日本のプロフェッショナル 日本の会計人|2022年2月号
矢﨑 誠一 氏
税理士法人矢崎会計事務所
代表社員 公認会計士・税理士
矢﨑 誠一(やざき せいいち)
1982年、東京都練馬区生まれ。2005年、立教大学法学部卒業。2006年、公認会計士試験合格。同年、監査法人トーマツ(現:有限責任監査法人トーマツ)に入社。1兆円規模の大企業から中小企業まで幅広い企業の監査を経験。2011年、大手税理士法人に転職し、税務コンサルティング業務に従事。2012年、矢崎会計事務所に入所。2013年、税理士法人矢崎会計事務所設立し、代表社員に就任。
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•『鬼滅の刃から学べ! チームを幸せに導くリーダーのあり方』(ロギカ書房)
自らの事業承継の経験を活かして、事業承継のフェーズにある企業に、スタッフとともに取り組んでいきます。
70年以上の歴史を持つ会計事務所を引き継いだ公認会計士・税理士の矢﨑誠一氏。経営面では苦労の連続だったという引き継ぎ当初から、様々な工夫を重ね2年でV字回復を果たした。矢﨑氏はどのような手を打ち、事務所を立て直したのだろうか。資格取得の経緯も含め、若き3代目代表の奮闘と今後のビジョンをお届けしたい。
会計士に合格してポジティブな人間に
70年以上の歴史を持つ税理士法人矢崎会計事務所を3代目代表として率いるのは、公認会計士(以下、会計士)・税理士の矢﨑誠一氏だ。祖父である久雄氏が練馬の地で開業して地域密着で成長し、父の一郎氏が引き継いだという老舗の会計事務所の息子に生まれた矢﨑氏は、自宅の1階が会計事務所という環境で生まれ育ちながらも、父から会計事務所を継いでほしいと言われることなく中学・高校時代を過ごしてきた。
高校時代は陸上部に所属して、トレーニングに明け暮れたが、練習では良いタイムを出せるのに、大会では力を発揮できず結果につながらない。一層トレーニングに力を入れるようになった矢﨑氏だが、ハードな長時間のトレーニングが影響してか、怪我に悩まされるようになり、椎間板ヘルニアまで患った。
「悪循環に陥りました。これからの将来、自分はきっと何をどんなにがんばってもうまくいくことはないだろう。『努力は報われないもの』なんだと思い込んでしまい、どんどんネガティブな感情が心の奥底に形作られていきました」
大学は立教大学法学部に進学。その頃にはいろいろな企画を立てることが好きになっていた。サークルのイベントや飲み会の企画、コントを作って仲間へ披露することに楽しみを感じていた矢﨑氏は、将来はイベント会社か広告代理店に進むだろうと漠然と思っていた。その考えが変わったのは母親が亡くなったことがきっかけだった。
「20歳のとき、母がくも膜下出血で突然亡くなりました。そのときになって、今まで何も親孝行できていなかったことに気づき、めちゃくちゃ後悔しましたね。
そんなタイミングで、父と仕事の話をする機会があり、このとき初めて会計士という職業や家業について知りました。その話を聞き、『父と同じ会計業界に進むことで、父も天国の母も喜んでくれるだろう』と思って、会計士をめざすことに決めたのです」
とはいえ法学部の矢﨑氏は会計に触れたこともなく、簿記のボの字も知らない状態だった。
「突然の方向転換でゼロからのチャレンジでしたが、高校時代に部活で挫折してネガティブな人間になっていた自分が、会計士に合格することでポジティブな人間に生まれ変われるのではないかという思いもありました」
勉強方法の見直しとメンタルの強化
こうして会計士受験に挑戦することになった矢﨑氏は、大学3年の12月からTACで学び始めた。照準を合わせたのは大学を卒業する年の会計士試験だ。
「勉強を始めてみたものの、もともと数学は苦手でしたから数字を扱う簿記や管理会計は苦労しました。試験1ヵ月前の答練(答案練習)では偏差値30しか取れなかったほどです。
当初の勉強方法は陸上部のときと同じで、とにかく量をこなすことでした。天才肌ではない自分が会計士試験に合格するためには、たくさん勉強することが大事だと思っていたのです。だから、日本で一番勉強しようと決意して、1日10時間~14時間ほど勉強していたのですが、答練では全然点数が伸びないし、勉強時間が自分の半分くらいの仲間のほうが良い点数を取っていました」
これでは絶対に合格できないと気づいた矢﨑氏は短答式試験に向けて、勉強方法を見直した。そこで考えついたのは、とにかく「短答式試験本番で自信を持って問題を解ける状態にしておくこと」だった。
「1回目で正解したのに2回目に解いたときに不正解となった問題、つまり1回目は『たまたま解けてしまった問題』を、正解したからOKだと放置しないことが大切なのです。本番での得点力を身につけるためには、自信を持って迷いなく解ける状態にしないといけないということに気づき、答え合わせの仕方を見直しました。単に〇や×をつけるのではなく、①完全正解、②ほぼ正解、③不完全正解、④不正解の4段階で解いた問題を仕分けることにしたのです。①完全正解は、本質的に理解しており、試験本番で同様の問題が出ても正解できるので、もう勉強しなくて大丈夫な問題。②ほぼ正解は、短期記憶を頼りに正解したため、試験本番では忘れている可能性が高い問題です。そこで短期記憶が消えると言われる2週間後に復習して、完全正解になれば外し、不正解なら再度勉強します。③不完全正解と④不正解の問題は、①完全正解の状態にたどり着くまで繰り返し解きます。何がわからないのかをしっかり分析して、教科書などに戻り本質的に理解できるまで勉強しました。そして試験前日まで③不完全正解と④不正解だった問題は、試験当日に勉強して、短期記憶で解ける状態にしたのです」
量から質への転換とも言える勉強方法の見直しだが、勉強時間は減らさなかった。それは「日本一勉強しているという自信」がモチベーションにつながっていたからだ。
また、矢﨑氏は勉強の定休日を設けずに勉強していたという。
「他の方は定休日を用意されている場合が多かったので、初めは私もその方法でスケジューリングしてみました。ただ当然定休日は休むわけですが、そうすると勉強する予定の日で急にやる気を失ったときに融通が利かず、休みばかりが2倍に増えてしまったのです。この反省を踏まえて、それからは定休日を作らず、電池が切れたときに休むという形にしていました。とにかく、自分に合った勉強スタイルで取り組むことがモチベーションの維持につながると思います」
自分に合った勉強法を見つけた矢﨑氏は短答式試験を一発で突破。論文式の1回目の受験は、緊張で頭が真っ白になり、ケアレスミスを頻発したことが影響して不合格になったが、さらなる勉強方法の見直しとメンタルの強化も行い、2回目の受験で見事合格を果たした。
「受験中は食事やメンタルトレーニングについても勉強しました。チョコレートは血糖値を上げたあと、急激に血糖値を下げるため、集中力が持続しないので避ける。試験本番でストレスを感じてパフォーマンスが落ちないように、トップアスリートのようにルーティンを作ると良い、など調べたことをいろいろ実践していましたね。また、試験の3週間前からは、実際に試験が行われる時間を意識して勉強していました。例えば、簿記の試験が9時に始まるとしたら、9時に簿記の勉強を始めるといった具合です」
2回目の論文式試験で手応えを感じて終えることができた矢﨑氏は、合格を確信してしばし、今までできなかった海外旅行などで羽を伸ばして過ごしていたという。
親孝行は完結していなかった
無事に会計士試験に合格した矢﨑氏は、監査法人トーマツ(現:有限責任監査法人トーマツ)に入所した。
「厳しい環境で仕事をすることが、早く自分の実力をつけるために役立つと考えていました。そこで一番体育会系で実力を鍛えられると評判を聞いたトーマツに入りました。
12月に入所したのですが、当初は仕事が自分のところになかなか入ってこなくて悩みました。そこで年明けの新年会で『たくさん仕事したいです!』とアピールしたところ、仕事をもらえるようになりました。そのときに親身になってくれた先輩がいて、今でも師弟関係が続いています。その先輩は今トーマツのパートナーになっていますね」
監査法人に入るとき、矢﨑氏は父の会計事務所を継ぐことはまったく考えていなかった。会計士試験の合格で親孝行は完結したと思っていたからだ。だから、その先輩のように監査法人の中で成長していきたいと考えていた。
1兆円規模の大企業から中小企業まで幅広い企業の監査を経験し、充実していた矢﨑氏。だが、会計士登録を終えたトーマツ勤務4年目のとき、父親が脳梗塞を患った。幸いなことに命に別状はなかったが、多少の言語障害が残ってしまった。
「父が倒れたとき、最近は父ともあまり話をしていなかったなと思いました。父が退院してからは、あとで後悔はしたくないという思いで、一緒に呑みに行くなど積極的にコミュニケーションを取るようにしました。いろいろ話をしていた中で『会計事務所の跡を継いでほしい』と言われたのです。それを聞いて『ああ、親孝行はまだ完結していなかったのか』と思いました」
父親の思いに応えるべく跡を継ぐことを決心した矢﨑氏は、税務を学ぶためにトーマツを退職。現在とは状況が異なり、当時は会計士を受け入れてくれる税理士法人は少なかったというが、修業のために大手税理士法人に転職した。その税理士法人は北海道に本社があり、東京進出間もない時期。矢﨑氏もクライアント獲得に奔走したという。つらい部分もあったが良い経験ができたと振り返る。
「でもその時期、父の脳梗塞の後遺症が思った以上に深刻だったことがわかりました。実は当時、父の事務所で受託
していた大型の相続案件について、不安を感じたお客様がセカンドオピニオン、サードオピニオンを取っていたようで。結果、数億円規模で相続税の金額が間違っていると指摘を受けました。これには父も参ってしまったようで、早く帰ってきてくれと頼まれたのです。腹をくくって急遽、税理士法人を退職して、矢崎会計事務所に入社しました。税理士法人に入所して約半年後、2012年のことです」
わずか半年の税務の経験で父の会計事務所に入った矢﨑氏を待っていたのは、ミスを指摘された大型の相続案
件の取りまとめだった。
「相続の経験がないにもかかわらず、大型の相続案件を取りまとめることになったため、必死に勉強しました。お客様が依頼したセカンドオピニオンの税理士法人に呼び出され、大勢の税理士の方々に取り囲まれて大小合わせて20ヵ所もの間違いを指摘されました。相続税の難しさを痛感しましたね。それからはかなり相続の勉強をしましたし、トーマツの先輩がやっている相続専門の税理士法人にも教えを乞いました」
父の事務所を継いでのスタートは大変だったが、そこから相続は業務の柱のひとつになった。
適材適所で組織を作る
矢﨑氏が父の会計事務所に入った当時、法人のクライアントは約120件、確定申告が約200件、スタッフは矢﨑氏と父を入れて12名という体制だった。もともと会計事務所を始めた祖父は練馬区の区議会議員も務めており、何をしなくてもクライアントは増えていくような状態。また、昔ながらの地域に根差した老舗会計事務所だったため、営業活動を始め、新たな取り組みなどは一切行っていなかった。会計事務所にもIT化の波が押し寄せていた頃だったが、その波にはもちろん乗れていない。厳格に税務申告業務を行ってきていたが、申告以外の相談には乗らず、こちらからクライアントに何かを提案することもない。矢﨑氏が事務所の決算書を遡って見ていくと、なんと矢﨑氏が入るまでの10年間で5,000万円もの売上が落ちていた。多い年だと年間で1,000万円落ちていた年もあった。
「事務所の番頭税理士が父の右腕となり、事務所とお客様を守ってくれていました。ただ前時代的な体制だったことは否めず、他の会計事務所がお客様ファーストの“サービス業”に変わっていく中で、体制も意識も過去に取り残されてしまっていました。僕が入る前は、Excelやメールすら使っていませんでしたし、パソコンはありましたが、会計ソフトの入出力専用でした。日報は手書きで、毎日、上長の判をもらうやり方でした。約10年前のこととはいえ、時代の変化に対応した会計事務所の姿とはほど遠いものでしたね。トップダウン型で、スタッフも指示待ちが当たり前になっていました」
こうした前時代的な体制、対応にクライアントの不満も溜まっていた。クレームか解約の電話が入ってくる毎日。まずはそれに一つひとつ対応し、クライアントに出向き頭を下げるのが矢﨑氏の仕事になった。
「その頃はとにかく現状を変えなければという使命感しかありませんでした。ただ、税理士業界での経験が浅く、どうしたらいいかわからなかったので、いろいろな会計事務所を見せてもらい、成功している会計事務所では何をしているのかを学んでいました」
やるべきことを考えた矢﨑氏は、まずはスタッフ全員の気持ちをひとつにする必要があると考えた。
「スタッフ全員と一人ひとり話をしました。仕事のどんな部分を楽しいと思っているのか、仕事で何を求めているのかなどを聞いたのです。すると『お客様に喜んでもらいたい』という答えが共通していました。これは僕と同じ気持ちだと気づき、それならみんなで団結してがんばれるはずだと思いました。そしてヒアリングしたスタッフみんなの思いも反映して、お客様の『笑顔を結ぶ幸せの懸け橋』という経営理念を作り、事務所の改革に乗り出しました」
スタッフ一人ひとりと話し、一緒に仕事をして信頼関係を構築する。一緒にがんばっていこうという雰囲気を作りながら、仕事を進めていった。父の事務所に入った翌年には税理士法人化を果たし、安心して働いてもらえるように体制面も整えていった。
「私たちが法人化を果たした2013年はちょうど世の中でクラウド元年と言われた年でした。私たちも何か強みがほしいと考え、ITに強い事務所にしようとすぐにクラウドサービスを導入しました。現在では20数個のクラウドサービスを使っていますが、導入を始めた当初、ベテランのスタッフは特に大変だったと思いますね。ほとんどパソコンを使っていなかったのに、それがいきなり“クラウドサービス”でしたから。皆よくついてきてくれたと感謝しています」
スタッフの長所を把握して、その長所をどう引き出すかを考えるのは矢﨑氏の仕事。税務が得意な人、情報整理が得意な人、コミュニケーションが得意な人など、スタッフを適材適所で配置していくと、「これがやりたかった」とうれしそうに言ってくれるスタッフもいた。
「適材適所で組織を作り、自分なりの運営ができるようになったのが2015年頃です。そこからは新しい風も必要と考え、採用活動にも力を入れ始めました」
スタッフには提携先という武器を
ITに強い会計事務所、相続に強い会計事務所というだけでなく、もうひとつ事務所の特長を作りたかった矢﨑氏は「飲食業に強い」というブランディングを展開することにした。
「それまで特に飲食店に強かったわけではありませんが、事務所の最寄り駅、西武池袋線の江古田駅周辺の飲食店が次々に入れ替わっていることに着目しました。店のオーナーと話してみると、複数店舗を持ちたいと考えている方も多くいました。しかし、飲食店は一般的に、開業後3年で3割、10年で1割しか残らないと言われていて、夢を持って開業しても一瞬でつぶれてしまい、残ったのは借金だけというケースも多々あります。それなら何かできないか、うまく夢を実現するお手伝いがしたいと思い、そういった飲食店のオーナーをターゲットにアプローチを始め、『飲食店に強い』というブランディングを行いました」
実は、このブランディングで矢﨑氏が行いたかったのは、飲食店のクライアントを増やすことではなく、“少し尖ったところがある事務所だ”と感じてもらうことだった。結果、飲食店のクライアントも増えたが、それだけではなく、飲食その周辺事業、他の業種も増えていったという。
こうして父の事務所を引き継いでから2年でV字回復の軌道に乗せることができた矢﨑氏は、飲食店と相続、そしてITに強い会計事務所として、さらにブランディングを強化し成長してきた。現在、法人のクライアントは約300件、確定申告は400件弱と引き継いだ当初の倍になった。スタッフは総勢26名で、うち税理士3名、会計士(公認会計士試験合格者含む)4名が在籍している。
事務所の強みを作りブランディングを進める一方で、矢﨑氏は数多くの提携先を確保してきた。現在では200を超える提携先とともに仕事を進める体制ができているという。
「税理士業を始めた最初、お客様は本当になんでもいろいろなことを税理士に相談するのだと驚きました。その相談をなんとか解決したいと、必死に勉強して解決の提案を行ってきたのですが、一方では経験のない自分の提案が本当にお客様のためになっているのだろうか、最適解なのだろうかと疑問も感じていたのです。むしろ経験ある方に任せたほうが、本当にお客様のためになるのではないかと気づき、そこから提携先を増やしていく方針を取りました」
提携先を増やすことはスタッフのためでもあった。自分で解決しようとすると、必死に勉強して自らの能力を高めなくてはならないため時間と手間がかかる。ところが、お客様の相談に対して、誰に頼めば解決できるかを知っていれば、スピーディで正確な対応にお客様も喜ぶし、紹介した先もお客様が増えて喜ぶし、お客様から自分の事務所も感謝されるという流れができる。提携先という武器をスタッフに与えることで、お客様に喜んでいただける体制ができたのだ。
「その頃は、お客様の経営サポートまで行うMAS(Management Adovisory Service)がもてはやされていて、『これをやらない会計事務所は生き残れない』みたいなムードがありました。私は必死で勉強して、お客様の経営会議に出席するなどしていましたが、これをスタッフにまでやらせるのは難しいだろうと気づいたのです。そもそもMAS業務がしたくてうちに入ったわけではないでしょうし、完全なミスマッチになると思いました。ですから、こういった案件まで手を伸ばすのではなく、“提携先”という武器を身につけてもらい、活用する。紹介したら提携先から紹介料が入るしくみも作り、スタッフの給与に還元できるようにしました」
こうした提携先探しは2013年にスタートし、弁護士だけで10近くというように、同じ士業、業種でもなるべく多くの選択肢を持てるよう配慮している。それはスタッフやお客様との相性を考えてのことだ。もちろん税務の相談を他の税理士や税理士法人に依頼することもあるという。
「スタッフは月次から決算申告までができて、お客様の悩みをきちんと受け止められれば問題ないのです。提携先を管理する担当者も置いていて、その担当者と相談しながら進められるようにしています。つまり、税務の基本ができて、あとはコミュニケーション能力だけを高めてもらえばOKということです」
自身の経験を活かし事業承継サポートに取り組む
現在、事務所内は対クライアント部門2つとそのアシスト部門、資産税部門、総務部門、経理部門に分かれている。スタッフの適材適所を考えながら作ってきた組織は、自分が引き継いで10年近くが経ち、やっと思い描いた姿に近づきつつあるようだ。
「まだまだ発展途上です。やろうと思えばもっとペースを上げることもできるのかもしれませんが、父の代から事務所を支えてくれているスタッフにも、祖父の時代に入ったスタッフにもきちんと生き残って仕事をしてほしいと考えています。ですから改革のスピードアップはしましたが、みんなで一緒に成長していけるスピード加減に気を使ってきました。縁を大切にしていきたいという信念があるので、よく話に聞く『事業承継にともなうスタッフの総入れ換え』みたいなことは絶対にしたくないのです」
今後の方向性としては、スタッフの給与を上げていくために、報酬の単価を上げていきたいという。
「これからは事業承継のフェーズにある企業とおつき合いして、私自身の経験を活かしてスムーズな事業承継をサポートしていきたいと考えています。実際のところ、事務所の事業承継に巻き込まれたスタッフたちもその辺りの課題感や解決法は身を持って理解していると思いますので、全社で取り組んでいきたいですね」
さらに先の将来では海外進出も矢﨑氏の頭にはあるという。
「まずは準備段階として沖縄に出ようと考えています。コロナ禍で動くことができませんでしたが、最初は事務所の別荘など福利厚生で使っていき、そこから周辺企業の相談に乗ったり、資金調達をお手伝したりという形で、最終的に税務の仕事につなげたいと考えています。他事務所で最初から税務の仕事を取りに沖縄に行ってうまくいかなかった例を見ていますので、そこは慎重に進めます。今後、沖縄は物流のハブになっていくでしょうから、人も仕事も増えますのでチャンスだと考えています」
そして沖縄の次は台湾だと矢﨑氏は考えている。
「友人が台湾で起業しており、経営の相談を受けたのですが、現地で適切に相談に乗ってくれる日系の会計事務所が少ないらしいのです。これから台湾で起業する日本人も増えていくと思いますので、マーケティングなども含めてサポートができる体制を作っていきたいですね。もちろん、まずは沖縄で成功してからですが。スタッフも興味を持ってやってみたいと言ってくれれば、一緒に取り組んでいきたいと思っています」
また、矢﨑氏は2022年5~6月の書籍出版の準備も進めている。仮タイトルは『鬼滅の刃に学ぶ次世代のビジネスリーダーのあり方~リーダーシップと組織~』。現在、メディアプラットフォームのnoteで投稿しているコンテンツを軸に、人気マンガ『鬼滅の刃』の物語やキャラクターを通して、移り変わりの激しい現代において、今後活躍する次世代のリーダーが学ぶべきリーダーシップ論、組織論、マネジメント論、コミュニケーション心理学などを楽しく学べる書籍になる予定だ。
まずは練馬で一番に
先に新しい風を入れるために採用に取り組んだという話があったが、現在はどのような状況にあるのだろうか。
「会計事務所経験者を求めていた時期もありましたが、うちのような零細企業に応募してくれる方は少ないのです。そこで業界未経験者、例えば企業の経理担当者や監査法人出身の会計士の採用を行いました。未経験でもポジティブな気持ちで入ってきてほしいと考えています。重視するのはコミュニケーション能力と、うまくいかないことを人や環境のせいにしない姿勢です。入所時には特に資格は必須ではありません。入ってから取りたいという方はサポートしますし、資格を取得した暁には独立開業して、卒業してもらっても構わないと考えています」
コロナ禍の直前には3名続けて採用に失敗したが、ここ2年間は7名の採用に成功している。また、福利厚生面でも様々な制度を整備して働きやすい環境を作っている。
「ポジティブな空気を醸成する取り組みをたくさんしています。ユニークな制度として『称賛の時間』があります。毎月1名のスタッフの良いところを1ヵ月にわたって全員に見てもらい、全体会議で1名ずつ発表していきます。仕事で忙しいとどうしても悪いところばかりに目が行きやすくなりますが、相手のプラスの部分を見つけることで、ポジティブな一体感を引き出していく取り組みです。また誕生日を迎えるスタッフがいれば他のスタッフ全員でメッセージをインターネット上で入力し、まとめて本人に渡しています。組織にとってあなたは必要な存在だということを感じてほしいというねらいがあります。その他にも、『スマイルチーム』を設け、社内の笑顔を増やすために、季節ごとの飾りつけやイベント企画などをしてもらっています」
跡を継ぐことなど考えずに過ごした学生時代。父と同じ会計業界に入り、結果的に3代目となった矢﨑氏だが、そんな自分自身をどのように見ているのだろうか。
「トーマツ時代は仕事ができるほうではなかったと思いますが、父の事務所を引き継いでから、急成長できたと実感しています。その環境を作ってくれた祖父と父には感謝しています。会計事務所で自分の能力も高められましたし、まだまだ伸び代があると思っています。会計士の勉強を始めた頃は、会計業界と自分はミスマッチではないかと思っていましたが、『企画好き』という部分が、今の会計業界には必要になってきていると思っています。確かに事務所を引き継いでから苦労もしましたし、大変だと感じることも多々ありましたが、それがかえって良かったのでしょう。様々なご縁に恵まれ、スタッフも今では精鋭部隊になりました。
祖父の代は練馬で1番の規模だった事務所が、どんどん後退していきました。まずは2024年までに練馬で1番を奪還しないと、次の目標である沖縄・台湾進出もありませんね」
最後に受験生へのメッセージをいただいた。
「私は数学が苦手でしたが、それでも一生懸命に勉強に向き合った結果、会計士となり、会計業界で活躍できています。これからAIが発達すると、この業界はさらにコミュニケーション能力が重要になっていきます。数字が苦手でも、コミュニケーション能力があれば、努力次第で十分に活躍できます。
また、仕事をしていく中で、私の幼稚園・小学校・中学校・高校・大学の友人の相談を受けることも多くありましたが、身近な友人の悩みを解決できることはとてもうれしいことです。こんなに人から必要とされ、お客様が喜んで感謝してくれる仕事はなかなかありません。今は苦しいかもしれませんが、ぜひこの業界に来ていただいてその楽しさをぜひ知ってほしいと思います。がんばってください」
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[note:鬼滅の刃経営研究会] https://note.com/kimetsukeiei/
[『TACNEWS』日本の会計人|2022年2月号]