています。今の時点で特定の誰かにという感じではありません。長年勤めている社労士がいるので、彼らには常に『最低でも100年企業にしたい。100年経ったらどうせみんないないだろう。だから次の世代にバトンを渡すためにしっかりやっていこう』と話しています。どんな時代になるかわかりませんが、皆で次の世代を育てながらやっていれば、自然とバトンは渡ると考えています」
 誰に継がせるかは経営者としての才覚があるかどうかが重要なファクターになってくる。とりわけ士業の場合は専門家になりたくて士業をめざす人が多いことが難しい点になってくる。
「私の業務も今は9割が経営になりましたが、みんな専門家になりたくてこの仕事に入ってきますから、そこが難しいところです。ですから、役員には徐々に経営者マインドを植え付けています」
 生え抜きの新卒採用から未来のトップを選ぶという方法もあるだろう。大槻事務所には「誠心誠意尽くす」「約束を守る」「知ったかぶりをしない」という、創業以来の3原則がある。その目標は「働きやすい会社」を一社でも多く作り、「働きやすい社会」を実現することだ。この目標に共感し、そこに向かう人を採用する方針でこれまでやってきている。
 「面接者には、『ちゃんと自分が本気で一緒に働きたいと思う人を採って』と言ってある」ということから、大志を持って入ってくる若者の中から未来を担う人材が出てくるかもしれない。 「これから時代は変わっていきます。うちのような大所帯で人数が多い事務所なら残っていけるだろうなんてことは、まったくありません。スタートしたばかりであろうが、人数が少なかろうが、やり方次第で上に登っていける。そういう意味では夢があると思います。
 転換期であるこの時期に社労士をめざそうという皆さんは、新しく残っていける可能性がある。逆転するチャンスがある。私は、社労士の中にライバルがいるとは思っていません。『人』に関わるところが私の領域です。社労士に限らず、いろいろな業界と競争していかなければならない。逆に組めるところとはちゃんと組んでいく。そういう意味ではライバルも広いし、組める相手も広いということですね」
 「図らずもなってしまった」社労士。しかし、大槻氏は今「おもしろい」と感じている。 「大企業であれば、誰もが知っている企業の重要な部分に関り、私たちのアドバイスが反映されている姿を見て、仕事の醍醐味を味わうこともできますから、やりがいは大きいですね。中小企業の場合も、ご相談に対して何かしら解決したら感謝される確率はとても高いんです。そんなことが積み重なると、社労士って楽しいな、と感じますね」
 事務所に入った当初、手続きばかりでつまらないと思っていた大槻氏は、今ひとつの結論に行き着いている。 「書類業務や手続き業務をやってもいちいち『ありがとう』なんて言われないし、給与が振り込まれるのは当たり前のことなので感謝はされません。それがお客様と接するようになって、段々人との関わりができてきて、『おもしろいな』と思うようになりました。お客様に育てられたということですね。そこから『貢献したい』という思いが出てきて成長できました。貢献するためには自分でも情報を仕入れないといけないし、労働基準法だけを知っていればいいわけではありません。いろいろな周辺知識やITツールを活かしてアドバイスしていく必要があります。それができるようになってくると、社労士は本当に楽しいなと思えるようになるんです」
 独立しても、勤務していても、「社労士は社会貢献という意味で満たされることのできる楽しい仕事」だと大槻氏は言う。「やりたいこともなく、思いがけずなってしまった社労士」だからこそ、社労士をめざす若者にこのひと言を伝えたいと大槻氏は思っている。


[TACNEWS|日本の社会保険労務士|2019年2月号]

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