日本のプロフェッショナル 日本の不動産鑑定士
丸山 孝樹(まるやま たかき)氏
合同会社丸山不動産事務所 代表社員
不動産鑑定士 宅地建物取引士
1987年、新潟県上越市生まれ。20歳で上京。3年間、東京都練馬区の賃貸管理メインの不動産会社に勤務。21歳で宅地建物取引士試験に合格。その後,不動産鑑定士をめざして3年間受験に専念。2013年、不動産鑑定士論文式試験合格。同年、大和不動産鑑定株式会社入社。途中2年間、三菱地所投資顧問株式会社に出向。2018年、大和不動産鑑定株式会社を退社。2019年2月、丸山不動産鑑定事務所を開設、2023年4月、法人化(合同会社丸山不動産事務所)、現在に至る。
不動産鑑定業、不動産投資、不動産業。
若手鑑定士は、この3本柱で勝負していく。
31歳で横浜市に不動産鑑定士事務所を開設した丸山孝樹氏は、当時、神奈川県で最年少の独立不動産鑑定士となった。どのような経緯で不動産鑑定士をめざし、31歳で独立開業に踏み切ったのか。開業6年目を迎えた丸山氏に、受験時代、勤務時代、独立開業の経緯と事業の今後のビジョンをうかがった。
30代なら、失敗してもやり直せる
丸山孝樹氏は、思い切って30歳で勤務先を退職。31歳で独立開業した若手不動産鑑定士(以下、鑑定士)だ。風の吹くまま、気の向くまま。特に目的は設定せずに生きてきた。それは鑑定士として独立した今も変わらない。
新潟県上越市生まれの丸山氏の実家は、屋根板金業を営む自営業。父親が2代目、兄が3代目を継いでいる。三兄弟の真ん中に生まれた丸山氏は、地元で過ごした高校時代、将来なりたい職業のイメージは出てこなかったという。
「高校3年生になっても、何をしたいかというビジョンはなかったですね。実家が事業をやっていたので、何となく就職しようかなというぐらいの考えでした。」
卒業が近づいたあるとき、通っていた美容院で「背が高いから、ホテルマンが向いているんじゃない?」と言われたことがきっかけで、ホテル系の職業訓練学校に進学。ところが入学後、ホテルでの実務研修を受けてみたら「これは向かないな」と、学校は卒業したものの、ホテル系の職種には進まなかった。
その後、上京していた地元の友人を追いかけて東京へ。20歳で練馬区の賃貸管理メインの不動産会社に入社。管理会社なので入居者からのクレームが多く、丸山氏の仕事も入居者のクレーム対応だった。
宅建士の次は鑑定士
不動産会社に勤めているとき、丸山氏はひとつの節目を迎えた。会社から取得を薦められた宅地建物取引士(以下、宅建士)資格を取得したことだ。
「21歳のときに独学で取得しました。それが人生で初めてきちんと勉強した経験です。そこから勉強の楽しさに取りつかれて、次の資格へのステップアップを考えたんです。『宅建士の次は鑑定士』。当時のTACで言われた言葉に乗せられて(笑)。そこから挑戦が始まりました」
鑑定士試験の勉強をスタートしてみると、想像以上に難易度が高いことに気づいた。「勤務しながらでは、とても受からないな」と。
丸山氏は会社を退職。蓄えていた貯金と親の仕送りで受験に専念。「期限は3年。落ちたらあきらめる」と決めた。
受験開始から3年目の2013年。丸山氏は無事、鑑定士試験に合格した。1年目は短答式試験のみ勉強して、論文式試験はほぼ記念受験。2年目は成績こそ上がったが、惜しくも本試験で点数が届かなかった。
「2年目はできる分野とできない分野の差がはっきりしていました。おそらく総合力では合格に届いていなかったのだと思います。3年目には年2回ある答練(答案練習)でもトップ10に入っていたので、このままいけば受かると手応えを感じていました」
とはいえ、丸山氏は鑑定士に実際に会ったり、仕事内容の情報収集をしたりは一切しなかったという。
「東京に来たのもそうですし、前職を退職したのも、独立もそう。基本的に行き当たりばったりの人生。計画的にやってきたわけではありません。その場の考えと状況で動く。鑑定士をめざしたのも、そのために何が必要か、どういう仕事があるのか。詳しく調べずに、受かってからいろいろと知りました(笑)」
鑑定業務とアセットマネジメント業務を経験
日本の大手不動産鑑定会社といえば、一般財団法人日本不動産研究所、大和不動産鑑定株式会社、株式会社谷澤総合鑑定所の3社が挙げられる。26歳で鑑定士試験に合格した丸山氏は、その一角、大和不動産鑑定に就職した。
「4社ほど受けた中で、唯一内定をくれたのが大和不動産鑑定でした。大手に入れたのはラッキーでしたね。今よりも20代の合格者がかなり少ない時代だったので、希少価値が高かったのかもしれません」
入社後は、証券化案件の評価が約8割、更地評価や継続賃料評価などの一般鑑定が約2割の比率で鑑定業務に携わった。さらに1年半後からの2年間、三菱地所投資顧問株式会社へ出向。物件を購入する部署(アクイジション部署)に所属し、これまでとは逆に鑑定会社に鑑定評価書を発注する立場になった。
「物件の収支を見て投資家と話し合い、物件を買うことになったら買うまでの流れを進めていくアセットマネジメント業務。出向したことで、このアセットマネジメント業務を経験できたことは、大変貴重な財産になりました。出向の機会がなければ、決して経験できないものでしたね」
この出向も特に希望したわけではなかったらしい。「おそらく若かったのと、外に出しても大丈夫と、会社が信用してくれたからじゃないかな(笑)」と、冗談めかして分析する。
鑑定士試験に合格したあとは、鑑定士として登録するために実務修習を修了しなければならない。丸山氏は三菱地所投資顧問へ出向している間に実務修習を終え、大和不動産鑑定に戻ってから鑑定士登録。鑑定士として鑑定評価書にサインする立場となった。
こうして大和不動産鑑定に入社し、出向してアセットマネジメント業務まで学んだ丸山氏は、2018年で大和不動産鑑定を退職。2019年2月、個人事業主として丸山不動産鑑定事務所を設立。神奈川県で最年少の独立系鑑定士となった(2024年8月現在も同様)。
やめなかったら後悔する
「失敗しても、30代前半ならまた会社に戻れる。30歳になったら会社員をやめて、挑戦しようと思っていました」
30歳の節目。区切りをつけて31歳で独立開業した経緯を、丸山氏はそう話す。
「実家が自営業だったので、会社員より自営業的な働き方がしたかった。独立をめざせる資格だから、鑑定士をめざしたという部分もありました。自営や独立したいという顕在的な思いは、おそらく20歳ぐらいからあったと思います」
ずっと温めてきた思いを叶えることができたわけだが、決して大和不動産鑑定に不満があってやめたわけではないという。
「仕事内容、人間関係、給与など、待遇はよかったし不満は一切ありませんでした。出向の経験から、転職の可能性も考えませんでした。ただ『やめなかったら後悔する』という思いだけが強かったんです。自分でやってみたいという気持ちが勝っていたんです」
今でも大和不動産鑑定とは非常に友好的な関係で、「戻ろうと思えば、戻れると思います(笑)」と笑いながら話している。
200万円の売上が立ったら続けよう
31歳での独立開業。依頼者のあてはまったくない状態だった。当初は交流会に参加して少しずつ紹介を広げ、Webサイトからの問い合わせへの対応でスタートした。
「特別な戦略もなかったので、正直1年目は売上200万円もいかないだろうと思っていました。『とりあえず1年間やってみて、200万円の売上が立ったら続けよう』と考えていました」
ところがフタを開けてみると、1年目の売上は200万円を超えて450万円に到達。「まだ、やっていけるかな?」と、2年目以降も鑑定事務所を続行していくことに決めた。2年目以降も売上は順調に伸び、3年目はさらに飛躍した。
「売上は毎年積み上げて、ずっと増え続けています。基本的に鑑定の仕事はスポットなので、水ものであって安定的に増えている感覚はそこまでありません。案件自体がなくなることはないと思うのですが、6年目の今も綱渡りをしながら、日々暮らしている感じです」
売上数千万円となった今も、そんな謙遜を口にする。プライベートでは、独立開業した2019年に結婚している。
「独立がうまくいったから結婚しようとか、失敗したから結婚しないでおこうとか、そういう選択ではありませんでした。妻との結婚のタイミングが、そこしかなかったんです。仕事とは切り離して考えて決めました」
行動も発言も潔いが、丸山氏は結婚観まで潔かった。
どこからの依頼でもオールラウンドに対応
事務所の集客方法は、Webサイト経由のネット集客が7~8割、紹介と既存のお客様が2~3割。顧客の内訳でいえば当然新規が多い。鑑定業務内容を見ていくと、地価公示、地価調査、相続税路線価、固定資産税路線価等と呼ばれる行政からの公的評価の仕事。そのほかにも神奈川県から用地売却や道路拡幅の際の土地購入にまつわる行政絡みの鑑定評価依頼が来る。この公的仕事への取り組みも、丸山氏らしくマイペースだ。
「地価公示は鑑定士になって年間3本、3年間で9本の評価書を出すことが要件になっています。そのため多くの鑑定士は、独立する前にその要件を満たして、独立と同時に地価公示を請け負います。これが一般的な独立鑑定士のやり方です。しかし、私の場合は独立後に3年間かけて要件を満たして、4年目から地価公示を請け負いました。いつものように無計画なんですよ(笑)」
一方、7~8割を占めるネット集客では、様々な案件が舞い込んでくる。
「相続した不動産で揉めているとか、離婚するので財産分与の鑑定をしたいといった個人案件がほとんどです」
弁護士、税理士といった士業からの紹介もあり、税理士からは経営者個人の資産を会社へ移転、あるいはその逆といった資産移動の鑑定評価が多い。弁護士からは個人案件と同様に相続、賃料の訴訟関係で依頼が来る。
離婚にともなう財産分与、遺産分割における財産評価、はたまた資産移転、賃料訴訟……。あらゆるところから幅広い案件が舞い込んでくる。
「税理士、弁護士、司法書士、行政書士と数ある士業の先生は、守備範囲が広い。でも、鑑定事務所の鑑定士は鑑定評価一本です。一般的な鑑定評価も、行政絡みの鑑定評価も、基本的にやることは同じ。だからこそ、どこからの依頼でもオールラウンドに対応できるようにしています。
というのは、鑑定士は不動産の専門家でありながら、不動産に関する様々な相談窓口の一番バッターにはならないんです。例えば、税務なら窓口は税理士、建築なら建築士、法律なら弁護士、登記なら司法書士、行政関係なら行政書士、不動産の購入や売却なら宅建士。鑑定士は一番手ではなく、他士業の奥に控えている立場です」
鑑定士の母数が少ないのもそこに関係しているのではないかと、丸山氏は考えている。
「おおよそ、税理士は8万人、弁護士は4万人、司法書士は2万人いると言われています。需要があるからこそ、それだけの登録者がいるのだと思うんです。一方、鑑定士は1万人以下です。
逆に言えば、人数が少ない、需要があまり多くない点をうまく使っていく。鑑定士は素直に鑑定評価をするというところで考えたほうが、稼ぎやすいと考えています。入口をたくさん増やして、依頼をどんどん受けられるようにしていく。それが大事だと思うんです」
インターネット集客もすれば、オフラインの営業もする。交流会にも行って、積極的にSNSも発信する。いろいろなアプローチで接点を増やすことが大事なポイントだと、丸山氏は強調する。
不動産会社を買収し、宅建業もスタート
2023年12月、丸山氏は不動産会社を買収し、鑑定事務所と並行して宅建業をスタートした。鑑定業務はオールラウンド型、一方で宅建業(宅地建物取引業)なら専門特化しやすいという戦略に打って出た。
「宅建業の場合、大手仲介会社のように個人向け仲介もあれば、土地を仕入れて建物を建てるデベロップメント、法人のオフィスや店舗だけを仲介する会社、賃貸のみの会社というように、宅建業は多彩です。
そこで私も専門特化して、宅建業をやっていこうと考えました。今考えているのは、事業用の法人向け仲介と投資家向けの仲介。実は2年前から自分でも不動産投資をしています。経営者向けの投資用物件の仲介であれば、物件の査定や収益性といった点で鑑定士のライセンスがより活かされます。そこは鑑定士という資格と宅建業のシナジーが見込めるし、何より私自身が不動産投資をやっていることで、経営者の方も安心して話を聞いてくれると考えています」
インターネット集客で、丸山氏が特に注力しているのはSEO(検索エンジン最適化)だ。コロナ禍で営業活動が閉ざされたとき、試しにYouTubeを始めた。
「YouTubeは営業的部分と受験生向けの部分があります。最初は営業メインで考えたのですが、実際に鑑定依頼が来ることはありません。また、20本くらいの動画を上げたタイミングでネタも尽きたので、継続できる方法をいろいろと考えておりました。その中で、受験生向けの動画にシフトチェンジしました。」
受験生向けにシフトしてから、チャンネル登録者は継続的に増えた。
「弁護士や税理士は、YouTubeを開設して、そこから仕事の依頼が来るケースが多いと思います。私に鑑定依頼が来ないのは様々な要因があると思いますが、おそらくプロデュースやディレクションがあまり上手ではなかったんでしょう。
あとは、結果的にYouTubeで発信したものをブログ形式でWebサイトに掲載したことが影響しているのかわかりませんが、SEOにもなりました。その意味では、YouTubeを始めたメリットはありますね」
デジタルを味方につける戦略
YouTubeに加え、一時期止めていたブログもまた再開していく方向だ。
「SEOは絶えずやらないといけないので、いろいろなものをうまく使いながら更新したいと思います。私は鑑定業界では若いほうなので、そのフィールドで戦っていくしかないと考えています」
デジタルを活用する戦略は、若手鑑定士ならではと言っていい。
鑑定士業界でもIT 化は進み、地価公示などの鑑定評価書は現在ソフトを使って作成している。近い将来「これがAIに取って代わられる」、あるいは「AIによって鑑定士の仕事がなくなってしまう」ことはあり得るだろうか。若手鑑定士の丸山氏ならどう答えるのだろうか。
「鑑定評価書の作成自体は、AIに取って代わられる余地はあるかもしれません。ただ最終判断では、絶対に鑑定士が介入しなければなりません。判断をする以前の下書きまではAIがやって、判断は鑑定士がする。そういう未来はあるかもしれませんね。しかし、鑑定業務のすべてをAIがやって、鑑定士がいらなくなる、という未来は考えにくいです。最終判断はAI には決してできないでしょうし、AIに現地調査はできません。さらに依頼者とのセッション、コミュニケーションができない。完全にAIに移行する未来は、たとえあったとしても相当遠い未来でしょうね」
不動産投資、不動産業、鑑定業の3本柱
現在、事務所内の鑑定士は丸山氏1名、事務スタッフ1名と業務委託者が数名の体制だ。不動産会社のほうにはもう1名業務委託者がいる。
業務委託を入れるようになってから1年。丸山氏は社員採用ではなく、あえて業務委託にこだわっているという。
「有休、残業代、賃金、労務管理……、と正社員を雇用すると様々な縛りが出てきます。そのハードルは高いので、正社員は雇わない方針で、業務委託に振り切りました。働いたら働いたぶんだけお給料が欲しい。そういう方が多いと思うので、だったら自分の仕事の労働量次第で報酬が上がっていく、業務委託が働くほうも雇うほうも理想的だと捉えています」
正社員雇用をしない方針には、丸山氏自身の性格もあるという。
「自分は鑑定会社を大きくしていくタイプではないと思っています。大手に続くトップテンに入る会社を作れるかといったら、おそらく作れないでしょう。大きなピラミッドを作るよりも、小さな事業体をたくさん持って、総合的に大きくするアメーバ方式のほうが向いている。ですから鑑定会社としてのスケールはここまで。あとはいろいろな事業を組み合わせて伸ばしていくほうが、肌に合っていると思います。
1人の人間ができる範囲には限界があります。中間管理職的スタンスの人を置くよりも、Aさんにはこれだけ、Bさんはこれだけと、職域に区切りをつけたほうが、本人にとってもやりやすいでしょう。そして、がんばったぶんだけ報酬が増えるというしくみにしておけば、本人もやりがいを感じられるし、こちらも管理する手間が省けます」
丸山氏が注力する事業は不動産鑑定業、不動産投資、不動産業。3つの柱で、各事業体をそれぞれ広げていく方向性が、現在軌道に乗りつつある。
若返ってきた鑑定士業界
26歳で鑑定士試験に合格し、31歳で独立開業したとき、丸山氏は神奈川県で最年少の独立鑑定士だった。あれから6年。鑑定士試験合格者の半数以上が35歳以下になるなど、変化が見えている。
「若手が増えている背景のひとつは、将来に対する不安があると思います。私が受験する前、鑑定士受験者は社会人が多い時代が長く続いていました。ところが今は自分で情報収集をして、資格を取得しようと考える『意識の高い学生』が増えたんだと思います」
もうひとつは、何といっても鑑定士が三大国家資格のひとつであることが大きいと指摘する。
「弁護士、公認会計士、鑑定士。三大国家資格の一角をめざそうとしたとき、弁護士は時間がかかる超難関資格、公認会計士は数字が苦手だから厳しそう、鑑定士だったらいけるのではと、受験を思い立つ人も多いと思います。実際、私がそうでした。それも若い人が増えた理由のひとつだと考えています。
資格取得後のキャリアとしては、私が見てきた環境ではまだ独立よりも、転職のほうが多いイメージです。業界全体の約4分の3は転職、残り4分の1が独立開業ですかね。転職する人が圧倒的に多い傾向はありますが、35歳以下で独立する人も周囲にちらほらいます。大和不動産鑑定の後輩でも最近地方で独立した人がいます」
鑑定士は努力次第で受かる試験
独立開業して6年目の丸山氏に、鑑定士のやりがいについてうかがった。
「一番やりがいを感じるのは、訴訟などで弁護士から依頼を受けて、自分の鑑定評価が全面的に認められたとき。継続賃料の評価なら、例えば、こちらが100という数字を提示して相手が70を提示してきたとき、私の100という数字が認められて、和解、あるいはより良い方向になったときが、一番うれしさとやりがいを感じます」
TACのアドバイスで宅建士から鑑定士をめざしたという丸山氏。宅建士の資格を取らずに、いきなり鑑定士試験を受けていたらどうなっていたのだろうか。
「宅建士の勉強範囲には、もちろん鑑定士と重なる部分はあります。でも、それは鑑定士試験の10分の1ぐらい。10分の1をカバーするだけなら、宅建士を受けずに鑑定士を受けても、すぐに10分の1は補完できるので、いきなり鑑定士でも問題ありません」
効率とスピード重視の丸山氏らしい意見だ。厳しい現実を見てきたからこそ、甘いセリフは言わない。率直な丸山氏は、まさに次世代を担う鑑定士像なのだろう。後輩へのメッセージも、厳しく現実を突きつける。
「鑑定士をめざしてTACに通っている受験生は、TACの問題だけやっておけばOK。それだけしっかりこなしておけば受かります。鑑定士は努力次第でだれでも受かる試験だと思います。才能やセンスではなくて、受からなかったとしたら、それは自身の努力が足りないだけです。
鑑定士の資格自体はなくならないと思いますが、取得したら明るい未来があるのかと聞かれると難しいですね。正直、本人次第だと思います。
ただし、私のように何も持っていない、行き当たりばったりで生きてきた人間からすれば、この資格を取得したことは大きな転換点になりました。自信につながったのも事実です。資格をジャンピングボードに、キャリアチェンジや自信をつかんでください」
[『TACNEWS』日本のプロフェッショナル|2024年10月 ]