日本のプロフェッショナル 日本の会計人|2019年12月号
海老原 玲子氏
東京RS税理士法人 海老原会計事務所
代表社員 税理士 行政書士 CFPⓇ
海老原 玲子(えびはら れいこ)氏
1953年、東京都生まれ。日本女子大学卒業後、結婚。1男2女の母として専業主婦となり、家事をこなすかたわら日商簿記1級を取得。42歳で税理士試験に合格し、主婦業を続けながら税理士事務所にパート社員として勤務。2000年、48歳で税理士事務所を自宅で開業。2012年、税理士法人化。東京RS税理士法人に名称変更。
・著作 :「 身近な法律・税金 知らずに損していませんか?」
(共著 編集:法律・税金・経営を学ぶ会 明日香出版社)、「専業主婦
が『起業』で成功する方法」経営者新書 幻冬舎)
人生は、いくつになってもやり直せる。
今は第三の人生だから、やりたいようにやればいい。
税理士・海老原玲子さんは、40代まで一度も働いたことのない専業主婦だった。子育てや家事、そして介護をしながら、税理士試験に挑戦して42歳で合格、48歳で独立開業している。自身の経験から、働きたい女性、自分らしく生きたい女性を応援していきたいと語る海老原さんの半生を振り返りながら、女性としての生き方と税理士・海老原玲子としての成長を追ってみたい。
専業主婦が税理士試験に挑戦
「私が大学生の頃は、結婚はお見合いで決めるような時代で、私も大学在学中にお見合いをしました。3月に大学を卒業し、4月にはもう結婚。まったく働くことなく、そのまま家庭に入りました」
そう語り始めた海老原玲子さんは、1953年生まれ。日本が高度経済成長期に向かって坂を上り始めた時代に、銀行員の娘として生まれ、「女性は結婚したら家庭に入る」のが当たり前の時代を生きてきた。
医師である夫と結婚し、夫の両親と同居、ほどなく子どもも生まれた。専業主婦としてずっと家にいる間、「どうせ家にいるなら、開業医の夫を支えるために経理の手伝いぐらいできないかな」と考えて始めたのが、日商簿記3級の勉強だった。
「簿記はまったくやったことがないし、大学時代、経済は大嫌いだったんですが、通信講座で日商簿記3級の勉強を始めたら、はまってしまって。簿記がおもしろくて、そのまま日商簿記1級まで取りました」
日商簿記1級に合格すれば、税理士試験の受験資格が得られると知り、税理士の簿記論の勉強もスタートした。日商簿記1級に合格した年に2人目の子どもが生まれ、続けて受けた簿記論に合格したタイミングで3人目の子どもができたので、そこからは税理士試験への挑戦がペンディングになった。さすがに3人の子育てをしながら受験勉強の時間を作るのは難しかったからだ。その後、受験勉強を再開し、3人目の子どもが小学校に上がったタイミングで財務諸表論を受けて合格している。しかし、子育てしながらの受験はストレスがたまるものだった。
「1時間集中するのがとても大変で、覚えなければいけない理論などはテキストを1回見て、何か家事をやりながらもう1回頭の中で復唱してみたりと、細切れ時間をうまく使って勉強していました。
また『1年1科目主義』を貫きましたね。余裕ができても、『もう1科目』はやらない。1年に1科目を限度として1科目ずつ着実に。だから、簿記論合格の翌年は財務諸表論、その翌年に相続税法。その次の法人税法はちょうど子どもの受験と重なって2年がかりになってしまいましたね。最後は所得税法を勉強していたのですが、これもまた子どもの受験と重なっていたので、所得税法よりボリュームの少ない国税徴収法に切り替えて3ヵ月の受験勉強で合格できました。
通信講座で勉強をスタートしましたが、やはり年齢が上がってくると集中力を維持するのが難しかったので、末っ子の長男が小学校2年生のときからは通学講座に切り替えました。そして、長男が中学1年生になった年に、やっと5科目合格できました」
海老原さんはもうひとつ、大きな決断をした。4科目に合格し、5科目目を受験後に就職活動を始めたのである。だが40歳過ぎで実務は未経験、しかも家庭があって、子どもがいてという状況で、雇ってくれるところはなかなか見つからなかった。しかし、実務経験を積まなければ試験に合格しても税理士登録はできない。正社員では雇ってくれるところがないので、なんとか会計事務所のパートの仕事を探し、週に2〜3日から働き始めた。それが42歳のときだ。
それまでまったく働いたことがなかった専業主婦が、42歳で生まれて初めて仕事をする。海老原さんは働けることがうれしくて、自分の名刺ができたときは、心がはじけんばかりだった。
働き始めてほどなく、同居している夫の両親の介護が始まった。辛い介護生活の中で、仕事をしていることが何より救いになった。そして夫の両親をお見送りし、自分の時間ができたとき、「自分ができるところまでやってみたいな」という思いが湧いてきて、税理士として開業することを決意するのである。
こうして5年弱のパート勤務を経て、海老原さんは税理士としての人生をスタートした。税理士試験5科目合格から6年近くが経過し、すでに48歳になっていた。
まずは自分が与えることによって何かが生まれる
「石の上にも3年。3年経ってものにならなかったらやめよう」
2000年、東京都江戸川区の自宅で開業した当初、海老原さんはそう考えていた。事務所を借りるといっても資金が必要だし、自宅なら家事をしながら仕事ができるので、自宅での開業は自分には合っているように思えた。顧客も開業資金もゼロ。パソコンだけ買って、お客様が1件増えるごとに会計ソフトなど必要なものを1つずつ買いそろえていった。本当にすべてがゼロからのスタートだった。
心もとないスタートだったが、1年目にほぼゼロだった売上は、2年目には確定申告や税理士会の手伝いで年収が125万円になり、3年目は500万円、4年目は1,000万円と倍々ゲームで増えていった。働いたこともなく、税理士家業の家に生まれたわけでもなく、前職も内勤のパートでお客様と接触することもなかった。パートとして月次の試算表と申告書を作ることはできても、顧問先と話すのは電話程度。それにも関わらず、まったくのゼロスタートの海老原さんが売上を伸ばすことができたのはなぜなのだろうか。
「とにかく『当たって砕けろ』でした。最初のお客様は税理士会の無料相談にいらした方でした。無料相談では名刺などは一切渡してはいけないのですが、そのあと偶然、道で出会って、『先生にお願いしたいです』と言ってくださったんです。それが第1号のお客様です。仕事がなくても時間だけはあるので、こうした無料相談の他に税理士会の記帳指導やセミナー講師などを引き受けて一生懸命にこなして、そこからポツポツと依頼してくれる方が出てきたんです」
営業経験もまったくない海老原さんは名刺の渡し方もわからなかったので、開業時に訪ねてきた事務機器などの営業担当者のまねをして渡し方を覚えた。営業トークも上手な営業担当者の話し方を聞いて、どのようにして自分の商品売上につなげるのかなどを学んだ。
もうひとつ、海老原さんがやったことがある。それは「自分が与える」ということだ。「全くゼロからのスタートだから、まずは自分が与えることによって何かが生まれる」という考えからだった。税理士会の先輩に「どうやって顧客を増やしましたか」と聞くと、「紹介やセミナーをやるのが一番だよ」とアドバイスしてもらえたが、紹介というのは母体となるところがあるからこそ成りたつものだ。海老原さんの場合、専業主婦だったので、仕事上の知り合いなどはいなかったし、大学の友人で企業の社長やトップになっている人もいなかった。「母体となるものがなく、紹介が難しい私が顧客を増やすには、セミナーをやるしかない」。そう考えて、まず地域フォーラムの代表者に「何か税務上の相談があれば受けます」と言って、フォーラムでセミナーをやらせてもらった。
もうひとつ大きな力となったのは、「女性投資家の会」の存在だ。当時、代表の紺谷典子さんが会を発足したというニュースを聞いて「お手伝いできることがあればします!」と手紙を送ったところ、「証券投資の啓蒙のために様々なセミナーや勉強会を開催しているので、セミナー講師を探している」と返事が来たのである。
「試験的に1回やらせてもらって認めてもらえたので、そこからはものすごく勉強をして臨みましたね。まだまだ男性社会で、税理士も男の先生でなければという雰囲気がある時代です。自分は女性税理士として何をやっていけばいいのかと考えて、相続だと閃いたんです。相続なら、夫に先立たれた奥様の話を、女性目線でゆっくり聞いてあげることができるはず。そこで、『女性投資家の会』で相続セミナーに力を入れてやらせてもらいました」
人前で話した経験もなく、相続の実務経験もほとんどない中、海老原さんはモットーの「当たって砕けろ」で、書店にある相続の本をほぼすべて読破してレジュメを作り、「女性投資家の会」のセミナー参加者100名を前に3時間話したのである。
セミナーは大好評で、担当するセミナーも徐々に増えていった。そのうち著名人とのシンポジウムに参加するなど経験値も高くなった。「女性投資家の会」でのセミナーは、今につながる貴重な体験となったのである。
12年目の税理士法人化
ゼロからでも根性が据わっていれば道は拓ける。いろいろな経験が直接的に顧客につながるわけではないが、聞かれたことに必死になって答える海老原さんの潔さと持ち前の明るさで、2年目、3年目と徐々に事務所は軌道に乗っていった。開業したとき中学1年生だった息子さんも高校受験を迎え、2人の娘さんも大学受験や大学生でまだまだ手を放せない状況。1日3度の食事の支度もすべてこなしていたが、それまで仕事をしたことがなかった海老原さんはお客様と接するだけでうれしかった。
「私たちの仕事って、とにかく社長さんに元気になってもらうのが一番だと思うんです。お話ししていて、社長さんが元気になっていくのがわかるときが本当にとてもうれしい」と目を輝かせる。
3年目には顧問先が20件を数えるようになり、1人では事務所が回らなくなってきた。そこで3年目に初めて、税理士有資格者の専業主婦の女性を採用した。
「彼女は入所してすぐに子どもが生まれたので、部屋に布団を敷いて子どもを寝かせながら仕事をしていましたね。今で言う『子連れ出勤』。彼女は、確定申告のときに1人目を生んだので、2人目のときは『確定申告時期だけははずします』と言って、確定申告が終わってから2人目を生みました(笑)。それでも回らないときは日商簿記3級を持っている人に週3日パートで来てもらうなどして、そこから徐々に人が増えていって、事務所を借りるまでになりました」
こうしてJR小岩駅と自宅との中間地点に事務所を借りることになり、事務所は4名の陣容となった。海老原さん自身の人脈もできてきて、その頃から紹介で仕事がどんどん増えていった。
税理士会の無料相談や地域フォーラムなど地元密着でスタートした海老原さんの事務所は、8〜9割が地元の江戸川区のお客様で構成されている。さらに現在では、紹介で北は青森県、南は沖縄県まで顧客は広がっている。
税理士事務所を開業して12年が経った2012年、海老原さんは税理士法人化を果たした。知り合いの税理士が将来的に北海道に帰るために、北海道で地盤づくりをしたいと頼まれたことから、東京と北海道の両方で展開できるよう法人化したのである。
「若くて優秀な方だったので、いずれは税理士法人を任せられると思い、2人で法人化しました。ところがその方がすい臓ガンで亡くなってしまったのです。そこで今は、私の次女がパートナーになってくれています」
海老原さんの3人のお子さんのうち、1番目の娘さんは医師になり、夫婦で医師として開業している。日商簿記1級に合格したときに生まれた2番目の娘さんは、公認会計士・税理士となり、税理士法人のパートナー、しかもご主人も公認会計士だ。3番目の長男は医師となり、夫の開業している医院を継ぐことになっている。
海老原さんの税理士法人は、いずれは次女夫婦が跡を継ぐことを想定して、「東京RS税理士法人」に名称変更した。Rは「海老原玲子」のイニシャルのR、Sは次女・咲子さんのS。会計士である次女の夫のイニシャルもRなので、次女夫婦に承継してもらったあとも同じ名称で展開できるというわけだ。
「働きたい主婦」を応援したい
海老原さんは自身が40歳を過ぎてからの就職で苦労したので、働く女性を応援したいという想いが人一倍強い。
「私自身、資格を取ってよかったと思っているし、資格があるとないのとではお客様の受け止め方が違うので、資格を取得する方を応援しています。独立する・しないは本人次第。自分でやりたいという気持ちがあればサポートします」
2019年9月には所内の優秀な女性税理士が1人独立したが、「そういう女性を今後も支援していきたい」と、今後も独り立ちするスタッフをサポートしてく姿勢だ。現在12名(海老原さん、咲子さん、正社員5名、パート5名)の事務所内では、税理士をめざしている受験生が4名いる。パートはすべて、子どもを抱える主婦。彼女たちには、本人が働ける時間だけ働いてもらっているという。
「勤務時間は自由で、働けるときだけ来てくれればいいことにしています。子どもが熱を出して保育園に行けなければお休みしてもいいですし、勤務時間が9〜15時の人もいれば、週3〜4日勤務の人もいます。
私、すごく『主婦力』を信じているんです。主婦は、限られた時間で仕事をしようとするので、ものすごく一生懸命やってくれます。でも、子育て中の就職はなかなか難しいので、そんな主婦たちを応援したいんです。今は子育て中でも、いずれ子どもは大きくなって手がかからなくなる。待っていればその人たちは正社員となって、戦力になるんですから。お子さんを3人生んで、10年ブランクがある税理士有資格者の方を採用したのですが、10年のブランクを1年で取り戻して、2年目から顧問先を任せられるようになりました。すごく助かっています。もう1人、過去に会計事務所経験のある女性で、子育て中でも雇ってもらえるか不安を感じながら応募してきた方は、「できる時間だけ来てください」とお願いしたら、今すごくバリバリ働いてくれています。私は自分が苦労した分、そういう女性たちに活躍の場を提供してあげたいですね」
自由な働き方を支援するために、1人にだけ任せるリスクを回避するべく、1社に2名の担当をつけるといった工夫もしている。申告書なども必ず担当者のほかにチェック担当がつく。
「1人で最初から最後まで担当するのは大変です。税法上の有利・不利もいろいろあるし、1人の解釈だけでなく皆で共有して相談しながらベストアンサーを探っていったほうがいい。複数で担当すればいろいろな角度から見られます。うちのお客様は零細企業が多いので、法人税だけを見ていてはだめなんです。法人税や所得税、相続税とすべて見て、税法上将来的にどうするのが一番有利なのかを判断していきます。そうした判断は1人ではできません。税法をまたいで横断的に考えなければ、よい提案はできないんです」
現在、顧問数は月次の法人が約100件、個人の確定申告150件、相続税申告が年間15〜20件を数える。それまで相続案件がほとんどなかった江戸川区でも、税制改正の結果、課税の対象となる被相続人が増え、小さな相続案件が一気に増えたのである。
中小企業のニーズに応えるオールラウンダーをめざして
業務としては、まず相続という柱ができて、次に個人・法人の税務関係がもうひとつの柱になった。海老原さんは、これらの業務をすべて自社内で完結できるワンストップサービスをめざしている。そのためアライアンスには、弁護士や司法書士、行政書士、社会保険労務士、土地家屋調査士と幅広い専門家が名を連ねている。
「お客様に煩わしい思いをさせたくないので、全部私のところに集めてワンストップでご相談を受けます。ずっと変わらない私の想いは『お客様のために』。お客様のニーズに応えるためにやっているので、自分のやり方にお客様をはめ込むのではなく、お客様のニーズに合わせて一生懸命やるだけなんです。
それこそ今、クラウド会計などもありますが、私の顧問先には適用できません。中小零細企業は社長自ら現場で働いている方が多いので、クラウドがいいと言われても移行が難しいのです。大手企業であれば、税法上有利な選択をきちんと考える人が社内にいますが、社長がすべてを担う中小零細企業ではそこまではなかなか考えられません。日々の売上を上げるのに一生懸命なんです。それなら『とにかく顧問料を払っていただけば全部お引き受けします』というほうが親切なんですね。
税理士は、10年後になくなる職業のひとつと言われることがありますが、こうした中小零細企業の存在を考えると、私は税理士の仕事はなくならないと思っています。AI関係は結局人が設定しないと動かないじゃないですか。そこができないと逆に機械化するとすごく手間が増えてしまうんです。以前、自計化すべきと騒がれていた時期があって、私も積極的に取り入れましたが、間違えて入力されたものを改めて書面と突き合わせてチェックするのはすごく手間なんです。社長さん自身も入力などの手間がかかるし、私たちも確認の手間がかかってしまう。だったらいっそのこと、最初から全部引き受けてやったほうがコストもかからないしストレスもないし、お互いのためになるのです。社長さんが無理をして自計化に合わせようとする手間を考えたら、その時間を営業に回していただいたほうが売上も上がりますよね。会社が人を1人雇えるだけの規模になればいいのですが、1人雇うとなったら年間300万円以上のお金は必要です。それを捻出できるだけの仕事量も売上もないようなお客様がたくさんいらっしゃるので、私はすべてを受け止められるオールラウンダーとしてやっていきたいと考えています。電話対応や書類作成など、今どんどん主婦の力を活用してお客様のニーズに応えられるようにしようとしています」
やりたいことはすべてやる!
生まれてから約20年間の娘時代、そして妻であり母であり嫁である時代があって、今がある。海老原さんは今を第三の人生と呼んで「すごく充実していて楽しい」と、満面の笑みで話す。
「今は税理士であり、職業人であると同時に、家庭人でもある。介護を終えて、子どもたちも独立して、楽になりました。一番多いときは7人分の食事の支度をしながら仕事していましたから。
だから私、怖いものがないんです。第三の人生を生きているので、もうやりたいようにやればいいと思っています。だから本当にやりたいと思ったことはすべてやっています。家庭裁判所の調停委員もやってみたし、お客様に頼まれて成年後見人もやっていますし、とにかく頼まれたことは経験の有無に関わらずお受けしています。その姿勢は最初から変わりません。常にお客様に寄り添っていたいんです」
何よりも海老原さんが声を大にして言いたいのは、「もう年だから」「働いたことがないから」という理由で働くことを諦めてほしくないということだ。
「今スタッフで、税理士試験に毎年1科目ずつ合格している50代の女性がいます。すごいですよね。50歳を過ぎてもまだ挑戦している人がいるんです。そのほか4科目合格のスタッフが2名、3科目合格と2科目合格のスタッフが各1名、社会保険労務士試験を受けるスタッフもいます。そういう人たちを応援したい。ですから、うちはほぼ残業なし。残業は繁忙期の確定申告期だけです。そのときでも20時には帰れるようにしています」
受験勉強をしているスタッフには優秀な人が多いという。
「単にこなすだけのような仕事はしない。一生懸命調べながら対応するので、ひとつの案件に対してもいろいろな引き出しを持っているんです。それが大事。勉強している人は意欲が高いので、私は勉強している人を採用したい。それから、和気あいあいとしている事務所なので、馴染んでくれる人なら、家庭の事情があって短い時間しか働けなくてもいいですし、税理士として独立してまだ仕事がない人でもいい。『仕事の依頼が来るまでうちでがんばって』と雇っています。そういう人たちは優秀ですよ。
また、40代になるとひとりではいろいろと不安に思う人が多いようで、40歳過ぎてからうちに入ってくる人が多いですね。みんな一生懸命やってくれるので、そういう人たちの経験してきたよいところはどんどん取り入れていきたい。そうやって大きくなってきた事務所なので、これからもみんなの意見を取り入れていきたいですね。
人生はいくつになってもやり直せる
海老原さんが税理士になって一番よかったと思うのは、自分の世界ができたことだという。
「私、仕事は楽しくないと意味がないと思っているんです。それこそ専業主婦だと、『○○ちゃんのお母さん』とか、『○○さんの奥さん』としか呼ばれないけれど、仕事をしていれば自分の世界がある。それって、すごくうれしいこと。自分の名前で生きていける世界があるのは、すごく楽しいです。私にとって、税理士は第三の人生への切符でした。税理士としていろいろな方と話ができて、アドバイスしたことで社長さんが元気になってくれたり、いろいろな業界の話を聞くことができたりする。そんな仕事は他では経験できないし、多岐にわたった業種・業界の話が聞けるのは、すごく楽しいです。ですから世の中の動きもマスコミとは違った側面で捉えることができます」
海老原さんは税理士の他に行政書士とCFPⓇ資格も取得している。CFPⓇ資格を取得したきっかけは、就職活動で最初に断られた会計事務所で「入力パートでも可」と謳っていたにも関わらず、「うちはFP(ファイナンシャル・プランナー)がほしいんだ」と言われたことだった。そこで税理士として開業して間もない頃の空き時間を利用してCFPⓇ資格を取得した。また行政書士資格は、相続の仕事をしていく上で書類作成が必要になることと、医療法人や建築業の設立・届け出関係で必要に迫られたことから取得した。2つの資格をプラスしたおかげで、行政書士としての医療法人設立や約款変更などの仕事も受けられるようになったし、日本FP協会のフォーラムでセミナーをやることにも役立っている。何より他士業とのネットワークが広がったことは、大きな収穫となっている。
最後に、資格をめざす人にメッセージをいただいた。
「毎回の講義の積み重ねで試験に合格できるので、講義を疎かにしてはいけません。必ず講義には出席して毎回のミニテスト(復習テスト)は必ず受けること。これを徹底してください。与えられた講義時間は、集中して勉強する。家庭のある女性であれば、電車の往復時間など、私のように細切れ時間を見つけて、少しずつ覚えて何度も反復してください。
人生はいくつになってもやり直せます。40歳になっても、50歳になっても、受験勉強を始めたら仲間ができるし、新しい世界が広がります。私自身税理士になって、本当に世界が広がって、いろいろな方とおつき合いできるようになって、今とても楽しい。『もう年だから』と諦めずに、ぜひ挑戦してください」
[TACNEWS|日本の会計人|2019年12月号]