特集 専業主婦からの社会復帰
川崎 朋子(かわさき ともこ)氏
中小企業診断士
関西大学卒業後、外資系大手製薬会社で医療用医薬品の営業職に従事。マーケティングリサーチカード1位、育児短時間勤務制度利用者ながら目標進捗率トップ、最優秀営業所賞受賞など、多くの実績をあげたのち退社、その後8年間専業主婦生活を送る。中小企業診断士をめざして勉強を始め1年目で1次・2次試験を突破し資格取得。2016年、登録と同時に独立開業。2019年、認定経営革新等支援機関として認定。開業5年目にして150社以上の企業支援を実施、うち、経営支援計画は50社以上。コロナ禍でも飲食業支援で前年同期100%超えの実績を上げるなど、実務改善力に評価が高い。コンサルティングと並行してセミナー・講演や、執筆等の実績も多数。
男女協働時代と言われる今も、結婚、出産、介護などによるライフステージの変化は、女性にとって大きな影響力をもつ。現在、中小企業診断士として活躍する川崎朋子さんは、大手製薬会社のトップ営業職をやめ専業主婦として8年過ごしたのち、社会復帰に向けて中小企業診断士資格を取得し、再び働き出した。営業マン時代に培ったノウハウと、専業主婦としての生活感覚、そのどちらも現在の仕事に活かせていると語る川崎さん。まったくの知識ゼロから学習をスタートし、1年でストレート合格を勝ち取った川崎さんに、短期集中で資格取得するためのポイントや、中小企業診断士として心掛けていること、仕事のやりがいなどについてうかがった。
氷河期の就職からトップ営業MRへ
──現在、中小企業診断士(以下、診断士)としてご活躍中の川崎さんですが、新卒のときは大手製薬会社に就職されています。学生時代はどのようなキャリアプランをお持ちでしたか。
川崎 現在大学生の皆さんは、コロナ禍で就職活動に悩まれていると思いますが、私が就職活動をした20年程前も似たような状況で、ちょうど就職氷河期のどん底と言われた時代です。私のような私立文系出身者の就職が難しいことはわかっていましたから、とにかくどこかへ就職できれば十分だと思っていましたね。当時はSE職の募集が多かったので、最初は国内外のITベンダー企業を中心に応募していましたが、ゼミの教授から「MR」という製薬会社の医療用医薬品の営業職の存在を教えてもらい、興味を持ちました。調べてみると、200~300名単位でMRの募集をしていた製薬会社があったので、それだけの規模であれば文系出身者の採用もあるかもしれないと思い応募したところ、就職が決まったのです。当時はキャリアプランというより、「もがいてでも社会人になろう」という感じでしたね。
──その会社で、入社初年度には「マーケティングリサーチカード全国1位」を達成されたとうかがいました。
川崎 はい。マーケティングリサーチカードというのは、営業先でどのような話をしてどのような反応があったかを報告するための書面で、全営業員はこれを月に2枚以上提出することが求められていました。いわゆる営業成績とは違うものですので、とにかく営業先を数多く回れば、提出枚数を稼ぐことができます。当時私の在籍していた営業所には新入社員が4名配属されたのですが、「数を集めればいいのだから、みんなで月に10枚以上書こう」という話になりました。そうして「絶対全国トップになってやる」という思いで毎月取り組み続けた結果、本当にトップになれました。売上と関係ないとはいえ、営業先と話す機会を増やさなければ取れない成績ですね。
──その機会を作るため、工夫もされたのでしょうね。
川崎 そうですね。このときの経験があったから、医師が何を求めていて、患者さんが何を必要としているか、どうすれば医師に話を聞いてもらえるのか、そして効率よく営業できるかという意識を、入社1年目から持つことができたと思います。私の営業エリアでは大手製薬会社が数社競合していたので、その中にどう食い込んでいくか、どう自社の薬に切り替えてもらえるかが課題でした。まずはどの会社の薬がどこのクリニックでどれだけ処方されているかをリサーチし、そのうちの何割をうちに切り替えられるのか、他の会社の売り方に対して自分達はどうプロモーションすればいいかといったことを考えながら取り組みました。リサーチ、分析、策定、実行という営業の進め方は、今の仕事にもそのまま通用するメソッドだと思います。
時短勤務で進捗率全国トップと最優秀営業所賞
──MRとして活躍されていた時期に、ご結婚もなさったのですね。
川崎 はい。25歳のときに結婚して26歳で出産しました。出産前は、高血圧、高脂血症、呼吸器疾患、感染症、アレルギーなどの治療薬といったメインの医薬品の営業を担当していたのですが、育児休暇を取って職場復帰したときには、支店長に「もうあなたの帰る場所はありませんから」と言われました。今ならハラスメントになる発言ですが、15年前の製薬会社といえば今よりもずっと男性中心文化でしたから、仕方なかったですね。私はメインの医薬品を外れて、眼科や皮膚科などの医薬品へ担当変更になりました。1日5時間の育児短時間勤務です。全国の営業マンが1,500人いたにもかかわらず、子どもを育てながら働いている女性MRが当時社内で10人いるかどうかの時代でしたから、復職したときは「そんな短い勤務時間で営業成績が上げられるわけがない」みたいな雰囲気がありました。当たり前ですよね、他の方は朝から晩まで働いているわけですから。では実際、短時間勤務でどうやって売上を上げていったかというと、自分の使える時間が1日5時間しかない以上、自分の営業活動はもちろんのこと、他の人の時間も使うしかないと考えました。MRは、自分の担当エリアの中で、既存顧客への営業活動を行いながら、まだ自社製品がほとんど使われていない病院をランキングして営業をかけていくのですが、このとき私は、自分の担当外であるメイン医薬品も売っていたのです。もともと出産前の数年間はメイン医薬品の担当だったので高血圧薬も感染症薬も売り方は知っていますし、眼科でも皮膚科でも、アレルギー内服薬は処方されているのですから、自分の営業成績にはならなくとも、会社全体で考えれば営業のチャンス自体はあるわけです。例えば眼科を訪問してアレルギー薬を売ります。そうすると、社内でそうしたメイン製品を担当している人に感謝されますよね。そこで「代わりにあなたの担当エリアでも私の薬を売ってね」とお願いしたのです。こうして、時短勤務をしながらでも、目標進捗率トップの成績を上げて、私のいた営業所は最優秀営業所賞を受賞しました。
──しっかり結果を出していたのに、なぜ退職されたのですか。
川崎 営業成績も上げるだけ上げて十分やりきりましたし、これだけできるのなら、会社をやめてもきっとやっていけると思ったからです。子どもがすごくかわいかったので、こんなにかわいい時期に、わざわざ人に預けてまで会社で冷たい風を浴びながら仕事をしなくてもいいだろうと思って、子育てを優先する時期だと判断して家庭に入りました。専業主婦になり子どもと関わる時間をたくさん持つことができて、かわいい盛りの子どもをそばで見守れたのは本当によかったと思っています。
「1年で資格を取る!」と決意
──8年間の専業主婦生活ののち、再び働くことを決めたきっかけは何だったのでしょうか。
川崎 夫が海で事故に遭ったことです。たまたま居合わせたお友達やライフセイバーの方々のお陰で一命を取りとめましたが、一時は心肺停止という大事故でした。このとき、わが家の稼ぎが主人に頼りきりで「一馬力」になっていることに気づき、危機感を覚えたのです。もともと子育てがひと段落したら仕事復帰しようと思っていたので、これを機に行動に移すことにしました。働き始めるにあたっては、もう一度正社員になるという選択肢はなかったですね。子連れの女性を正社員で雇う会社はないと思いましたし、契約社員や派遣社員の場合、任される仕事は定型業務であることが多いでしょうから、性格的に合わないことがわかっていましたので、働くのであれば起業しかないだろうと考えました。そこで、当時住んでいた市が開催する創業スクールに参加することにしたのです。
──それが診断士資格の取得をめざすきっかけになったのですね。
川崎 はい。診断士という資格があるということ自体、この創業スクールで知りました。起業したいという思いがありながらも、何か具体的にやりたい事業が決まっていたわけではなかったのですが、創業スクールで起業への熱意を持つ人たちに触れるうち、むしろ私はこうした人たちのサポートがしたいと思うようになりました。でも、専業主婦が「経営支援します」と言っても誰も聞いてくれないでしょうから、経営コンサルタントの国家資格である診断士の資格を取ろうと考えました。ちょうど夫が埼玉県へ転勤になったので、転居を機にTAC大宮校の『1・2次ストレート本科生』のコースに申し込みました。最初から「やるなら絶対1年で合格する!」と決めていましたので、創業スクールの担当者に「1年で資格を取って帰って来るので、そのときは講師にしてください」とあらかじめ話しておきました。「1年」という期間については、合格できる自信があったということではありません。飽きっぽい性格なので長期間勉強を続けるのは到底無理だと思ったからです。
──どのように受験勉強を進めたのですか。
川崎 7科目ある1次試験の学習内容について、私には基礎知識や簿記知識がまったくない状態でした。TACで最初に企業経営理論を受講したあとに記述式で出題される2次試験の事例Ⅰを解いてみたら、まったく歯が立ちませんでした。このままで一発合格は絶対無理だと思ったので、当時担当してくださっていた津田まどか先生(現在はTAC名古屋校担当)に相談しましたね。先生からは、受講生仲間で勉強会を行って毎週勉強するようアドバイスをいただきました。たしか「月100」という、1ヵ月に必ず100時間勉強せよという掟です。専業主婦は会社勤めの方よりは時間がありますから、そのぶん勉強時間も確保することができます。ただ、私の合格までの総学習時間1,600時間というのは多いとは思いますが、その中で座って勉強していた時間はおそらく半分くらいです。平日は子どもが学校に行っている間に勉強できましたが、勉強仲間から「『音声DLフォロー』を使えば、講義の音声をスマートフォンのアプリで2倍速で聴ける」と教えてもらったので、机に座って勉強できないときや家事をしている間はいつも2倍速で講義の音声を聞いていましたね。あとは、収録された講義映像をWebで見られる「Webフォロー」を予習用に使い、実際の講義でしっかり聞くべきポイントや直接質問したいポイントを把握した上で、教室での講義に参加していました。そして週末の午前・午後はTACで講義を受けて、夕方から夜間は勉強仲間と一緒に2次試験対策です。1次試験の勉強と並行して最初から2次試験対策をやったのはすごく効果的でしたね。基本講義のときから2次試験を意識した学習の仕方ができたのが、ストレート合格の可能性を押し上げたと思います。
仕事の実績が次の仕事を呼びこむ
──そうして合格後は、すぐに開業していますね。
川崎 2016年4月1日に診断士登録をして、自宅で事務所を開業しました。とはいえ最初の頃は「コネ」も「ツテ」も「アテ」もない状況でしたから、この先どうやっていこうかなという感じでしたね。約束どおり創業スクールの講師はやらせていただくことができましたので、その他はプロコン塾(プロフェッショナルコンサルタント養成塾)等で経営者の方を取材する執筆のお仕事をしたり、診断士の先輩のご紹介で仕事をやらせていただいたり。初年度は売上が300万円にもならず厳しいスタートだったと記憶しています。
──そこからどのように仕事を拡大したのでしょうか。
川崎 事業拡大の最初のきっかけは、診断士の先輩から、埼玉県が行う経営革新計画の策定支援の仕事に誘っていただいたことです。「あなた埼玉に住んでるんでしょう?あなたなら支援をやれそうだから来ない?」と言われて、埼玉県の商工会議所と商工会から新人として初めて5社ほど、経営革新計画を担当させていただいたのですが、お仕事でご一緒した診断士の先輩から「中小企業の支援が優れている」と評価していただいて、東京商工会議所にも専門家としてご推薦いただきました。商工会は横のつながりが強く、「いい先生いない?」といった情報交換があるので、実績をあげれば次の仕事をご紹介いただけるのです。
そして仕事がさらに大きく広がるきっかけになったのは、埼玉県全域の商工会議所と商工会から1名ずつ代表が集まる会で、私がお世話になっていた県の経営指導担当者の女性に誘っていただいて参加しました。その会では診断士1名につき1~2分のアピールタイムがあったのですが、そこで「私は元営業マンです。商品もサービスもいいのにそのよさを分かってもらえず、売上が上がらないという方がいらっしゃったら、ぜひ私に営業支援させてください」と話したのです。それから一気にオファーが増えましたね。実は診断士は、金融機関やIT関連の方が多く、意外と営業上がりという人は少ないのです。会があったのが初年度の終わる2~3月頃で、それ以降メールや電話で次々にご依頼が来るようになりました。正直に申し上げますと、当時は子どもがまだ小学生でしたから、2~3年かけて少しずつ仕事を増やしていけばいいと考えていたので、開業してすぐ、これほどお仕事がいただけるとは思っていませんでした。
──予想外の忙しさで、ご家庭のほうが大変だったのではないですか。
川崎 大変でしたね。放課後の子どもの面倒が見れませんので、塾へ行ってもらい、やりたいと言っていたテニススクールにも通わせました。夜9時頃に子どもが塾から帰ってくるので、私はその前に滑り込みで帰宅、といった毎日。家事については、乾燥機付き全自動洗濯機や食洗器をフル稼働したり…お金で解決した面も結構ありましたね(笑)。協力してくれた家族には本当に感謝しています。
──そうして依頼を受けた支援先を何件も黒字化したとうかがっています。
川崎 バイリンガル幼稚園は半年位で黒字化しました。介護業者さんも黒字化できましたし、建設業者さんの支援では売上高を4倍にしたことがあります。短期間でこれだけ大きな成果が出るのは、もともとその企業に強みがあるのにうまく活かせていない場合が多いですね。私は「事業の強みを見抜く力」と「市場のスキマを見つける力」はあるほうだと思っていますので、計画策定しながらアドバイスさせていただくと急激に伸びます。実際、バイリンガル幼稚園の経営者は若い方で提案もすぐに実行してくれましたので、私も次々に新しい手を打てました。建築業者さんの場合は、社長がとにかく優秀な方でしたね。少しご提案しただけで全部実行してしまう。おつき合いさせていただいて4年になりますが、おひとりで起業されてから、現在は営業部、技術部、総務部のメンバーや社長以外の役員も増えましたし、建築業許可も取得されて、かなり組織体制ができ上がってきています。介護業者さんの場合は部長さんが熱心に取り組んでくださって、ご提案に対して毎回レスポンスをくださるので、私も次の手を考えやすかったです。
──事業改善はやりがいがありそうですね。
川崎 ありますね。営業職時代も「こう仕掛けたら売上が伸びるのではないか」と考えて、その通りになるのがすごく楽しかったですし、私は戦術戦略を考えるのが得意です。でも、経営支援計画で50社以上支援をしてきて思うのは、経営計画の策定支援をしても、実行してくださる経営者は少ないということです。一歩を踏み出さなければ現状からは変われないのに、そもそも変えることを怖がるのが人間です。ですから逆に、変えても大丈夫そうな部分から変えて成果をお見せし、変えることは怖くないということを体感していただくのが一番早いと思います。
一例ですが、何年も連続で赤字のお蕎麦屋さんの事業改善を担当したことがありました。初めて訪問したときは、店の中も外も余計なものが多すぎて、そのお店の強みが埋もれてしまっていました。蕎麦屋なのに、店外のディスプレイで一番目立っているメニューは「鍋焼きうどん」だったり、お客様が食事をする場所のすぐ横に調理場で使う物が置かれていたり、店内は和風なのにテイストの合わない装飾品があちこちに置かれていたり。そうした「もったいないところ」を全部変えていきました。お客様が蕎麦屋で食事をするという場面にふさわしくないものはいったんすべて整理して、代わりに墨で「今月のおすすめ」と書いて、旬のお品書きを貼ってみてくださいとご提案しました。例えば「今月のおすすめ タラの芽の天ぷら」といった具合です。親子2代で厨房に立つお蕎麦屋さんなのですが、先代のご主人は当初、私の提案に対して全然ウェルカムではなかったですね。お蕎麦屋さんなのにカキフライ定食や酸辣湯など、和洋中様々なメニューが300種類近くあったので、ここも改善しようと思ったのですが、それらはすべてお客さんからの「このメニューが食べたい」という希望に応えるためのものだということで、数を絞るのは難しいと。そこで、数は減らさずに、より蕎麦屋らしさが伝わるお品書きを作っていただこうと考えました。お品書きを広げた最初の見開きに、「天ぷらとざる蕎麦」「天ぷらと温かいそば」の2品を大きく載せてみてくださいとご提案したのです。そして実行していただいたところ、狙い通り、見開きの2品と旬の天ぷらを注文するお客様が増え、オーダーがまとまるので仕込みの手間が減り、原価率も下げることができました。やり方を変えて実際に売上が伸びると、お店の方も事業改善に本気になってくださいましたね。このお店も、1年かからず黒字を出しています。「この人が言うことは本当らしい」と思っていただければ、その後のアドバイスも実行してくれますから、いかに小さいステップでその最初のきっかけを味わってもらえるかがポイントだと思います。
コロナ禍の飲食業で前年同期比100%超えの売上を実現
──コロナ禍の飲食業支援でも実績を上げているとお聞きしました。
川崎 はい。何件か前年比100%超えの売上を達成しました。一番成績のよかった店は、コロナ前の7月と2020年7月を比較して110%、11月には144%、感染再拡大の12月も121%を達成しています。
──素晴らしい成果ですね。
川崎 1つの施策だけではここまでの成果は出せないので、状況に応じて手を打ちました。当時私は4軒の飲食店を支援していましたが、3月の支援で皆さんに、「新型コロナウイルスは数ヵ月では何ともなりません。最低1年は見越した経営計画を考えましょう」とお伝えしました。私は前職が製薬会社のMRでしたから、薬やワクチンはそう簡単に開発できないし、仮に開発できたとしても日本が十分量を確保するまでには時間がかかるとわかっていたからです。その頃はまだ「夏が来れば状況はよくなるのではないか」と考えていた人が多かったですが、私は長期的な目線での対策が必要だと言い続けていて、結果、最も積極的に動いてくれたお店が、一番好成績を上げていましたね。
テレワークや外出自粛により店内飲食が減れば、テイクアウトに力を入れ始める飲食店が増えることは容易に想像できましたので、早い段階で、どう差別化して存在感を大きく打ち出すかを考えました。そして、「今もっとも求められているのは清潔、安心、安全だ」ということから、お醤油などを入れる小さなタレ瓶に、小分けした消毒液を入れ、テイクアウトのお客様にご提供することを提案しました。その頃といえばドラッグストアの店頭からマスクや消毒液が消えていた時期ですから、その気遣いは絶対にうれしいし、心に残るはず。そうすればコロナ禍が落ち着いたあと、「この店は気が利く店だ」とお客様が戻って来るからとお話ししたのです。また同時に、SNSを使った広報にもかなり力を入れてもらいました。2020年の春先、各地で桜祭りが中止になりましたが、個人的に桜を見に来る方は少なくなかったので、SNSを見て来店されるお客様がいるはずだと考えたのです。こうした施策の結果、味のよさも広まり、緊急事態宣言が明けた7、8月頃には、遠方からでもお客様が来てくれるようになりました。
──いくつもの施策を組み合わせることで、コロナ禍でも前年超えの売上を達成できたのですね。
川崎 その後も、いろいろな手を打ちましたね。飲食店や小売店の最大の弱みは、顧客名簿がないことです。イベントをするにも新メニューの案内をするにも、それを安価でお知らせできる手段がない。ですから緊急事態宣言が明け、お客様が来店するようになってからは、新規のSNS登録者をさらに増やしていけるようご提案しました。冬にはまたコロナウイルスの影響が強まり外出できなくなるので、その時期に顧客に直接広告を打てるよう、夏までに下地を作っておくためです。また、高齢者が多い地域でしたので「外出自粛で子どもや孫に会えないから、代わりにLINEでやりとりしたい、でもやり方がわからない」という方もいるだろうと考えて、お店のお座敷で行う「ランチ付きLINE講習会」を企画しました。お持ちのスマートフォンにLINEアプリをダウンロードして使い方をランチ付きでレクチャーするのです。当然、参加した方はお店のアカウントを登録してくれますから、安心して外食できるようになってから「ご家族来店クーポン」などをお送りすれば、お子さんやお孫さんとも一緒に来てくださるはず、という施策です。
営業視点で実務改善できるコンサルタント
──あの手この手のアイデアが続々と出てきますが、手法を真似されて困った、ということはありませんでしたか。
川崎 気にしていません。本質的なことが理解されていなければ結果はともなわないからです。また営業施策は、正しいタイミングで実行するからこそ効果があるので、あとから遅れて真似するだけで同じ効果が出ることはありません。経営支援で大事なのは、直接の支援先だけでなく、そのまた先にいるお客様や、エンドユーザーのニーズを常に先読みして考え、手を打っていくことだと思います。営業職時代も、医師の先には患者さんがいて、その方々が喜ぶにはどうすればいいかと考えて営業戦略を組み立てていました。一般的に経営コンサルティングというと「無駄なコストを削減しましょう」とか「高単価な商品を作って販売強化していきましょう」というのが、診断士試験にも出てくる経営改善のセオリーです。でも、さらに踏み込んで、もっとお客様のことを観察して、お客様が何を求めているかを本当につかんだ施策を打てば業績は上がると思います。そこを自分は一番大切にするようにしています。
──今後についてどのようなビジョンをお持ちですか。
川崎 開業4年間で数多くの経営支援をさせていただきましたが、大部分が小規模事業者やスタートアップ企業、ベンチャー企業でしたから、今後はもう少し大きい企業の経営改善を手掛けたいと考えています。企業規模が大きければ、小規模事業者とは違った施策を考えることができますし、スケールメリットを活かして大幅な売上高アップを狙えます。今コロナ禍で経営的に行き詰まっている企業は多いと思いますが、私は財務内容も見ることができますし、事業改善もサポートできます。そこは私がお力になれる部分だと思っています。
──資格を取ろうと考えている方やキャリアを模索中の方にメッセージをお願いします。
川崎 私自身は診断士として開業することが最も性格に合っていたと思うので、この資格を取ってよかったと思っています。今は将来のキャリアに迷っていらっしゃる方も多いと思いますが、どうしたら自分が一番輝けるのか、資格を取った先にある仕事は自分がやりたいことなのかなどを見極めながら、先を考えるといいのではないかと思います。そして今後の道が見えたら、ぜひ自分を信じて突き進んでください。
[『TACNEWS』 2021年5月号|特集]