特集 運用益50億円の元芸人中小企業診断士が語る「資格のコスパ」

氏
Profile

井村 俊哉(いむら としや)氏

株式会社Zeppy 代表取締役社長/CEO
中小企業診断士

1984年、京都府生まれ。群馬大学工学部卒。2005年、大学在学中に株式投資にめざめる。2007年、お笑い養成学校に入所し、芸人活動をスタート。2011年、所属するトリオ「ザ・フライ」が『キングオブコント』で準決勝進出。2012年、中小企業診断士試験合格。2017年、株式投資で通算運用益1億円を達成。2018年、初の著書『年収3万円のお笑い芸人でも1億円つくれた』(日経BP社)を発刊。2019年、株式会社Zeppyを起業。同時にYouTubeで『Zeppy投資ちゃんねる』を開設。2020年、『Zeppy投資ちゃんねる』チャンネル登録者数15万人突破(現在休止中)。2022年、運用益50億円達成。2023年、運用会社設立準備中。

 「億り人」として活躍中の井村俊哉氏が株式投資を始めたのは、大学在学中のとき。きっかけは、大学卒業後に芸人をめざすためだった。コント日本一を決めるお笑いコンテスト『キングオブコント』で準決勝進出という実績もある芸人活動の傍ら続けていた株式投資は、2017年には通算運用益1億円に。2022年には運用益50億円を達成し、現在は投資ファンドの設立に向けて準備を進めている。そんな井村氏のもう1つの顔は「中小企業診断士」。井村氏はなぜ、中小企業診断士をめざそうと考えたのか。中小企業診断士の肩書は、井村氏の芸人活動や投資のキャリアにどのような影響を与えたのか。資格はコスパが良いのか、悪いのか。元芸人投資家の目線で見た、資格の価値をうかがった。

中古ゲーム売買が株式投資の「原体験」

――元芸人で、中小企業診断士(以下、診断士)でもある「億り人診断士」の井村さん。どのような幼少期を過ごし、どのようなきっかけで株や投資に興味を持ったのでしょうか。

井村 生まれは京都ですが、父が研究者だったので子どもの頃は京都、仙台、水戸、アメリカ、日本に戻りまた水戸に住み、大学時代は群馬と、転々としていました。アメリカにいた頃は、近くの川で捕まえたワニを唐揚げにしてもらって食べた記憶もありますね。
 幼い頃からお金を貯めることが大好きで、お年玉をもらっても一切使わない子どもでした。友だちと駄菓子屋に行っても自分は何も買わず、みんなに「ひと口ちょうだい」と言って回っていましたね。

――中学生になると、ゲームの転売も行うようになったそうですね。

井村 はい。みんながゲームで遊ぶのに熱中しているときに、私がのめり込んだのはゲームを転売することでした。きっかけは、家に届いた2枚のゲーム販売店のチラシ。まったく同じゲームソフトが、A店では「大特価販売中!1,980円」、B店では「高価買取中!3,500円」。見比べたら「A店に行き1,980円でソフトを買って、それをB店に3,500円で売ったらお金が増えるのでは」とふと思いつきました。そして実際に試してみたら、そのとおりにお金が増えたんですね。安く買って高く売る。鞘を取るという構造は株取引と同じです。それを見つけてから転売にはまりました。ただ、未成年者は親の同意書がなければ買取してもらえなかったので、親に交渉して「お皿洗いをしたら同意書5枚にサイン。草むしりをしたら同意書10枚にサイン」など、お手伝いの対価として同意書を書いてもらっていました。
 当時はインターネットもなかったので、買取価格は自分の足で店を回って情報収集するしかありません。月末に特売する店、買取に強い店など、それぞれの店の特徴をリサーチしては、どの店で、どのタイミングで売買すればいいのかというリストを自分で作っていました。店巡りに夢中になりすぎていつの間にか夜9時を過ぎてしまい、「井村はどこにいるんだ?」と、学級連絡網で電話が回ってきたこともありました(笑)。

――中古ゲームの転売にかなり熱中していたのですね。

井村 はい。高校に入学してからも、部活にも入らず郵便局でアルバイトをしながら、相変わらず中古ゲームのセドリで儲けていました。幼い頃から、私の判断基準は常に「投下するコスト以上の便益が得られるか否か」、つまり「費用対効果の大小」でした。バリューを生むとしても、それ以上のコストがかかるなら意味がない。お金を消費する局面、もしくは収入を得る局面で最もコストパフォーマンス(費用対効果)の高い選択をすること、その積み重ねによって、資産が作られるのです。これは株式投資において大事にしているアルファ(超過収益)に通じる考え方です。

『キングオブコント』準決勝進出、芸人年収3万円から300万円へ

――物事を決める際には、常に「費用対効果の大小」が基準になっていたのですね。

井村 そのとおりです。大学進学の際もそこが判断基準でした。私は国語や英語が壊滅的に不得意だったので、高校時代から理科と数学の加点が高い学校を選択していました。常に費用対効果を意識していたので、大学受験も自分の特性が発揮できて、少ない労力で得られるリターンの大きい理系に決めました。大学の学費も将来的に親に返すつもりだったので、学費が安い国立大学を選び、得意の物理と数学を徹底的に勉強しセンター試験を突破できれば、あとは面接だけで合否が決まる、群馬大学工学部に決めました。

――徹底されていますね。株の投資はいつから始めたのですか。

井村 投資を始めたのは大学3年、20歳のときです。実は、父が教育に厳しい人だったので実家にいた頃はお笑い番組は見せてもらえませんでした。それが大学で一人暮らしをして自由にバラエティ番組が見られるようになり、「なんて楽しそうな世界があるんだ!」と衝撃を受けたのです。テレビでワイワイ話すだけでお金をもらえるなんて、コスパ最強にしか見えませんよね。大学からはたくさんの就職先が紹介されていたのに、私は就職活動の時期になっても「将来は芸人になる」という道しか考えられなくなりました。
 とはいえ、先立つものがなければ芸人としてチャレンジできません。インターネットで調べると、芸人生活は想像以上に不安定でした。急にオーディションや仕事に呼ばれることもあるので、先の予定が読めず、定常的なアルバイトはできない。だから株式投資で生計を立てている芸人もいると書いてありました。本当かなと疑いつつも、私自身、投資への興味関心はずっと持っていたので、ちょうど手数料無料キャンペーン中だった証券会社で口座を開設しました。「これで芸人の道に一歩近づける!」という感覚でしたね。

――株式投資は、芸人への第一歩という意味合いも強かったのですね。大学卒業後、お笑い養成学校を選択したのも費用対効果が良かったからですか。

井村 そうですね。どの養成所に入るか決めるにあたっては、もちろんいろいろと検討しました。入学金や授業料など、かかる費用だけを考えれば、安いほうが費用対効果は良さそうです。けれども私は「売れること」を最優先に考えていたので、「養成所の生徒数は少ないほうが競争倍率が低いはず」「すでに売れている先輩芸人の割合が高い養成所のほうが活躍できる可能性が高いはず」と分析し、金額では最も高いところを選択しました。
 こうして芸人としてスタートして「ザ・フライ」というトリオを組んだのですが、思うようにバリューを発揮できず苦しんでいました。「次の大会で1回戦敗退だったら芸人の道は諦めよう」と思っていた矢先、2011年の『キングオブコント』で準決勝進出を果たしたのです。ただし収入は、そのときでさえ年額2万7,000円、つまり月2,000円でした。僕らのネタも収録されていたので『キングオブコント』のDVDが増版されると印税が入ってきていたのですが、なんやかんや引かれてたったの数十円(笑)。結局この波にも乗り切ることができず、自分としては、2010年の暮れ頃から始めていた2つのチャレンジ、つまりアルバイトをやめて株式投資で生計を立てていくこと、そして診断士の資格を取得することを一層強化するほかありませんでした。

本業とのシナジーと人生のバックアッププランとしての診断士受験

――資格の取得はそれまでのキャリアからすると唐突に思えます。きっかけは何だったのでしょうか。

井村 一番は結婚のためです。妻とは2010年に出会い、結婚したいと考えていたのですが、いかんせん芸人の生活だけでご両親に「所帯を持たせてください」とは言いにくくて。「将来のために何とかせねば」と考えて一番に思いついたのが、経済的な充足のために株式投資に真剣に取り組むことです。でもプランが1つだけでは、もしそれが失敗してしまったときに身動きが取れなくなる。何かもう1つ、よって立つものを準備しておこうと考えて思いついたのが診断士資格の取得でした。

――数ある資格の中で、なぜ診断士だったのでしょう。

井村 診断士の存在自体はそれ以前から知っていました。診断士資格を取る意義はいくつかあって、1つは、受験勉強を通じて財務会計、運営管理、経済などの経営にまつわる知識を体系立てて学ぶことが、株を運用する上で大いに役立つと感じた点です。
 もう1つは、副業として収入を得られる可能性も期待できる点です。診断士はコンサルタントを名乗れる国家資格なので、顧問先を見つけて副収入を得られれば、手に入れたキャッシュで芸人も続けられます。しかも国家資格ということで箔がつく。妻のご両親に、芸人をやめてもちゃんと社会復帰できる保険としてアピールするにはちょうどいい資格でした。

――奥様のご両親に認めてもらう手段でもあったのですね。

井村 その通りです。さらにもう1つ、芸人として活用できるメリットもありました。当時は「手相芸人」「家電芸人」など独自の特徴を掛け算した「○○芸人」が出てきていたので、「難関国家資格を持つ、経済・経営に詳しい投資芸人」というブランディングになるはずだと考えたのです。
 とにかく自分の一番の目的は将来の収入源の確保と結婚にありましたので、株式投資・芸人・診断士と複数の戦略を走らせリスクを分散し、加えて、各戦略にシナジーを生ませることで各々の成功の確度を高めるという狙いがありました。「資格取得」に関しては、他の戦略がうまくいかなかったときのバックアップとしての期待もありました。そんな複合的な理由があったので、そのとき置かれている条件で判断した結果、診断士資格を取るのが最も費用対効果が高いと考えました。

――リスク分散できるようなキャリアポートフォリオを考えていたのですね。資格取得まではどのように勉強したのでしょうか。

井村 TACの『スピードテキスト』で勉強しました。一番売れていて、かつ評判が良かったので選びましたね。
 診断士の1次試験には、有効期限付きですが科目合格制度がありますよね。これを利用すれば、一度に7科目すべて合格する必要はありません。1年目で4科目合格して、2年目で残り3科目合格すれば十分です。しかも1次試験はマークシートなので、反復学習でスピードテキストと過去問を繰り返し解けば十分に合格可能と判断しました。
 一方2次試験は筆記試験で、「正答」などあってないような問題ばかり。合格するにはテクニックが必要と考えました。TACの無料体験講義に参加してみたところ「これはバリューがある。資格取得の実現可能性がぐっと上がるな」と体感したので、コストをかけて受講することにしました。せっかく科目合格しても、免除期間内に2次試験に合格できなければまた1次試験から受験し直さなければいけません。チャンスは2回しかないので、極力一発で合格したい。なぜなら2度目の挑戦となると、もうあとはないというプレッシャーで力を発揮しにくくなるだろうと。受講料はかかりますが、「合格の可能性」が高まるならば費用対効果がよい投資だと判断しました。

――2次試験は一発合格されていますね。

井村 はい。ただ、いろいろなトラブルもありました。まず、本試験当日が実の兄の結婚式と重なったのです。でも、自分の中では試験に行く以外の選択肢はあり得なかったので、そこは試験を優先すると言い切りました。
 そして本試験当日は、事例Ⅰの答案用紙を提出し終え、事例Ⅱが始まるというときに「そういえば事例Ⅰの答案用紙に自分の名前を書かなかったぞ」と気づいてしまったのです。焦りから冷や汗が噴き出して過呼吸になり、上半身を起こしていられない状態になってしまいましたね。秋なのに、答案用紙に汗をボトボトたらしながら、頭の中では「もうアウトかもしれない。でも、一応試験官に事情を説明すれば、名前だけなら書かせてくれるかもしれない」と希望的観測を持ちながら、必死で事例Ⅱの答案用紙を埋めました。何とか事例Ⅱを終え、試験官に話をしたところ「答案用紙は受験番号順に回収しているので、前後の受験生の情報から抜けている人が誰なのか特定できます。名前なしでもきちんと採点しますよ」と言ってもらえたのです。名前を書き足すことはできませんでしたが、事例Ⅲと事例Ⅳは何とか平静を取り戻して受験することができました。
 そんな状態でメンタルは最悪だったし、合格できる自信はなかったので、一発合格を知ったときは驚きました。もし前後の受験生が欠席していたら、今の未来が変わっていたかもしれません。

2017年、運用益1億円に達し、芸人を引退

――合格後、芸人の仕事や株式投資に診断士資格は役立ちましたか。

井村 芸人の仕事に診断士資格はプラスになりましたし、企業分析をする上で株式投資にも活かすことができました。
 実はオーディションでは「診断士資格を持っています」「経済産業省認定の国家資格です」とアピールしても、「何ですか、それ」「何ができるんですか」と特徴がなかなか伝わりませんでした。それでも「株大好き芸人」や診断士資格を持つ芸人としてテレビ番組に呼ばれる機会も増えていました。あるときは「コンサル芸人」として、売れている芸人を題材に「何が強みでどういう機会があって売れているのか」といったSWOT分析(経営戦略や事業戦略を考える際のフレームワーク)をテレビ番組でやったりもしましたね。
 実は結婚に関しては、株式投資の実績もまだまだで、診断士試験にも合格できていなかったのに2012年9月に結婚できました。結婚した年の暮れに合格が判明するという流れで、結婚に向けた説得材料にはなりませんでしたが、将来に向けて本気で行動していることを妻も評価してくれたのかもしれません。

――合格後は診断士としての仕事を始めたのですか。

井村 診断士協会に入って、協会の仕事や研究会の活動をしていました。協会経由で紹介されて商工会の仕事を受けたり、企業診断報告書を書いたり。それも副収入になりました。

――2017年に株式投資の運用益が1億円に達しました。2012年の試験合格からそれまでの間、株式、芸人、診断士の仕事のバランスはどのように変化していきましたか。

井村 診断士の仕事は2013年から10%~20%程度で安定していました。一方で株取引のウェイトがどんどん上がって、2016年からは全銘柄の業績を見るようになりました。上場企業3,900社すべての決算開示に目を通しますので、1日に1,000社近くの決算発表がある決算集中日は寝てなんかいられません(笑)。そちらに時間を使っていた一方で、芸人としての年収も200万円~300万円と以前に比べたらかなり増えて、事務所の同期の中でももらっているほうだったかと思います。年収3万円だったのが2016年には約300万円。100倍です。それが芸人年収のピークでした。

――そこから徐々に株式投資家へとシフトしていったのですね。

井村 はい。自分としては芸人を始めて2~3年で、芸人としての才能がないと感じ始めていました。トリオの可能性はあると信じてがんばっていましたが、2017年、30歳の節目に相方が「解散しよう」と切り出してくれたタイミングでそのまま芸人を引退しました。
 解散してからはメディアの露出も一旦止めています。次は起業家に挑戦したいとぼんやり考えていたところ、投資家仲間から東南アジアで行われる経営者イベントに誘われ、帰国後に起業の決意を固めました。そこから1年間は個人で『日経CNBC』というマーケット専門チャンネルにレギュラーコメンテーターとして毎週出演するなど、講演やメディア出演も再開していました。その間に起業の準備を進め、2019年に投資とYouTubeの事業領域で起業しています。

ファンドミッションは「日本の家計に貢献する」

――そもそも、どのような経緯で起業しようと思ったのですか。

井村 株が好きな一方で、株式投資の奥にいる、事業活動で実社会に価値を提供している方々への憧れもありました。自分もそういうことがしたいと思ったことが起業の発端です。ただ、会社経営も芸人と同じで向き不向きがあって、「自分にはその器がない」と、結局起業の道は挫折しました。2020年にはチャンネル登録者数15万人超だったYouTubeも、今はお休みしています。
 とはいえ、やはり何らかの価値提供はしたい。これは今のチャレンジにつながるのですが、実は最初のビジネスアイデアはファンドを作るというものでした。「日本株48(フォーティーエイト)」という名前で48銘柄を厳選し、その48銘柄のファンド優待なるものを作ることなども構想していました。
 次に何をやるかと考えたときも、自分の中ではファンド以外考えられませんでした。当時より業界知識、運用ノウハウ、人的ネットワークも遥かに磨かれた今だからこそできる、「日本の家計に貢献する」というミッションを掲げたファンドの組成をめざすことにしたのです。2023年現在、形にするべく運用会社設立に向けて奔走中です。

――「日本の家計に貢献する」というミッションはどのような発想で生まれたのでしょうか。

井村 YouTubeで積極的に情報発信をしていたときは、「金融教育」や「投式投資の普及啓蒙活動」を目的としていました。でも、途中で気が付いてしまったのです。これは無理なのではないかと。例えば、共働きの子育て世代には情報収集する時間も、投資を学ぶ時間もなかなか取れないですよね。それにはっきり申し上げて、投資で利益を上げ続けることは簡単ではありません。プロと同じ相場で闘える人がどれほどいるのかと。でも、こうも思ったのです。すべての人が運用をできる必要はなくて、得意な人、やりたい人に任せればいいのではないかと。そうすれば、本当に必要としている子育て世代などにも、資本市場の利益を届けることができるのではないかと。
 今までずっと自分のお金を増やしてきて、2022年には株の通算運用益が50億円に達しました。これからは自分のためだけでなく、誰かのためになるような運用がしたい。嫌いな人は無理に投資を勉強する必要はなくて、運用は得意な人に任せる。その社会的公器となって「日本の家計に貢献する」ことが、ファンド設立の最も大きな目的です。

――ファンドの設立時期は具体的に決まっているのでしょうか。

井村 2024年の春前頃にスタートしたいという思いで動いています。ただしパートナーがいて初めて成り立つ部分があるので、気持ちだけでは何ともならないことも多く、歯がゆさを感じています。それでも、人生を賭けてやり遂げようと思っていますので、時期は遅くなったとしても仕上げていきます。

資格取得で得た複合的な価値

――現在は、診断士の仕事はどうされていますか。

井村 現段階で私の目的はファンドを作ることに一本化されたので、ほとんどの時間をファンドや運用にまつわることに費やしています。資格の更新登録はしていますが、診断士としての仕事は2019年に休止しています。

――改めてこれまでのキャリアを振り返ってみて、診断士資格には「バリューがある」と思われますか。

井村 思います。私自身、診断士資格の取得によって知識習得という目的通りの効果が得られたことは大きいですし、ブランディングにもなりました。
 企業勤務の方の場合も、診断士資格の取得で一定のスキルがあることを客観的に示し、自分をブランディングすることで、人事考課や経営企画部などへの異動希望といったキャリアデザインにも好影響を与えられると思います。転職市場での価値も上がるので、診断士資格を取得して市場価値を高めてから身を動かすのもいいでしょうね。
 さらに診断士には「副業もできる」という点に魅力があります。もちろん、独占業務があるわけではないので、仕事をもらえるかは本人の動き方次第、個別性は強いと言えます。つまり単に「資格を持っているだけの状態」ではいい仕事にはありつけないということですね。これからの時代は、士業も他の職業と同様、キャリア設計が昔よりも複雑になってきます。独占業務のある士業でも、資格を取っただけで一生安泰ではないですよね。この意味で、資格のブランド力だけに頼らず、創意工夫が必要になりますが、診断士はこの「創意工夫」という点で、独占業務がないぶん非常に自由度が高いため、アイデア次第でいろいろな活用方法が見い出せるはずです。
 「個」が活躍するこれからの時代、自分のバリューを上げるためにはセルフブランディングが必要です。私は、プロフィールに「診断士」と書くようにしているのですが、それだけでも「ちゃんと勉強した人、知識を持っている人」と瞬時にわかってもらえたりします。

――動き方・使い方次第で、資格のポテンシャルは広げられるということですね。最後に、よりよいキャリアを歩みたいと思っている方々に向けてメッセージをお願いします。

井村 ものごとを選択するときの考え方のポイントとして、まずは選んだ選択肢が「可逆か、不可逆か」考えることをおすすめします。「可逆」、つまりやってみてダメでも引き返せる状態であれば、リスクはありません。その意味で、資格取得は合格したらもちろんOKだし、合格しなかったとしても自分が努力したことが知識として回収できるのでリスクがない。費用対効果は高いと言えます。ただ、例えば新卒の方が「就職活動せずに診断士試験の勉強に専念しよう」としてしまうと、貴重な「新卒カード」を無駄にしてしまうおそれがあるのでリスクが高い。そこはいったん就職して、会社に入ってから勉強すればいいし、診断士の活動もやってみて「これならいけるな」と思ってから独立するほうがいいと思います。
 「ビル・ゲイツは大学を中退してマイクロソフト社を作った」という話がありますが、これは実は「休学」なんです。ビル・ゲイツほどの人間でもリスクヘッジをして、うまくいかなければまた大学に戻れる状況を作っていたんです。戻れる場所があれば、追い込まれることなくのびのびとした状態でチャレンジできる。だから「やるか、やらないか」を決めるときは「可逆か、不可逆か」考えることが大切なのです。
 もうひとつのアドバイスは、現状を変えたいと思うときも、「起業だ」「独立だ」と慌てて世界をガラッと変えないほうがいいということです。元の生活を維持しつつ、現状を変える手として考えられる選択肢を抜け漏れなく洗い出した上で、優先順位をつけ、順番に当たっていくことで可能性は広げられます。例えば、資格の取得の他にも、知り合いが経営している会社を副業がてら手伝ってみる、それこそ株式投資をやってみるでもいいと思います。現状のままでもやれることが多く残されていると思いますよ。
 診断士資格は、これまで自分が培ってきたスキルや経験を活かし、それを補足する使い方もできるという意味で、効果的で役立つ「コスパのいい資格」と言えます。生かすも殺すも自分次第な面もありますが、皆さんのチャレンジと創意工夫を応援しています。

[『TACNEWS』 2023年9月号|特集] 

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