日本のプロフェッショナル 日本の社会保険労務士|2021年8月号
井下 英誉 氏
セントラル社会保険労務士法人
代表社員 社会保険労務士
井下 英誉(いのした ひでのり)
1972年12月生まれ、東京都出身。1995年、早稲田大学社会科学部卒業。同年、新卒で社労士事務所に入所、社会労務士試験合格。1998年、中堅・大企業向けに給与・社会保険業務のアウトソーシングサービスを提供する組織の立ち上げに中心メンバーとして参画。2001年1月、労務プランニング井下事務所を設立。2014年1月、法人化しセントラル社会保険労務士法人となる。
次の10年に向けてビジネスモデルを転換し、
業務内容も大幅にアップデートしていきます。
時代のニーズを捉えることで成長してきたセントラル社会保険労務士法人。代表の井下英誉氏は、大学時代に学んだ労働法や組織心理学に興味を持ったことがきっかけで社会保険労務士を志し、合格後も活動の場を変えながら活躍してきた。そんな井下氏の試験合格や事務所設立までの道のり、そして開業後20年が経った今、次の10年を見据えて描いているビジョンについて詳しくうかがった。
高校時代にプロフェッショナルの道を
父親が転勤族で小学生時代は学校を転々としていたという井下氏。小学3年生のとき父親が大阪に転勤となり、高校野球を観に甲子園球場に連れて行ってもらったことがきっかけで、野球に没頭するようになった。
「当時はちょうど荒木大輔選手が早稲田実業学校(以下、早実)野球部で活躍している頃でした。高校野球を間近で観て野球のおもしろさを知った私は、小学6年生で東京に戻ったときには、早実に入って野球をすることが、ひとつの目標になっていました」
中学時代は野球を続けながら受験勉強もこなし、見事早実へ進学して憧れの野球部に入部した。
「強豪校ですから練習は厳しいだろうし、3年間レギュラーになれないかもしれないというのは承知の上で入部しました。ところが練習以上に部則が厳しく、野球を続けることに迷いが出始めました。私が弱く甘かったのだと思いますが、あっさり『やめよう』と決断しましたね。やめたことは後悔していません」
では勉強面はどうだったのだろうか。
「早実の商業科(当時)は、偏差値日本一の商業科と言われており、入学早々から簿記の授業がありました。担任の先生は米国公認会計士(USCPA)と日本の公認会計士(以下、会計士)資格を持ち、会社経営もしている人だったのですが、その先生に最初に言われたのが『君たちは高校3年生までに日商簿記検定1級を取得し、大学の4年間で税理士になれ』という言葉です。実際に同級生100名のうち20%位は、国税局に入るか会計士、税理士になっています。
会計の世界も最初はおもしろいと思ったのですが、日商簿記検定2級の範囲になると難易度が上がってきたこともあり、会計は自分が進みたい世界ではないと感じるようになりました。ただ、会計士や税理士のように、プロフェッショナルとして生きる道があるということは高校3年間でよく知ることができました」
人への興味が社会保険労務士への道を開く
早実高等部を卒業した井下氏は、早稲田大学社会科学部に推薦で進学。そして大学2年のとき、その後の将来を決める授業に出会った。
「産業組織心理学の授業を受けたとき、人生で初めて勉強がおもしろいと思いました。同じ労働条件や環境下で労働者のモチベーションに差が生じる要因や、照明の明るさが生産性にどう影響するかなど、働くことの心理について学んだのですが、同じ仕事でも、楽しい、つらい、簡単、難しいなど仕事内容の受け取り方や、心に与える影響が人によってこんなにも違うのかと思い、この分野に興味を持った私は、『働く人』に関われる人事労務関係の仕事をやってみたいと考えるようになったのです」
この領域でどのような仕事があるのかを探してみたところ、最初に出てきた職業は人事コンサルタントだった。
「でも、新卒で人事コンサルタントになるのは、外資系企業の求人が少しあるくらいでハードルが高い印象でした。そこで他に人事労務に携われる仕事はないのかと調べていったところ、社会保険労務士(以下、社労士)という職業に行き当たったのです。社労士には1号業務の申請業務と手続き代理、2号業務の帳簿書類の作成、そして3号業務として労務管理に関する相談業務があることを知り、この3号業務でコンサルティング的な仕事ができるのではないかと考えました」
社労士になるにはまず試験を突破しなければならない。受験を決意した井下氏はアルバイトで稼いだお金をつぎ込み、TACの速修講座を申し込んだ。
「講義はすべて出席しましたが、最初の数回で『これは無理だ』とあきらめました。数ヵ月で試験範囲すべてを網羅するために、試験に必要な部分だけを猛スピードで進めていく効率を重視したカリキュラムでしたが、まだ学生で、厚生年金も雇用保険もピンと来ない、唯一知識があるのが大学で勉強していた労働基準法だけという状態の私には無理がありました。勉強を始めた頃は『合格したら最年少タイ(当時)だ』と意気込んでいましたが、大学3年で受けた本試験は完全な記念受験となりましたね」
社労士試験の勉強を続けた井下氏は大学4年になっても就職活動はほとんどせず、人材紹介会社など人事コンサルタントに近い会社を少し回っただけだった。
「就職先が決まらなかったら、タウンページに掲載されている社労士事務所に片っ端から電話してみようとさえ考えていましたが、幸い大学の就職課に社労士事務所の新卒募集が来ており、その事務所に応募して無事就職することができました」
一方、社労士試験は大学4年時も不合格で、無事合格を勝ち取ったのは卒業後1年目の本試験だった。
アウトソーシングのプロジェクトに参画
井下氏が新卒で就職した社労士事務所は、第1回社労士試験で合格した所長を含め9名が在籍し、地域の中小・零細企業を中心に300社の顧問先を持つ、当時としては規模が大きい事務所だった。業務内容は社労士の独占業務である1号業務と2号業務がほとんど。月曜・水曜・金曜は書類作成、火曜・木曜は書類提出のための役所周りをするというルーティンだった。
「飛び込み営業もしていました。営業の基本すらも知りませんでしたから、とてもよい経験でしたね。厳しい事務所でしたが、このときの経験は今日にも活きています」
井下氏が社労士としての仕事に慣れてきたちょうどその頃、1990年代後半は、世の中でアウトソーシングのブームが起こり、中堅・大手企業が業務の社外委託を始めていた時期だった。システム開発はもちろん、福利厚生や人事、総務もその対象で、給与計算や社会保険業務も社外に委託したいというニーズが生まれていた。
その流れを受け、士業の世界でも、地方の大手士業事務所の代表を発起人として、中堅・大手企業をターゲットにしたアウトソーシングの組織を東京に作ろうというプロジェクトが立ち上がった。株式会社として設立していた給与計算会社に加え、社会保険を担う労務部門の組織を作る必要があったのだが、代表が東京に常駐していないため、資格を持っていてフットワークがよく、組織と現場を回していける人材を探していた。
「私が新卒で入所した事務所では、中小・零細企業をお客様として、手続き業務や書類作成業務などを中心に経験を積んでいましたが、入所から3年経った頃には、もっと大きな仕事をやってみたいという気持ちが強くなっていました。そんなとき、ある方から『大きなプロジェクトをやろうとしている人がいるんだけど一緒にやってみないか』とチームに誘ってもらったのです。誰もが知っているような中堅・大手企業とダイナミックな仕事ができると聞いてエネルギーがわいてきた私は『やります』と答えました」
給与・社会保険業務のアウトソーシングを担うプロジェクトに労務部門立ち上げの現場責任者として参画した井下氏は、中堅・大手企業への営業、商談、プレゼンテーションをし、受託が決まると約半年がかりのセットアップを行い、業務を回し始めた。
「前職の社労士事務所ではお客様の会社規模が小さかったので『明日からお願いします』と言われても対応できましたが、1,000名規模にもなれば約半年の準備が必要です。最初の頃は営業活動と並行して、私も書類作成や役所回りをしていましたが、部下ができてからは事務的な業務は任せて、営業活動と相談業務を中心に行うようになりました」
最初は総勢15名くらいだったプロジェクトも、3年後には100名を超え、労務部門も20名以上になっていた。
「前職で3年間の実務経験がありましたから、もう手続き業務はやりつくしただろうと思っていましたが、市場規模が変わったことで手続きが複雑になり、わからないことも多かったですね。また、組織の再編、分社手続きや合併手続き、M&Aにともなう企業買収手続きなど、まったく未知の業務も経験できました。現在の事務所でも合併や分社手続きに多く携わっているのは、このときの経験を活かせているからです」
順調に組織を拡大し、顧客を増やしてきたプロジェクトだが、3年が経った頃にはジョイントしている各組織の事業の方向性の違いが次第に浮き彫りになり、分裂しかけていた。その時点で、もう自分がやるべきことはやったと感じた井下氏は組織を離れることを決断した。
中堅・大手企業のアウトソース市場で勝負
新卒で社労士事務所に入った頃は、25歳くらいで開業しようと漠然と考えていたという井下氏。
「組織を離れるにあたり、独立開業する、他の事務所に行く、企業の人事部に入るという選択肢がありましたが、組織に縛られるのは嫌だから企業勤務は自分には合っていないだろうし、大きな市場で働くダイナミズムやおもしろさを知ってしまったから、小規模企業を対象とする事務所には戻れない。行くところがなかった私は、だったら中堅・大手企業とビジネスをやってきた自分の強みを活かして、自分の事務所を作って仕事をするしかないと考え、2001年1月に独立開業し労務プランニング井下事務所を設立しました」
社労士事務所とアウトソーシングを経験して開業した井下氏は、どのような業務を行おうとしていたのだろうか。
「本音をいえばコンサルティングをやりたかったのですが、自分には経験とブランドがありません。当時のコンサルティング業界では、書籍を出してセミナーをやっている方たちが活躍していました。そんな中で何が自分の武器になるかを考えたとき、誰も経験していない市場で、アウトソーサーを経験していたことだと思い至ったのです。そこで一旦コンサルティングは置いておき、経験してきた中堅・大手企業のアウトソース市場で勝負しようと決めました。そしてこのとき、もうひとつ決めたことがあります。それは給与計算をやらないことです」
井下氏が給与計算をやらないと決めたのには理由がある。当時、給与計算事業を始める情報処理系企業が数多くあったので、こうした企業と勝負するよりは業務提携を結ぶほうが得策と考えたからだ。今までの経験で、給与計算を委託する企業は社会保険業務もセットで委託する傾向にあるとわかっていた。しかし、給与計算会社は社労士業務ができないので、給与計算と社会保険をセットで委託したいという企業のニーズには応えられない。そこで給与計算会社と業務提携を結べば、給与計算会社とお客様企業とのやりとりで社会保険業務も委託したいという話が出た際に、井下氏が登場することでクライアントのニーズに応えられるはずと考えたのだ。業務提携をすることで、給与計算会社は受注できるお客様の層を広げることができるし、井下氏は営業の手間を減らせる。このビジネスモデルはうまく展開し、開業後10年以上にわたり井下氏の事務所を支え続けてきた。
「この業務提携のポイントは、給与計算と社会保険の業務はそれぞれで行いながらも、情報共有はするという点でした。500名以上の規模の会社になると給与と社会保険は別の担当者が担っている場合が多いので、お互いお客様の情報をあらかじめ共有していることで給与担当者は給与計算会社、社会保険担当者は弊所に連絡していただくだけで済み、お客様の手間が省けるのです。こうした中堅・大手企業目線の感覚もアウトソーシングのプロジェクトでの経験によるものです」
法人化で安定と継続性を確保
給与計算会社と業務提携をするという戦略は見事に当たり、中堅・大手企業専門の事務所としてのブランディングに成功した。
「積極的な営業はしてきませんでしたが、提携先が仕事を受注するためにうまく弊所を紹介してくれて、そのおかげで設立から10年間は順調に売上が伸びてきました。仮に1社離れてしまってもすぐに別の会社が入ってくるような状態でしたね。
ただ、今はその1社を埋めるのに苦労するだろうという危機感を持っています。設立10年目までは右肩上がりで成長してきましたが、そこからの10年間はほぼ横ばいの状況で推移してきました。スタッフ数も10名前後のままです。
これは事業が成長していったことで、提携先の給与計算会社とはターゲット層が乖離していき自然と縁がなくなっていったためです。給与計算は薄利多売で数が多い方が儲かりますので、さらに成長していくには数千人、1万人以上の大規模企業に絞っていく必要がありますが、私たちは逆に数千人、1万人規模は手が足りず扱いきれません」
これに加え、リーマン・ショックや東日本大震災などにともなう社会経済の変動によって設立当初とは事務所経営の状況が変わっていることは想像に難くない。そんな中、2014年1月に法人化したのは、お客様とスタッフの安心のためでもあった。
「震災を経験したことで、自分の身に何かあったときのことを考えるようになり、お客様やスタッフのためにも法人化することを決めました。さらにマイナンバーの収集などにともなうセキュリティの強化にも努め、お客様に安心して依頼していただけるよう体制を整えていきました」
1,000名規模の会社を相手にすることが増えたことで、プライバシーマークの取得などセキュリティ面と、法人化による安定と継続性の確保が必要だと考えたのだ。
スタッフ中心にクレドを作成
「私は勤務時代も開業後も『なぜこの仕事をしているのですか』と聞かれたら『好きだからです。これが天職だと思っています』と答えてきました。ただ、私ひとりならそれでいいのですが、スタッフが増えてくると大義が必要になります。『好きでやっている』だけではみんなに届きにくい。一社労士としてだけではなく、それ以上に信条や行動指針、大切にする価値観の共通認識を組織として持つべきだと思いました。
また社労士の仕事は、例えば離職票を私が作っても他の方が作っても、支給される失業保険の金額は変わりませんし、システムもみな同じようなものを使っているので、普通にやっていては他の事務所との差別化が難しく価格競争に陥りやすいのです。ですから、事務所は何をめざしているのか、何のために仕事をしているのか、何を大切にしているのかを示したクレドを定め、うちの事務所ならではの価値を作っていきたいと考えました」
クレドの内容は、ほとんどをスタッフが考えてくれたという。
「私が決めると上から降ろしたものになってしまいますから、意味がありません。スタッフみんながこういう事務所にしたい、こういう目的でやっていきたいと考えてくれたことが形になったのがセントラル社会保険労務士法人のクレドです」
クレドには、MISSIONとして「礎をともに創る」。VISIONとして「経営に必要なパートナーを目指して」と書かれている。このクレドが定まったことで、次の時代へ向けての事務所の方向性も固まった。
「『礎をともに創る』には、お客様である企業の従業員の皆さんが安心安全に働ける環境を一緒に作っていくという思いが込められています。業務をアウトソースする企業側は、専門家である私たちにそっくり丸ごと任せたいと考えていることがほとんどですが、私たちは専門家に任せきりではなくて一緒に成長していきましょうというメッセージを伝えたいのです。今までは中堅・大手のアウトソーシングに強い社労士法人と見られていましたが、お金をいただいて代行する労働集約的な仕事ではなく、教育業ヘと転換しようと考えました。おこがましい表現かもしれませんが、お客様にも育っていただきたい。教育を通して私たちと一緒に成長してもらいたいのです」
ではVISIONにはどのような思いが込められているのだろうか。
「世の中の景気が後退したとき、企業に関わる士業の中で先に契約を切られるのは社労士が多いと感じています。税理士はなかなか切られません。なぜかと考えてみると、税理士は会社経営にダイレクトに必要なものと認識されている一方で、社労士は手続きがメインだから経営との関連性は薄いだろうと、経営者の優先順位が低くなっているのではないかと思い当たりました。
だからこそ、単なる手続き代行業者ではなく、経営に必要なパートナーとしてともに歩みたい、そうならなければいけないと考えています」
中小企業に 顧客ターゲットを変更
2020年には設立20周年を迎えたが、次の10年に向けてビジネスモデル、業務内容の変更を含む、様々な計画が進行しているという。
「開業から20年が経ち、次の10年のことを考えました。2021年からの中長期経営計画では、先程お話したクレドの内容をより明確に定めていて、『中小企業の予防労務ナンバーワン事務所になろう』と謳っています。これは中堅・大手のアウトソーサーから転換して、顧客ターゲットを中小企業に変えるという大きな転換です」
もうひとつ掲げている大きなテーマは「知らないをなくす」だという。毎年のように法改正がある今日、法律が変わったことで発生するトラブルも少なくない。
「知らなかったからやっていなかった、言ってしまったという、社長や人事の方の知識不足が原因で起こるトラブルはたくさんあります。その法改正を私たちが事前にお伝えする、これはある種の教育だと思います。知っていればきちんと武装もできるし、知らないが故のトラブルを防ぐことができます」
ただ残念ながら「やらない」をコントロールすることはできないし、いくら伝えてもトップがやらなければ、どうしようもない。
「ですから、私たちにできるのはお客様の知らないをなくす、必要な知識を伝えることまでかなと思います。やるかどうかを決めるのは経営者の判断ですから」
さらに中長期計画として企業に「労務監査」を提案していこうと考えている。これから3年、5年とその必要性を発信し続けていくという。
「労務監査は人に例えると人間ドックです。今までやっていたのは鼻が悪いから耳鼻科、目が悪いから眼科というような診断と治療です。例えば『社員とこの件でもめたから就業規則のここを変えたい』などという『点』での対応でした。これをいくら長くやっていても会社の全体像は見えてきませんし、労務の何が強くて何が弱いのかもわからないままです。だからあまり必要性を感じてもらえず、景気が後退したら社労士は切られてしまうのです」
だからこそ可能なら最初に労務監査を受けてもらい、会社の労務の状態をきちんと「線」や「面」で把握してほしいと考えたのだ。
「労務監査の結果を会社と共有し、例えば『労働時間は今すぐ手術』『ハラスメントは治療が必要』『労働衛生は経過観察』といったように全体を見据えた上で、お客様には現状抱えているリスクや強みを知っていただきます。その上で手を打つべきことは打っていく。お客様との関係をより深くして、会社にとって必要な存在になることで、景気の変動や担当部長の人事異動などがあってもずっとパートナーでいられる存在になりたいと思います」
手続きがわかるから 労務相談ができる
新たな方向性を打ち出したセントラル社会保険労務士法人。現在スタッフは総勢12名、うち社労士資格者は5名を数える。クライアント数は110社で、従業員数2,000名規模が1社、1,000名超が5社、300名超が30〜40社ある。また、扱っていなかった給与計算についても数年前から受けるようになった。ただし100名を超える規模の会社は受けておらず、現在15社で計300名の給与計算を行っている。
今後の集客方法はどのように考えているのだろうか。
「BtoBのマッチングサイトも使っていますし、専門サイトを立ち上げてのWeb集客も検討しています。ただ、やはり一番多いのは紹介ですね。他の士業からの紹介もありますが、人事担当者が転職して声をかけてくれる、転職先の企業を紹介していただくことが多々あります。今まで目の前の仕事をきちんとこなしてきたことによる信頼が、この紹介につながっていると思います」
5年、10年先を見据えての採用についてもうかがった。
「現在、アウトソース系と、労務相談やスポットの相談件数の比率は8:2で、売上的にも業務量的にも同様です。これを5年後には6:4にしようと進めています。そのために力を入れているのが労務監査です。
ですから採用も労務分野を強めていく方向性で考えています。ただ、労務相談は手続き業務などの基本がわかっているからこそできるものと考えていますので、最初の3年くらいは手続き業務や給与計算をきちんとこなしてセットアップができるようになってほしいですね。この分野できちんと稼げるようになってから、次のステップである相談業務に進んでもらいます。
採用面接で労務相談ができます、講演もできますとアピールされる方もいますが、採用になるとは限りません。向上心は大切ですが、あり過ぎると手続き業務には不向きな場合もありますから」
今、相談業務を主に担当しているのは井下氏とマネージャーの2名だが、マネージャーは手続き業務も担当しているため、全面的には相談業務にシフトできなかった。それをここ1年間で、新たに手続き業務の担当者を採用して任せられるように体制を整えているところだという。
若い方が活躍できる時代に
新たな歩みを進めているセントラル社会保険労務士法人だが、井下氏自身の今後についてはどう考えているのだろうか。
「次の10年では、幹部を育て後継者を決めようと考えています。ただ仕事は好きなのでずっと続けていきたいですね。私は、人は『かんじょう(勘定と感情)』で動くと考えていて、だから、法律を扱う社労士の仕事だけではなく、メンタルヘルスやクレド作りの支援も行っていきたいと思っています。実際、2015年には株式会社HRアセストというコンサルティング会社を立ち上げ、『勘定(経営)』と『感情(メンタル)』両面からの支援に取り組んでいる最中です。人のモチベーション、働くという部分でもっと守備範囲を広げていきたいし、できるならもう一度大学で学びたいですね」
最後に井下氏から社労士をめざしている読者へメッセージをいただいた。「世の中が変わると働き方も変わって、労務に影響が出ます。最近でも、新型コロナウイルスの影響でテレワークや時差出勤など、働き方や働くことの価値観が大きく変化しました。決して法改正があったわけではないのに、です。世の中の変化に合わせて相談内容が変わったり増えたりと、社労士の仕事は大変ですがとてもやりがいがあります。お客様からの相談内容は一見どれも似ているように思えても、それぞれ内実は異なっていますし、そこで必要になる知恵や知識もその時々で変わっていきます。どんな時代でも社労士が貢献できることは必ずあります。
そのような業種業態ですから、キャリアは関係ないともいえます。25年間やってきた私でも、コロナ禍の働き方に関しては初心者。そこで出てくる課題に対してきちんと対応していけるかは、開業間もない社労士とまったく同じなのです。若いからできない、経験がないからできないことはありません。むしろ、新しい働き方、新しい組織のあり方については、ベテラン社労士より若い方の価値観から出てくるアイデアもあります。だから変化が多い時代となるこれからは、若い方がさらに活躍できる時代になってくると思います。追われる身としてはちょっと脅威に感じることもありますが(笑)、ぜひがんばってください」
[『TACNEWS』日本の社会保険労務士|2021年8月号]