日本のプロフェッショナル 日本の司法書士|2017年2月号
高橋 健太郎氏
司法書士法人イストワール
代表司法書士
高橋 健太郎(たかはし けんたろう)
1982年12月生まれ、千葉県出身。大学卒業後、不動産会社に2年勤務。2010年、27歳で司法書士試験合格。2011年9月、津田沼駅前に司法書士事務所イストワール開設。2012年6月、司法書士法人イストワールに組織変更。現在、関東・北陸を中心に全12店舗を開設。
一度しかない人生。
どこまでできるか限界に挑戦する
「Challenge and Innovation」です。
2011年9月に千葉県船橋市の雑居ビルの1室で誕生した司法書士事務所が、5年後に総勢100名以上、拠点数12店舗という司法書士法人のトップクラスにまで成長した。それが司法書士法人イストワールだ。その代表司法書士である高橋健太郎氏は、さぞや敏腕、エリート街道まっしぐらの人であるだろうと想像するが、意外にも「5〜6年前までは、目標に対し現実が伴っていない状況の中、どうすれば自分の夢や目標を叶えられるのかわからなかった」と言う。高橋氏の奇想天外な人生を振り返りながら、イストワール成長の舞台裏を探る。
過去からの脱却をかけた司法書士試験
「楽して成功しよう」というのは、世の中の大半の人が考えること。しかし、そうしようと思ってもうまくいかないのが世の常だ。目標があるのに現実がついていかないのは自分以外の何かのせい。いつもそう思っていると、結局うまくいかない。司法書士になる前の高橋健太郎氏はまさにそんな道を歩んでいた。
「私の履歴書はグチャグチャなんです。高校の勉強に意味が見いだせなくて中退。大学入学資格検定(現・高等学校卒業程度認定試験)を受けて大学へ進学。卒業後、社会人になって2年で2回会社を辞めた。結局、やりたくないと思ったら我慢して続けることができなかったんです。そんな経歴では、まともな会社は雇ってくれない。気づいたら24歳で無職…。若いときから30歳までに独立したいとかいくつか目標はあったけれど、まったく目標に近づいていない自分がいました」
現在34歳。開業6年目の司法書士法人のトップとしてはかなりの若手だ。そんな高橋氏が大学に入ってまず立てた目標は卒業することだった。
「大学は、1〜2年でがんばって単位を取ってしまえば3〜4年は暇になる。そこで空いた時間に毎日のようにスロットを打って、月40〜50万円稼いでました。そんな生活をしていたら普通に働くのがバカらしくなって、就職活動にも力が入らない。でも、スロットをやっていても人として成長できないとわかっていたし、独立するためにどこかで働きたいという気持ちはありました。結局、就活中にたまたま出会った独立支援制度がある不動産会社に入社。ここに入れば独立できるかもと思い飛びついてしまったんです」
新卒で入社した不動産会社では、2年間ずっとマンスリーマンションのオペレーターをしていた。
「仕事は最初のうちは楽しかったし、何でも自分の学びになりました。でも、2年間ずっと電話応対の仕事をしていたら、この仕事でどうやったら独立できるのだろうかと思うようになったんです」
結局、独立する絵が描けないと思い退職。転職した不動産会社もわずか2週間で退職。それが24歳の時のことだ。自分の思うままに仕事を辞めたが、気づいたら無職。夢に近づくどころか、離れていく状況。
「最初の会社を辞めた2週間後には次の会社も辞めてしまい、また無職…。自分自身が情けなくて落ち込んでいました。そんな時に、司法書士試験に受かった高校時代の友人がいて、自分も司法書士試験を受けようと思ったんです」と、司法書士をめざした経緯を話す。
聞けば、不動産に関する法律は詳しく学べる。独立しやすい。簡単な試験ではないが1日10時間、1年間ずっと勉強すれば1回で受かる可能性があるという。
「いつも楽して簡単に成功することを求め、上手くいかないときはいつも自分以外のせいにしてきた、自分自身の考え方や行動を変えざるを得なかったんです。そんな時に出会った司法書士という資格。勉強であれば自分がやるかやらないかだけ。これなら全部自分のせいにできるし、他人のせいにはできない。だからやってみようと思った。そして、自分の責任で結果を出せないなら、独立することはあきらめようと決意しました」
こうして紆余曲折を経て始まった司法書士受験は、とにかく自己改革のためだった。1日10時間、直前期は1日13〜14時間勉強して、1年での合格をめざした。しかし、結果はわずか1問、得点では2.5点足りずに不合格。
「精神的にはかなりきつかったです。あと1問のためにもう1年勉強しなければならない。今ここでやめたら、周りから見ればただのあきらめた人。いくら勉強しても、成果を出さなければ認めてもらえないから、やめるわけにはいかないですよね。すべて自分の責任なので、合格するまでやるしかない」
あと1問のための1年間の受験勉強。そんな過酷な状況の中で、高橋氏が一番苦しかったのがモチベーションの維持だったという。
「司法書士試験は大学受験のように滑り止めもないし、試験は年に1回。私の場合、2年目はいつ試験日が来ても受かると思っていました。それだけ努力していたので。でも、司法書士になれるチャンスは1年に1回しかやってこない。そのために、何度も解いた問題を忘れないように、毎日同じことの繰り返しを1年間続けなければならない。1年目は初めて学ぶことばかりなので成長の年でしたが、2年目は現状維持のための1年。これが非常につらかった」
そんなとき高橋氏の支えとなったのが、プロ野球選手のイチローの言葉だった。記者からの「どうやったらモチベーションを高く維持できるのか」という質問に対し、イチローはこう答えていた。
『モチベーションはずっと高く維持し続けられるわけがない。人間だから高い日も低い日もある。大切なのは、維持することではなく、モチベーションが高い日も低い日もやるべきことを当たり前にやること。モチベーションでパフォーマンスを変えてはいけない』
「きっと独立してからはいろんなことを経験し、モチベーションが高い日も低い日もあるだろう。そんなとき、感情に左右されずにやるべきことをやる。そのための修業の期間なんだ」と高橋氏は自分に言い聞かせた。そして2年目、悲願の合格を手にする。
厳しい2年を超えて、次のステップを登る時が来た。30歳までの目標を叶えるために、高橋氏が考えていたのは「1年で試験に受かる計画が1年ずれた。これをどこで調整するか」。そこで「修業する時間を縮めよう。普通なら何年か修業して独立だが、自分は1年後の簡裁訴訟代理等能力認定考査に合格したその日に独立しよう」と決めた。
そんなタイミングで、友人から「うちで働かないか」と誘いがあった。高橋氏はすでに独立の日にちを決めていたので、3ヵ月間だけ友人の事務所に入り、債務整理の実務を経験。その後登記専門の事務所に3ヵ月勤務して登記業務を学び、2011年9月のその日、まさに認定考査発表日に千葉県船橋市で独立を果たした。つまり認定考査の発表前にすでに司法書士登録を進め、事務所を借りていたのである。
「認定考査に落ちていたら今はないんですけどね」と冗談めかす高橋氏の司法書士事務所は、こうして誕生した。
人生をかけたチャレンジ
3ヵ月間の債務整理と3ヵ月間の登記業務の経験だけで独立に踏み切った高橋氏は、JR津田沼駅近くにある雑居ビルの一室に事務所をオープンした。スタート当初から主な業務は債務整理や過払い金請求。しかし、業界ではもう過払い金請求の仕事は無くなったと言われた時代だった。
「試験合格後に働かせてもらった友人の事務所が、借金問題・過払い金請求の仕事をしていたんです。本当に過払い金の仕事がまだあるとは、彼の事務所に入るまでは信じられませんでした。けれども相談の電話はたくさん鳴るし、依頼もたくさんあってすごく忙しかった。まだまだこの仕事はあるんじゃないかと思いました。それで友人に『独立したら僕も真似していいか?』と聞いたら、『いいよ』と言ってくれたんです。そして、実務だけでなく、どんな広告で集客しているかも教えてもらったんです」
高橋氏はその時初めて独立後の道が見えてきたという。
「本当に友人には感謝しています。今も一番仲の良い友人であり、命の恩人です。彼がいなかったら今の自分は絶対に無かった。競合になるかもしれないのに、快く私に仕事を教えてくれた彼には感謝の気持ちしかないです」と恥ずかしそうに感謝の気持ちを語る。
こうして、友人の事務所での経験を活かして独立し、開業9ヵ月目には支店を出店しているが、最初から上手くいったわけではなかった。3回連続で広告が失敗したら事務所をやめると自分自身でルールを決めてスタートしたが、最初の2回は失敗に終わった。
「最初の1ヵ月でかなりの広告費をかけて地元や地方でチラシを撒き、出張無料相談会を開催したのですが、ほとんど相談者が来ませんでした。正直なところ、もともと周りからは独立に反対されていました。なぜ生き急ぐのか、まだ実務経験が足りない、初めは少ない金額で広告を出していけばいいのでは、等々」
周りの忠告を無視して自分の道を進んだ結果、相談者が来ない。やっと試験に合格し独立の目標が叶った矢先のことだ。もう後がないプレッシャーから食事がのどを通らなかったという。
「3回目でようやくうまくいきました。本当にギリギリのところで何とか生き延びた感じです。その後は、2回目までが嘘のように依頼がたくさんありました。でも、いつかは過払い金の仕事がなくなり、登記の仕事にシフトする日が来る。それまでに貯金をするためにも、1年でもいいからこのマーケットで仕事をしっかり取ってこなければと、当初は明日を生きるのも精一杯でした。結果、1年経ってどうなったか。さらに依頼をいただくようになって、そのまま5年間続いて現在に至るわけです。苦しい時代があったけれど、がんばって生きてきて良かった。独立してからの5年間、たくさんの人たちの力になれて本当に良かった」
全国12支店の多店舗展開を実現
独立した当初、高橋氏は広告を打ち、集客していった。ただ、集客はうまくいったものの、過払い金の計算や請求の際の裁判の書類作成等すべてができるわけではなかった。
「正直、実務経験が3ヵ月しかないので、仕事の仕方がわからなかった。というか、3ヵ月でできるようになる仕事なんて無いですよね。だから、すべてが手探りでした」
そこで高橋氏は、債務整理事務所にいた同期に電話をして「来てくれないか」と誘った。その時に来てくれたのが、現在イストワールの副代表を務める田中司氏だ。田中氏は試験合格時の同期で、何回か同期の飲み会で一緒に話をした程度だったが、とてもさわやかな印象が強く残っていた。イストワールを立ち上げて手が回らなくなった時、最初に顔が浮かんだのも田中氏だ。打診して1週間後、田中氏から「引き受ける」と返事をもらった。
「裁判も業者との交渉も、実務については彼がすべてやってくれました。だから私は集客して依頼を受ければいい。あの時は本当に助けられました。田中がいなかったらどうなっていたことか」
田中氏以外にも、イストワールには高橋氏の同期や知人が何名も加わっている。
「私の実務経験の未熟さを補うべく、多くの人たちが必要なときに助けてくれたおかげでイストワールの今がある。みんなに支えられてやって来られた5年間だった」
業界では後発組のイストワールが大きく成長できたのは、ひとつに独自の広告戦略があった。そしてもうひとつは、多店舗展開による地域密着型の運用モデルを構築できたことだ。「飲食業のように初期投資が何千万もかかるような業界に比べると、司法書士の支店出店・撤退は100万円あればできる、多店舗展開しやすい業態」と高橋氏は分析する。
「Challenge and Innovation」の5年間
「過払い金がなくなった後、どのような仕事なら今までの経験が活かせ、やりやすいか」
ポスト過払い金請求としてイストワールが力を入れているのは、住宅ローンの返済に困った人に対し、家を残すことから考える借金の解決方法だ。
「過払い金の影響や貸金業法改正で債務整理の市場は確実にしぼんでいます。自己破産も10年前は年間20万件だったのが今は年間7万件。つまり借金を整理するマーケット自体、3分の1に減っているんです。貸し手も減っているし、取れる利息も減って、借りる側の自己破産も減っているわけです」
しぼんでいくマーケットにあえて参入していく勝算はどこからやってくるのか。そこには、依頼者のためにより良いサービスを届けたいという高橋氏の想いがあった。
「私がこの仕事にチャレンジするのは、顧客に必要とされる本当に良いサービスだからです。そして、私たちのようなサービスを提供しているところがほとんどない。住宅ローンの返済に困ったとき、不動産会社や銀行に相談に行く人が多いのですが、そもそも相談に行く先が間違っているんです。住宅ローンも借金の一種だから、返済に困ったときに相談すべきは法律家。個人再生という方法を取れれば、住宅ローン以外の借金を5分の1に圧縮して、住宅ローンをそのまま支払ってマイホームを守ることが可能です。
個人再生はここ15年程でできたばかりの新しい制度。マイホームを守って借金を解決できる個人再生は、本当に良い制度だと思います。でも、まだあまり知られていません。それなら我々が広めていこうと。まずは個人再生で家を残すことから考えて、それでもダメだった時は自己破産。その際に家を売却するとなれば、グループの不動産会社でワンストップでサービス提供します。これこそが、住宅ローンの返済に困ったときに本当に必要なサービスなのです」
そして、住宅ローン救済の仕事が軌道に乗ったら、その先は相続のマーケットに仕掛けたいという高橋氏。遺言書作成、死後事務の委任契約、相続登記、遺産分割協議書の作成、遺産分割に伴う不動産の売却といった一連の相続全般を取り扱おうとしている。
試行錯誤しながら、常に事務所の理念である「Challenge and Innovation」を徹底して追求してきたこの5年間。毎年同じことを繰り返すより常にチャレンジする。高橋氏は新たな挑戦の中で切磋琢磨してきた。
あきらめない気持ちが必要
独立して6年目。12支店と100名以上のスタッフを抱えるまでになった高橋氏。それでも「自分の生き方は他の人には勧められない」という。
「うまくいくまでは失敗の連続。今はうまくいっているからいいけれど、独立には間違いなくリスクがあります。成功と失敗は紙一重で、私も一歩間違えばまったく逆の人生です。だから、あえて人にはお勧めできない。よく司法書士は合格したら独立しやすい、中には年収1000万円以上稼げると書いてある本がありますが、正直そんな甘いものじゃないなと思いました。仕事を継続的にいただくことは簡単ではありません。しかも、事務所を経営するために必要なのは仕事を取って来ることだけでなく、スタッフの採用や育成、組織の仕組み作りやマネジメント、リーダーシップなど様々なものが必要とされます。毎日のように多くの課題が出てきますが、私のところに来る問題はみんなが解決できなかった問題であることが多い。私も日々人としての未熟さを痛感しながら、どうしたら解決できるか試行錯誤しながら取り組んでいます。 そんな中でも、自分の理想の人生を掴みにいくためには、チャレンジ精神を持ってあきらめない気持ちが必要です。周りにやめろと言われても、本当にやりたいことであればそれでも突き進む強い気持ちが大切だと感じています」
今後の目標は「今の件数を維持すること」。しぼんでいく市場に対して維持していくことは実質的に増やすことになる。
一度しかない人生で限界への挑戦を
今後も新たな取り組みに意欲を見せる高橋氏だが、それには人的資源が必要になってくる。今後の展開を見据え、さらに人員を増強し、この1年で130名体制をめざしていくのも目標のひとつだ。現在ある12支店に対して有資格者は17名。今後、有資格者を採用し、さらなる厚みを出したいという思いもある。「人も、有資格者も、新しいテナントも、何でもほしい(笑)」と意欲的に語る高橋氏に、イストワールの理想の司法書士像を聞いてみると、「まず絶対に譲れないのは、事務所の理念にきちんと共感してくれる人。つまりチャレンジ精神をもって業界の中で新しいことを創っていく姿勢があること」という答えが返ってきた。
「私だってもとは独立したいだけの自己中心的な考えでした。でも目の前の仕事をがむしゃらに一生懸命取り組むうちに、仕事が自分自身を成長させてくれたのを強く感じるようになりました。何をすることが依頼者や事務所、社会にとっての一番の貢献になるだろうかということを真剣に考えるようになった。そして、周りのすべてに対する感謝の気持ちや責任を強く感じるようになったのです。
とりわけメインである借金整理や過払い金請求という仕事は、本当に依頼者から感謝される仕事です。今の時代、直接『ありがとう』と感謝される仕事は限られると思うんです。そんな中、未熟な人間が資格を取っただけで、それを武器に人に貢献でき感謝される。依頼者から便せん3枚もの感謝の手紙が届く仕事なんて、そうそうありません。本当に素晴らしい仕事に就けて良かったと心から思っています」
過払い金請求は、司法書士あるいは弁護士が間に入らなければ取り戻せない。しかもイストワールでは、戻ってきたお金の中からしか費用を請求しない。依頼者にとって何のデメリットもないサービスだ。そんな良い商品だからこそ、高橋氏はもっと世に広めたいと声を大にする。
「この資格を持った者しかできないサービス。ということは資格を持った人の権利である一方で、良いものをよりたくさんの人たちに広めることは義務でもあると思います。そして、それを達成するためには、日々地道な努力や、いろいろな課題をあきらめずに解決する気持ちを持って臨んでいくことが重要だと感じています」
司法書士以外では「一般社団法人七夕協会」の理事としても活動している高橋氏。七夕祭りは全国100ヵ所以上で7月7日から8月7日まで開催される日本の伝統行事だ。日本を始め海外の人にもこの伝統文化を広めようと、今いろいろな仕掛けを作っているという。
「価値あるものを世の中に提供できる人間でありたい。楽しいことをやって過ごしたいです」という、高橋氏の究極の思いが表れている。
選んだ道を自分の人生の正解に
創業わずか5年で司法書士業界ではトップクラスに成長したイストワール。この5年間を振り返ると、いろいろなことが想起されて、いつしか話は受験時代に戻っていった。
「僕は今、幸せだと思います。でも、6年前に合格するまでは苦しかった。同年代の仲間がバリバリ働いて成長していく中、社会人からドロップアウトして、司法書士試験に挑戦。お金がなくて、親に作ってもらったおにぎりを持ってWセミナー(※)の自習室で勉強していた。それから5年でここまで来られるとは思わなかった。ある意味人生をワープしたというか、一気にやりたかったことが叶えられているのがうれしくて、不満なんて何もないです。
ただし受験生の方には、決して資格が人生を豊かにしてくれるわけではないことを忘れないでほしいですね。私も以前はどの道に進めば正解にたどり着けるだろうかと考えていましたが、そうじゃないんです。大切なのは、選んだ道をどのように正解にしていくか。ぜひ、司法書士になるという道を選んだのであれば、その道を自分の人生の正解にするように努力していただきたいと思います。
司法書士に限って言えば、マーケットはまさに圧倒的な売り手市場。就職先は見つけやすいですよ」と、受験生にも力強く語りかける。
がむしゃらに走ってきた5年間。日々イストワールの提供するサービスが本当に良いものだという思いで自らの仕事に、やりがいと大きな存在意義を感じてきた高橋氏。失敗と成功を繰り返しながら、成長してきた今だからこそ、過去にしてきたことへの様々な思い、そして感謝の思いが浮んでくる。
「すべてのことに感謝です。高校時代の友人がいなかったら司法書士になっていなかったし、独立もできなかった。たくさんのご依頼者様、共に働くスタッフや、すでに独立した司法書士の人たち、残念ながら辞めてしまったスタッフ、また取引先の皆さんや多くの困難、あらゆるもののおかげで今のイストワールと自分があります。働くことは本当に素晴らしいなとつくづく思います。働くことで生活の糧を得ることも重要だけれどそれだけではない。仕事を通して直面する多くの困難が私自身の人間性を大きく高めてくれるなと感じています」
5年という短期間で100名規模。この成果を出せたのも、きっとこの感謝の気持ち、謙虚な姿勢があったからだろう。これがなかったら、司法書士・高橋健太郎は生まれなかったかもしれない。
「うちは普通のサラリーマン家庭で、無駄なことにはお金を使わず真面目にコツコツ生きてきた家庭でした。そんな中で、自分勝手に生きる息子に対し、両親は見捨てることなく応援してくれました。独立したときに親から家にあった貯金の大部分を借りようとしました。その時、父はなんと言ったか。『お前のためなら、いくらでも貸すよ』と言ってくれたんです。経営者としての実績も社会人としての実績も無いのに。自分が親だったら同じように言えるかわからない。本当に良い親なんですよ。普段は恥ずかしくて口にしていないですが、心から感謝しています」
「一度しかない人生の中でどこまでできるか。自分の限界に挑戦したい」と走り続ける高橋氏は、同じ1年の繰り返しはしないと断言する。新しい経験を求めて、これからも常に成長し続けていくその姿は、司法書士にとどまらず資格をめざすすべての読者の目に、新しい世代のヒーローとして映っているに違いない。
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