特集 社会人からめざした弁護士への道
安藤 愛子(あんどう あいこ)氏
丸子橋法律事務所 代表
弁護士
安藤 愛子(あんどう あいこ)
弁護士、丸子橋法律事務所代表。大学院修了後、大手保険会社に就職し、人事システムの企画を担当。スキルアップを求めて退職、ロースクールで法律を学び、出産を経て2回目の受験で司法試験に合格する。弁護士資格取得後は法律事務所勤務を経て独立、「丸子橋法律事務所」を開設し、交通事故、離婚・男女問題、労働問題などに注力。依頼者としっかりコミュニケーションを取る丁寧な対応に定評がある。私生活では夫と娘の3人家族。とにかく「娘が大好き」というママの顔を持つ。
弁護士として活躍する安藤愛子氏は、一度社会へ出たのち法科大学院(ロースクール)へ通い、2度目の受験で司法試験に合格した。それも、在学中に出産して乳幼児を抱えての受験である。そんな自身の経験から、法学部を卒業したわけでもなく、法律知識がまったくないところからのスタートでも、全力でやり切れば司法試験突破は不可能な壁ではないという。
「やると決めたら即行動すること。やれない条件を考えていたら、いつまでも変われません」と語る安藤氏に、学習中のエピソードや弁護士という仕事のやりがい、女性としてのキャリアの築き方についてうかがった。
ライフステージの変化に揺らいだキャリアプラン
──安藤さんは一度社会に出られてから弁護士をめざしたのですね。
安藤 はい。関西の大学を卒業後、東京の大学院で経済社会学を学びました。大学院を出たあとは国内の保険会社に就職して、2年半ほど人事システムの企画系の仕事に就きました。この会社に勤めている時に、大学時代から交際していた今の夫と結婚し、その後退職して法科大学院(ロースクール)へ通い、司法試験を受けました。
──大学は経済学部で、大学院も経済社会学部。当時はどのようなキャリアプランをお持ちだったのでしょうか。
安藤 金融系のゼミに所属していたので、他の卒業生と同じように、自分も金融機関に就職して定年まで働くことを考えていました。実際、新卒で入った保険会社は終身雇用型の企業でしたし、就職した時はずっと働くつもりでいました。
──その会社ではどのようなお仕事をされていましたか。
安藤 本社の営業人事部という部署で、システムの企画業務を担当しました。システム企画といっても、実際にシステムを構築するのは専門の関連会社の方がいらっしゃるので、私はその方々と連携して、営業職員の人事労務管理に必要なシステムの企画書を作成したり、できあがったシステムのテストを行ったりする仕事を担当していました。
──企画職としてキャリアを積んでいたのに、退職を選んだのはなぜでしょう。
安藤 会社をやめたのは、手に職をつけたいと思ったからです。結婚して、この先出産・子育てをすることを考えたときに、今のままでは仕事と家庭を両立するのが難しくなると思いました。
私のいた会社では、本社で数年勤務したら支社勤務になる、というように、本社と支社とを交互に行き来しながらキャリアを積ませる方針をとっていました。支社勤務は、お客様と直に接する点で、やりがいもおもしろさもあるとは思いましたが、当時の支社勤務は帰り時間がすごく遅かったものですから、いつか家庭との両立ができなくなるときがくるだろうと思いました。
──手に職をつけたいと思うようになったきっかけは何かあったのでしょうか。
安藤 ひとつには、その頃子どもがほしかったということがあります。出産や子育てという将来を考えたときに、点々と部署を異動して仕事をしていくよりも、専門的なスキルを持ってひとつの所に留まるほうが、仕事と家庭を両立しやすいだろうと考えたのです。
「手に職」のスキルを求めてロースクールへ
──スキルアップを考えたときに、法律を学ぶという方法を選んだ理由を教えてください。
安藤 大学、大学院と経済を専攻していましたが、実は大学受験の際には、いくつかの大学の法学部と経済学部に合格していました。どちらへ進むか悩みましたが、そのときは経済か法律かということよりも、大学の校風や就職率など、大学そのものを重視して、経済学部で合格を頂いた大学へ進学しました。ですから法律への興味や未練を残しつつも、経済学部へ進んだということになります。経済学部へ進んだことは、全く後悔していませんし、経済学部へ進んだおかげで、素晴らしい学びや出会いもありました。ですが、法律を知りたいな、という気持ちは自分の中で残っていたのだと思います。
またもうひとつの理由として、会社で働いているときに、部の中で社内コンプライアンス委員のような役割をしていたということがあります。法務部の方とやりとりする機会もあって、わからないことがあると法務部あてに照会するのですが、時々、法務部の方に聞いても「わからない」と言われることがあったのです。当時の私は「え、わからないって何?」と思いました。法律は、個別のケースによって適用や評価は様々であり、その個別事情を十分に吟味しなければ、判断できません。ですので、今なら「わからない」というのがどういう意味なのか理解できるのですが、当時はそのことが疑問で頭に残っていて。ちょうどその頃に法科大学院制度ができたので、「自分でも法律を勉強してみよう」という感じで行ってみたのです。
──法律を学んだ経験のないところから司法試験をめざしたのですか。
安藤 最初から司法試験に挑戦することを考えていたわけではありません。自分としては、家庭生活に無理のない範囲で勉強ができればいいと考えていたこともあり、司法試験に合格するとも思っていませんでした。高校生の頃、社会科の先生が、司法試験というのはすごく難しいという話をとてもリアルにしてくれて。「先生の同級生は司法試験の勉強をしていて、条文を1つ覚えるたびに、そのページをちぎって食べている。それでも合格できなくて、いまだに勉強を続けているんだ」と。さすがに「ページを食べる」というのは冗談だと思うのですが、当時の私はその話を真に受けて、到底自分が突破できるような試験ではないと思っていました。ただ「法律の知識があれば何かの役に立つだろう」くらいの気持ちで、本当にゆるく入っちゃったんです。
──ロースクールに通われている間にご出産なさったとうかがいました。「ゆるく入った」とはいっても、お腹が大きくなっていく間も通っていたのですね。
安藤 はい。ロースクールの標準修業年限は3年間なのですが、私はその間に出産をしたので、1年休学をして4年で卒業しています。出産予定日は2年生の8月初旬、つまり夏休みに入ってすぐという時期でした。7月末には定期試験があるので、受けられるかどうか心配していたところ、当時の学院長だった先生が、特別に私だけ定期試験を出産後の秋にしてくださったのです。先生は家族法がご専門で、「『母が受かる』、ということが大事なんだよ」とおっしゃってくださいました。その意味を私が正しく理解しているかどうかわかりませんが、その言葉は、後に本気で司法試験をめざしたときの心の支えになりました。
ちなみに、出産後に受けた定期試験はボロボロで、私のためだけに試験を1つ余分に作ってくださった先生方には、今でも感謝とお詫びの気持ちでいっぱいです。当初の予定では、出産して夏休み明けに復帰するつもりでしたが、やっぱり生まれた娘が可愛くて、離れることができず1年休学することにしました。子育て経験豊富な姉が、「産むと離れられなくなるよ」と言っていて、自分はそんなタイプではないと思っていましたが、姉の言うとおり。先人の言うことは正しいですね(笑)。
──休学はしても、ロースクールをやめようとは思わなかったのですね。
安藤 卒業は絶対にするつもりでした。前の仕事を短い期間でやめているので、ロースクールを途中退学したら、やめグセがついてしまうと思ったのです。
「ママはやったよ!」と言いたいから絶対に諦めない
──育児しながらの受験は無理とは思いませんでしたか。
安藤 むしろ娘が生まれてから、受験に対する意識が変わったと思います。出産するまで、実は司法試験に挑戦する気持ちはあまりなかったのです。ロースクールへ行ったからといって簡単に合格できるものではないというのは、勉強を始めてみて一層わかりましたから。がむしゃらに勉強しないと合格はできないと思っていたのですが、いざ出産して子どもを保育園へ預けるとなったとき、大切な娘を他人に預けてまで大学院に通うのだから、合格しないと娘に対して「ママはやったよ!」と胸を張れない、と強く思いました。特に私の場合、夫が家計を支えてくれているので、何か必要に迫られてというわけではなく、単に自分の興味からロースクールに通っているわけです。赤ちゃんのうちから無理に保育園へ預けず、幼稚園に通う年齢まで一緒にいてあげればいいのに、わざわざこんなに小さい子どもを保育園に預けるからには、しっかりやらなくてはいけないと思いました。
──お子さんの存在が、受験へのモチベーションになったのですね。
安藤 親バカですけど、もう娘が大好きで(笑)。小さな可愛い娘を預けて大学院へ通っていることを思うと、切なくなりましたね。ロースクールへ向かう電車の中で、娘くらいの子どもとお母さんが座っているところを見ると、「この子はお母さんと公園に行くのかな。児童館に行くのかな。娘だって私と一緒にいたいだろうな…」と思ってしまう。でもそのぶん、娘のためにも「とにかく早く試験に合格する!」と気合を入れました。まずは卒業することを直近の目標に、卒業後はゼミの課題や予備校主催のテストを中心に勉強をしました。大変ですけれど、当時はその瞬間にやれることを全力で、必死でやるだけでしたね。今振り返ってみても、同じことをもう一度やれと言われても二度とできないくらい、無我夢中でした。
──当時お子さんはまだ乳幼児だったと思います。突然体調を崩すこともあったのではないですか。
安藤 もちろんありました。その時はもう大変でした。試験もそうですが、翌朝までにレポートを提出しなくてはいけないタイミングで娘が発熱してしまったときもありました。熱が出て不機嫌で泣き続ける娘を何とかあやして寝かしつけて、その隙にレポートを書いて、また泣き出したらあやして…と繰り返しているうちに朝になって、カラスの鳴き声が聞こえてきて、「あぁ、切ない…」みたいなことも。
また、私が復学したときには出席の要件が厳しくなっていて、1つの講義を3回以上休んだら、もうその単位は取れませんでした。子どもはいつ熱を出すかわかりませんから、発熱が3回とも同じ講義に当たってしまう可能性もありますよね。ですから病児保育に預けて講義に出席することもありました。また、どうしても都合がつかない時には1度だけ、実家の母に飛行機で来てもらったこともあります。そこまでやらなくてもよかったのでしょうが、当時の私の気持ちとしては「1回休めば、3枚しかないチケットが1枚減ってしまう!」と必死でした。もしも留年をすることになったら、それはつまり自分には法曹は向かないということだから、大学院はやめようとも思っていました。向かないことに、いつまでも貴重な時間は費やせません。だからこそ絶対に留年はできない、試験に落ちることもできないと、とにかく必死でした。
──背水の陣ですね。初めての法律の勉強で、意識していたことなどはありましたか。
安藤 「法律の感覚」をつかむということが大事だと思いました。私は一度社会へ出てから法律を学び始めたので、法律の感覚をつかむのにすごく戸惑うことがありました。刑法の場合は比較的なじみがあると思うのですが、民法の場合は、一般的な感覚がなかなか抜けず、大変でした。例えば民法の授業で初めの頃に習った「二重譲渡」。1つしかないものや権利を2人以上の相手に対して「譲り渡します」という契約をした場合、その物や権利はどちらが取得するのか、というような問題です。普通の市民感覚だと「1つしかないものを2人に売ることは不可能なのに、そんな契約していいの?詐欺?」といった感じだと思います。でも民法では、契約は相対的効力を持つので、契約自体は成立するのです。また、法の適用や解釈についても、法律特有の思考プロセスや価値判断があります。つまり、「裁判官ならこう考えるだろうな」という思考に辿り着けるかどうか、それを試験の制限時間内で答案に表すことができるかどうかで、合否が分かれるのだと思います。
──そして法律知識ゼロからロースクールを卒業し、子育てしながら2回目で司法試験に合格はすごいですね。
安藤 私が特別というわけではありません。子育てしながら合格する方は、割といるのですよ。私の友人たちもそうです。彼女たちは司法修習時代にできた友人で、大親友でもありますし、心から尊敬もしています。私よりももっと多くお子さんがいて、司法試験にパスして活躍しています。子どもがいて司法試験に受かったことについて、色々な方に、よくそんなことができたねと言われますが、「できるかどうか」ではなく、「やるかやらないか」の問題だと思っています。試験勉強に限らず、何か目標を達成できた方は、皆さんそうなのだと思います。
離婚やDV——。女性弁護士を求める相談者は多い
──司法試験に合格してから開業するまでを教えてください。
安藤 合格して1年間は司法修習に行きます。その後は横浜市内の法律事務所で、いわゆる「イソ弁(実務を覚えるために法律事務所に勤務する弁護士。居候弁護士の略称)」として1年少々勤務してから、独立開業に踏み切りました。きっかけは、やはり子どもです。娘が小学校に入る時期が近づいてきて、放課後に学童保育へ預けるための手続きをしなくてはいけないという中で、「家の近くで開業したい」と考えるようになりました。法律事務所へ入ってまだ1年ちょっとでしたから独立するには少し早かったのですが、娘に何かあったら駆けつけられる家の近くのエリアで、夏休みなどの長期休みには事務所へ連れて来るような働き方がしたいと思いました。
──ワーク・ライフ・バランスを考えての独立ですね。最初の事務所が丸子橋だったのですか。
安藤 そうです。ある朝「事務所を出て独立しよう」と決めて、その1時間後に不動産屋さんで物件を探して、その週のうちにこの事務所を契約しました。
──行動が速いですね。
安藤 「やろう」と思った瞬間にやらないことは、多分ずっとやらないだろうと思っています。もちろん私にも、やろうと思いながらやっていないことはたくさんあります。でも、今できていることというのは、ほとんどが「やろう」と思ったときにすぐ動き出せたことばかりですね。
──お住まいは東京とのことですが、事務所を神奈川にしたのはなぜですか。
安藤 自宅は神奈川県境の東京なのですが、私は通勤ラッシュがすごく苦手で、都心へ向かう上り電車方面より、逆の下り方面のエリアがいいなと(笑)。ですから住まいは東京だけど、ロースクールも、勤めた事務所も、開業も、「下り電車で行ける神奈川」という選択をしました。
──独立開業に際しての資金やクライアント開拓はどのようにされたのですか。
安藤 もともと独立を考えていたので、法律事務所での収入を開業資金にあてました。士業の仕事というのは、コストを掛けなければいつでも開業できるのが強みだと思います。私の場合、夫と娘が、事務所で使う備品などを搬入・設置してくれて助かりました。娘は力持ちで、説明書を読んで組み立てるのも得意なので、貴重な戦力となりました(笑)。 またクライアント開拓については、弁護士会に登録すると、名簿順に法律相談や刑事事件の仕事が割り振られてきますので、その仕事からスタートしました。それ以外にも、インターネットで広告を出しているので、今はそちらからの依頼がメインになっています。
──インターネットでは、法律相談ポータルサイトで法律相談も担当されていますね。
安藤 ええ、そういうサイトからも相談や依頼が来ます。他に、一度お仕事をお受けした方からのご紹介もあります。ただ、弁護士の仕事は他の仕事と違って、紛争があって初めて発生する仕事です。事件が解決して、平和に暮らしている方の周辺には紛争は起こりませんので、リピートは滅多にありませんね。
──安藤さんは離婚やDV(ドメスティック・バイオレンス)など、家庭の問題、女性に関わる問題を多く扱っておられますが、そういった需要は高いのでしょうか。
安藤 そうですね。弁護士に依頼される仕事の全体件数から見ても、離婚問題の案件は多いのですが、それに対して女性弁護士の数は少ないのです。女性はやはり女性相手のほうが話しやすいという面がありますから、相談の需要は高いです。またひとくちに女性弁護士といっても、あまり若くても、逆にベテラン過ぎても駄目なようですね。その点、私ぐらいの年齢が相談するには程良いというか、話して分かってもらえそうということでしょうか。実際、「女性弁護士がいい」と遠い所からわざわざ相談に来てくださる方もいますから、女性弁護士に対する需要は、肌感覚としても高いと思っています。
──仕事はおひとりでやっているのですか。
安藤 案件によっては共同受任ということで友人とやることもありますが、基本的には全部私ひとりです。裁判や調停は、だいたい1ヵ月前には日時が決まりますので、そうした裁判所へ行く日と打合せをメインに予定を組んで、その合間に書面を作成する仕事を入れます。士業の仕事は比較的時間の融通が効くというか、自分の予定に合わせてスケジュールを組むことができるので、子どもがいる方でもやりやすい仕事だと思います。
弁護士になってよかったと思えた仕事
──弁護士という仕事のやりがいは何ですか。
安藤 やはりクライアントに喜んでいただけることですね。それが一番だと思います。弁護士というのは皆、多かれ少なかれ社会正義を実現したい気持ちを持っていると思うのです。その気持ちに突き動かされながら日々仕事をしている。平たく言うと「こういう仕打ちを受けるのはおかしいのではないか」「相手方の主張内容はおかしいのではないか」といった素朴な正義感ですね。私のところへ相談に来てくださる方は、皆さんとても良い方ばかりなのです。ひとりでお子さんを育てながら一所懸命やっているような方々だから、お手伝いしたいし、法律を知らないことで間違った方向へ引きずり込まれそうになったら、「そっちじゃないですよ!」と、一緒に正しい方向へ進んでいきたいのです。
──女性弁護士の事務所ならではの特徴はありますか。
安藤 先ほどお話ししたように離婚案件は多いのですが、私が同年代の女性で結婚し子育て中であるということから、「話しやすい」と感じていただけている実感はあります。この事務所も、オフィスというよりは友人の家みたいな雰囲気になっていると思います。もしかしたら、その辺に娘の宿題の跡もあるかもしれません(笑)。でもだからこそ、来られる方がリラックスしてご相談いただけるのだと思います。小さいお子さん連れの方もよく来てくださり、お絵かきしたりして、お利口さんで待っていてくれます。
──たしかに法律事務所という威圧感はゼロですね。
安藤 DV被害に遭ったり、夫や上司から恫喝されたりした女性にとって、威圧感は恐怖でしかないと思います。事務所を設立したての頃に相談に来られた女性がいらっしゃるのですが、彼女のことは忘れられません。事務所へ来たときはもうフラフラで、付き添いのご家族に体を支えられて入って来られたのですが、お話しするうちに安心した表情になって前向きに先を考え始めていただけたのがうれしかったですね。その後の裁判では、こちらが望んだ結果を得ることができました。私の方針を信じて、一緒にがんばってくださったおかげです。法律相談というと堅苦しいイメージを持たれがちですが、私の事務所では、ゆったりと時間にとらわれずに悩みを相談してもらいたいと思っています。
──女性には心強い味方ですね。
安藤 弁護士ですから当然依頼者の立場に立ちますが、離婚の場合はどちらか一方が100%悪いとは言えないことが多いですし、お子さんがいらっしゃるご夫婦の離婚訴訟の場合は、ただ勝てばいいというものではないと思います。
刑事事件では依存症の方を弁護する機会もあるのですが、両親の不仲が背後にあるケースが多いと感じます。不仲の両親を見て育った子どもは、上手くストレスを発散できるタイプであればいいのですが、そうでない場合、問題行動が出やすくなると聞きます。ですから、特に離婚事件などでは「お子さんが安心して暮らせる方向に、お子さんが進みたい進路に行くためにはどうしたらいいか」を考えるようにしています。
──開業して5年、今後はどのようなお仕事をしていきたいですか。
安藤 今までもそうでしたし、今後についても、日々、目の前の依頼者様に丁寧に向き合って仕事をしていきたいですね。弁護士の仕事は、あまり案件数を増やすと体がもたないと思います。依頼者の皆さんは、私が忙しいだろうと気を遣って、電話することにも遠慮されるのですが、遠慮せずどんどん私に質問していただきたいなと思います。やはりきちんとコミュニケーションを取って、途中経過なども伝えて、依頼者様が不安にならないようにしたい。案件数を増やすとそういう対応がしきれないのです。
でも娘が無事に中学校に入ったら、また何かちょっと違うことをやってみたいとは思っています。今、娘は自分の人生を切り開くために努力している最中なので、私はそれをしっかり応援したいと思います。司法試験受験生時代に娘からもらった恩を、娘に返す時期だと思っています。当時、娘ががんばって保育園へ行ってくれたおかげで、司法試験に合格できたのですから。
がんばった経験がその後の自分を支えてくれる
──これから資格を取りたいと考えている方へのメッセージをお願いします。
安藤 このインタビューをお受けしたのは、ご自身の現状を変えたいと思っている方、特に女性の方へエールを贈りたいと思ったからです。仕事で離婚案件を多く扱ってきた中で感じたのは、やはり「女性は立場が弱い」ということです。家を出て行こうにも、仕事をしていなければ部屋が借りられないし、パートタイマーのお給料では生活も厳しくなる。皆さん素晴らしい能力をお持ちで魅力的なのに、そうした「家を出られない自分」に自信をなくしてしまう方もいらっしゃいます。
資格は、取らなくてはいけないというものではないし、取得した資格が本当に仕事に結びついたり経済面で役に立ったりするかについては、ご縁の問題もあるのでわかりませんが、自分ががんばった結果を「資格」という形にして残すことができますし、仮に資格が取れなかったとしても、学んだ知識は自分の知見につながります。そして一時期でも何か「がんばった」「一所懸命にやった」という経験のある方は、ここ一番というときにも踏ん張れると思います。
挑戦してみようと思ったら、すぐその瞬間に始めてみてはいかがでしょうか。「子どもが幼稚園に入ったら」とか「今の状況のこれが落ち着いたら」とか条件が揃うのを待っていると、結局何もできずに時間だけが経過します。そして「資格を取ってもすぐ食べていけるかわからないし」などとやらない理由を探してしまいます。やらない理由・やれない理由を探すのではなくて、やりたいと思ったらやってみる。そしてぜひ、やりとげてほしいと思います。心から応援しています。
[TACNEWS2020年5月号|特集]