LET'S GO TO THE NEXT STAGE 資格で開いた「未来への扉」 #30
小澤 孝明(おざわ たかあき)氏
不動産鑑定士
1979年10月13日に静岡県浜松市で生まれ、4歳から東京都大田区で過ごす。中学受験を経て中高一貫校で学んだ。慶應義塾大学経済学部卒業後は、弁護士をめざして司法試験の勉強を開始するが、合格を勝ち取ることができず断念。初めて就職した都内のベンチャー企業では企画や営業などを幅広く担当する。4年間勤務した後、後継者となることを決意し、父が創業した不動産鑑定会社に入社。仕事と受験勉強の両立をしながら、3回目の受験で不動産鑑定士試験に合格。実務修習を経て、2020年3月に不動産鑑定士登録。現在に至る。プライベートでは2020年に待望の長女を授かり、毎日の成長を見守ることが最大の喜び。
【小澤氏の経歴】
2002年 23歳 大学時代に進路を真剣に考え、弁護士をめざして司法試験に挑戦することを決める。
2009年 30歳 大学卒業後、司法試験に4回挑戦したのち、法科大学院(ロースクール)進学を経て、新司法試験(当時)を受験する。
しかし3回限りの受験資格をすべて使っても合格が叶わず、弁護士への挑戦に区切りをつける。その後、都内のベンチャー企業に入社。
2015年 35歳 ベンチャー企業を退職し、父が創業した不動産鑑定会社で働きながら鑑定士資格の取得をめざして勉強を開始。
2018年 38歳 不動産鑑定士合格。近い将来、会社を継ぐ日に向けて、資格の学習で身につけた知識を活かしながら実務経験を積んでいる。
7度の司法試験挑戦を経て、30代でどん底から這い上がった。
不動産鑑定士として、新しい価値を作っていきたい。
大学卒業後、弁護士をめざして20代のすべてを司法試験に費やしたという小澤孝明氏。挑戦に区切りをつけた30歳のとき、初めて社会に出るが、それからの道のりも平坦ではなかった。35歳で「自分が本当にやりたいこと」を考えたときに見えてきたのは、亡き父が創業した会社を継ぎ、不動産鑑定士(以下、鑑定士)として経営を担うという道だ。多くの挫折を経験したからこそ現在が充実していると語る小澤氏に、20代、30代の苦闘の中で得たものや、鑑定士を志した理由、経営者として実現したいことなどをうかがった。
子どもの頃から曲がったことが大嫌い、大学卒業後から司法試験の勉強を開始
3人兄妹の長男として生まれた小澤氏。不動産鑑定会社を立ち上げた父と専業主婦の母から愛情を受け、のびのびとした子ども時代を過ごした。芯が強く、納得できないことに対しては断固として戦う性分だった。
「小学校に入ってからは水泳とピアノに熱中し、中学受験をして私立成城中学校・高等学校へ進学しました。吹奏楽部に所属し、クラリネットを担当。全国大会にも出場しました」
そして高校を卒業後は、一浪したのち、慶應義塾大学経済学部へ進む。ストリートダンスに目覚め、踊ることに没頭する日々を送った小澤氏は、大学3年生で就職活動の時期を迎え、将来について考えるようになった。
「所属していたのは経済学部でしたが、高校時代から弁護士という仕事に漠然とした憧れを抱いていました。難関資格に合格して、専門性の高い仕事に就くことができたらいいな、と。それで、一度しかない人生なのだから、諦めるよりも挑戦してみようと覚悟を決めました」
大学4年生から司法試験の勉強を開始し、卒業後は受験勉強に専念する毎日を送った。大学の司法研究室に所属し、自習用のスペースに毎日通い、受験生同士でゼミを組んで励まし合いながら勉強を進めた。
「朝から晩まで勉強漬けの環境でした。法律を学ぶことは楽しかったです。しかし、自分は不合格が続く一方で、司法試験に合格し、外の世界に出ていく仲間も増えていきます。社会と切り離されていくような気持ちになり、孤独感が募っていきました」
司法試験に4回挑戦したのち、小澤氏は法科大学院(ロースクール)へ進学して新司法試験(当時)をめざすことにした。ところが、当時3回限りだった受験資格をすべて使っても合格することができず、弁護士の道は断念することになった。
「ロースクールに入るときに、在学中に必ず合格する、不合格なら一般企業に就職する、と決めていました。3回目の不合格がわかったのは2009年、30歳になったときです。私は結婚や子育ても経験したいと思っていましたので、これ以上時間を無駄にできない、夢に区切りをつけて働きはじめなければと思いました。とはいえ、なかなか気持ちが切り替えられずに2~3ヵ月は呆然としていましたね」
司法試験の勉強に明け暮れた20代を経て、初めての会社勤め
就職活動を始めたものの、社会人未経験・30歳という経歴が足を引っ張り、思うように駒を進められなかった。受験生仲間の紹介で、司法試験受験経験者に特化した人材派遣会社に登録し、創業したばかりの都内のベンチャー企業に入社することになった。
「社員の平均年齢が20代後半くらいの若い会社で、年下の上司・先輩が当たり前の環境でした。そこへ、敬語やビジネスマナーすらわからない状態で入ったので、最初は叱責ばかり。プライドは粉々に砕けましたが『これで終わってたまるか』とゼロから必死に学びました」
入社後に配属されたのは、品質管理や法務の部署。製品の品質をチェックするための生産現場の立ち会いや表示の遵法性、契約書のチェックなどが主な仕事だった。法律に関しては会社にいる誰よりも勉強してきた小澤氏。仕事に慣れるとともに本来の力を発揮し、活躍できるようになった。
「2年ほど経ってからは、自社製品の企画やプロデュース、クライアント企業への販促ツールの提案などをする営業セクションに異動になりました。本格的な営業の仕事は初めてでしたが、受験生時代のアルバイト経験を活かして取り組むことができました」
司法試験の結果待ちの時期などを利用し、複数のアルバイトをしていた小澤氏。日雇い物流作業、バースタッフ、イベント設営、クレジットカード契約など、様々な場所で出会った人たちの姿を思い出し、ニーズやアイディアを膨らませて企画や提案に反映していった。
「早く他の人に追いつきたいという焦りもあり、早朝から深夜まで仕事に打ち込みました。仕事をしながらビジネス書を読み漁り、ビジネス交流会にも参加し刺激を受けました。体調を崩しかけるほどでしたが、仕事面で最も成長した時期だったと思います」
努力が実を結び、会社からの信頼を得始めていた小澤氏は、営業力や企画推進力を見込まれて新規顧客開拓セクションを任されることになった。
「入社して4~5年が経つ頃には、安定して結果が出せるようになり、ビジネスパーソンとしての自信がつきました。昇進の話もあり、そろそろ次のステップについて考える時期が来たな、と思いました」
この頃すでに結婚し、家庭を持っていた小澤氏だが、2015年、35歳のときに大きな決断をする。会社をやめ、亡くなった父が創業した不動産鑑定会社を継ぐことにしたのだ。
「今後、自分の人生をかけて何をやりたいか考えたとき、父の残した会社を継ぎ、守っていきたいと思うようになりました」
35歳で見つけた自分の使命。未経験の業務と受験勉強に四苦八苦
父は幼い頃から、小澤氏が自分の会社を継ぐことを期待していた。しかし小澤氏は、親の跡をつぐというひとつの選択肢だけに絞ることに抵抗があり、あえて司法試験という高いハードルに挑み、アルバイトで外の世界にも触れるようにしてきた。「父の言いなりにはなりたくない」という意地もどこかにあった。
「父は私が司法試験の勉強をしていた28歳の頃、病気で突然亡くなりました。会社は存続か廃業かの選択を迫られたのですが、当時経理などを担当していた母と社員の方々が奔走し、なんとか会社を続けることができました。必死で会社を支える母の姿を見ているうちに少しずつ父への反発心が解け、会社への思いが強くなっていったのです」
父の会社の社員も高年齢化が進み、母や父の盟友である代表鑑定士にかかる負担も大きくなる。両親と会社に関わる人たちが守ってきたものをここで終わらせることは忍びない。自分がやらなければ誰がやる、と小澤氏は思った。
「私は会社の経営だけを担当し、鑑定士業務の代表は他の人を立てるという方法もありました。でも、やるからには自分できちんとやりたい。それで、当時の勤め先をやめて父の会社に入り、業務をゼロから学びながら鑑定士試験の勉強を始めました」
覚えることが多い初めての仕事に受験勉強。繁忙期は勉強時間が満足に取れず、気持ちばかりが焦った。「もう無理だ」と何度も諦めかけたという。
「司法試験の受験生時代も新入社員時代も大変でしたが、仕事と受験勉強の両立はその比ではないくらい苦しかったですね。でも限られた時間で集中し、少しでも早く合格したかった。そのために、『他人と比べない』と心に誓ったのです」
鑑定士の試験範囲は膨大なため、受験生同士が勉強時間を競い合うことも多い。しかし社会人受験生が勉強量で受験専念の人にかなうはずはない。ならば他人との勉強時間の差よりも、自分と合格との間に何が足りないかだけを考え、必要なことを実行することにした。
「鑑定士受験ではTACに通ったのですが、多くの受験生が利用していて客観的なデータが豊富なのでとても助けられました。現状どのくらいの順位にいて、何をすれば合格に手が届くのかが把握しやすかったので、効率よく勉強することができました」
司法試験の勉強をしていたおかげで、経済学に苦手意識を感じていたぶんを民法の得点でカバーすることができた。鑑定士試験の要である鑑定理論は、司法試験受験生時代の勉強法を応用して攻略することができた。結果的に、司法試験の勉強に鑑定士合格を後押しされたと小澤氏は振り返る。
「1年目は短答式があと1点足らず不合格。2年目は短答式試験に合格できたものの論文式試験で失敗。そして3年目に論文式試験に合格と、スムーズな道のりではありませんでしたが、資格を手にすることができました。自分の家族や会社の人たち、司法試験時代の仲間にも祝福してもらえたのが本当にうれしかったですね」
2018年に鑑定士試験に合格した小澤氏は、実務修習を経て、2020年3月に鑑定士の登録をする。現在は父の会社でも頼られる存在となり、多岐にわたる不動産鑑定業務を引き受けている。
「現在依頼を受けている内容は、一般企業の保有する不動産の評価、金融機関からの担保評価や価格等評価、用地買収等に際して必要となる自治体からの鑑定評価など、取り扱う対象もクライアントも多種多様です。不動産に関して不慣れなお客様からアドバイスを求められたり、頼られたりするときは専門家としてやりがいを感じますね」
鑑定評価は専門性が高く、難解な議論に終始しがちだと語る小澤氏。だからこそ、説明に専門用語を使いすぎないよう心がけている。わかりやすく自分の言葉で説明するためには、自分の中での十分な理解が欠かせない。日々の研鑽が必要なこの仕事はコツコツ努力するのが得意な自分に合っていると感じた。
「ベンチャー企業時代から、仕事をする上でふたつのことを大切にしてきました。ひとつは、『相手の立場に立つこと』。今はどんな状況なのか、この作業は誰の、何のためのものなのか、喜んでもらうためにはどうしたらいいのかと、常に自問自答しています。もうひとつは、『スピード感』。時間をかけて答えを返すより、すぐに対応することに重きを置いています」
鑑定士の知識や経験はますます必要に。各分野と連携して課題解決していく
近い未来、会社の代表を引き継ぐ予定という小澤氏。代替わりに備え、今からいくつかの準備を行っている。
「まず、会社の経営を担うにあたって、自社の経理や会計についてしっかり見るようになりました。また、人材の採用方針を明確化し、信頼できる同年代や若手を積極的に迎えようと考えています」
さらに、新規事業のアイデアも温めている。先代から続く取引関係を大切にしながら、新しい仕事先の開拓やしくみづくりにも挑戦していきたいと力を込める。
「鑑定士の仕事は、未だにファックスや印鑑を使うことが主流で、業界の文化や慣習も古いものが根づいています。『もっと効率よく、おもしろいやり方があるのでは?』という視点を大事にして、受け継ぐものと変えるものを判断していかなければと考えています」
不動産に関わる業務の中で、最高位の権威と専門性を持っている鑑定士。現状に甘んじてしまったり、考え方がこり固まらないよう、社外の集まりにも積極的に参加している。
「今、日本にいる鑑定士は一万人足らずです。他の資格に比べて圧倒的に人数が少なく、実際に働いてみても業界の狭さを実感します。ですから、同業者同士の情報交換も必要不可欠で、特にうちのような小規模会社は業界の横のつながりを大事にしていくことも大切なのです」
業界内の連携とともに力を入れたいと思っているのは、専門外の分野との協業だ。今後、新型コロナウイルスにより急速に変化する世の中で、デジタル・グローバル化がさらに進み、業界ごとの縛りやあらゆる参入障壁が取り払われる時代が来ると小澤氏は予測している。
「こんな時代、状況だからこそ事業を始めたい、投資・資産運用をしたいと考える個人や法人のニーズは増えていき、鑑定士の知識や経験が必要になる場面が出てくると思います。そこで、法律や会計など様々な分野の専門家と協力しながら、総合的に課題解決をしていきたいです」
既存のニーズはしっかり見据えた上で、新たなニーズにも柔軟に対応していける人材でありたいし、そういった組織を作っていきたいという小澤氏。「古い」「仕事が固定的」といった鑑定士の持つネガティブなイメージを払拭し、新しい価値観を構築していくことも、自分たちの世代の使命だと思っている。
「先細りの業界だと言われることもありますが、私は楽しさと希望を感じて仕事に取り組んでいます。今後のトレンドとしては、証券化不動産の拡大、環境保護を意識した不動産投資の増加、増え続ける空き家問題、農地の有効活用のための鑑定評価などが挙げられます。どのテーマも日常生活に関わっている課題なので、解決できればたくさんの人が助かると思うとワクワクしますよね。前向きな気持ちを大切にしながら、挑戦を続けていきたいと思います」
受験勉強や社会人生活で何度も挫折を経験した小澤氏。司法試験には合格できなかったが、そのとき磨いた法律の知識が鑑定士試験合格を後押ししてくれた。司法試験に合格して一時は遠い存在と感じた仲間が、現在、弁護士として仕事を手助けしてくれている。ベンチャー企業で鍛えられたおかげで、想像力とスピード感を持って鑑定士業務に取り組むことができている。回り道に見えた一つひとつの経験が、充実した今につながっている。
「受験生と合格者の間にある壁というのは、挑戦しているときは高く感じるけれど、実際はそうでもないのです。諦めない気持ちと乗り越える少しの勇気があれば大丈夫。資格や知識があれば、できることがたくさんあります。私の話をきっかけに、ひとりでも一緒に働く仲間が増えたらこんなにうれしいことはありません」
[『TACNEWS』 2021年4月号|連載|資格で開いた「未来への扉」]