特集 「人と人とのつながり」で設計する建築事務所

人と人とのつながりを大切に。
対話の中からコンセプトやプランを考える設計スタンスが、私たちのカラーです。

 建築士の仕事と聞いて思い浮べるのは、高層ビルや大型マンション、あるいは奇抜なデザインの美術館やファッションビルなどだろうか。そんなイメージでとらえられる建築業界で、「人と人とのつながりで設計する」新しいタイプのアトリエ設計事務所をめざしているのが、ふたりの一級建築士、小林良氏と白井亮氏が共同経営する株式会社梁建築設計だ。「最適な空間はこれ」と一方的に提案するのではなく、対話を通じて相手の過ごすシーンを想像しながら図面を描く。建築業界で新たな業態を生みだし、組織化を進める小林氏と白井氏に、建築士をめざしたきっかけから建築の世界、将来性についてうかがった。

小林氏_白井氏

左から
■株式会社 梁建築設計 代表取締役
一級建築士・管理建築士
小林 良氏

■株式会社 梁建築設計 代表取締役
一級建築士・京都造形芸術大学非常勤講師
白井 亮氏

それぞれの道から 「建築」の世界へ

──おふたりが建築士をめざした経緯をお聞かせ ください。

小林 実家が茨城県の山奥で、曾祖父が山師(山林の買い付けや伐採を請け負う人)で、祖母が製材所で働いていたため、大工道具や木材などが物置や庭に沢山転がっている環境で育ちました。その影響があってか、「ほしいものは自分でつくる」という発想が小さい頃からあり、自分で木の舟やロボット、刀などを作って遊んでいたのが、今思えば原点としては大きいですね。14歳の立志式では中学校の担任の先生から「モノを作るのが好きな君には、一級建築士という資格がある」と言われ、そこから漠然と「将来は一級建築士になって、もの作りをしたい」と思っていました。大学進学時も深く考えることなく建築学科を志望し、東京理科大学理工学部建築学科に進みました。冗談みたいな話で恥ずかしいのですが、授業を受けて初めて、建築士とは、大工さんのような建物を作る人ではなくて、その作り方を考える人なのだと知り、「なんだ、自分で作ることはできないのか」とがっかりした記憶があります(笑)。ですが、子どもの頃に作った舟やロボット、刀などの「作り方をつくる」んだと思った時に、これはおもしろいとピンときたのが建築士への入口でした。

白井 私の祖父は絵画や生け花、弓道と多芸な人で、京都で工務店をしていました。私はそんな祖父に憧れながら3歳からずっと絵を習っていました。中学からデッサンや日本画の基礎を習うようになり、将来は絶対に絵描きになろうと思っていたのですが、高校3年で進路を決める際、絵の先生に「絵描きには、『僕は今日から絵描きです』と言えば、いつでもなれる。だから真剣に進路を考えなさい」と言われました。母に相談して、「それならちょっと大変だけど、絵も描けないといけなくて、建築の勉強もする、美術系の建築学科がいいんじゃない」と教えてもらったのが東京藝術大学建築科でした。もともと美術大学志望でしたが建築という切り口もあると知り、入学しました。
1年生は導入学科で、図面を描かない設計課題が大半だったので、とても楽しく過ごしました。ところが2年生になると、実技としての設計になり、そこでつまずきました(笑)。「もう無理かも」と思いましたがやめるわけにはいかず、本気を出して建築の本を読みました。楽しいと感じたのは大きな建築物ではなく、家具やインテリアといった手に触れるもの。そこから徐々にスケールの大きなものにも興味が湧き、さらに勉強しなくてはと思い大学院では構造研究室に入りました。卒業後はすぐ設計事務所に入りました。

小林 私は学生の頃から設計事務所でアルバイトをしていました。目をかけてもらっていたので、大学院修了後はそのまま正社員になったのですが、アルバイトのときは多くて月30万円ぐらいもらっていたのが、正社員になった途端に手取り10万円程度に…。諸事情もあり、9ヵ月足らずで後先考えずにやめてしまいました。ただ「建物の作り方を自分で考える」という建築の仕事をやめるつもりはまったくなかったので、自分で事務所をつくろうと思い、まずは一級建築士の資格を取ろうと考えました。叔父が大工をしていたので、そこで丁稚奉公しながら勉強して1年で合格し、2003年、個人事務所「一級建築士事務所DESIGN-SPEC(デザインスペック)」を立ち上げました。

──開業後は順調にいきましたか。

小林 コネも何も無い状態で立ち上げたので、事務所をつくったものの仕事が全然ない。初年度の年収はアルバイト代2ヵ月分ぐらいと、なかなか壮絶でした(笑)。さて次年度はどうしようと考えていた2004年、三浦慎建築設計室(以下、三浦事務所)から声をかけていただいたのが白井との出会いでした。

白井 三浦事務所では三浦さんと私ともう1人、計3人で設計していたのですが、誰も一級建築士の資格を持っていなくて建築確認申請を出せなかったんです。そこで資格を持っていてヒマなやつはいないかということで、小林に入ってもらいました。2年ほど三浦事務所で一緒に仕事して、同時に私と小林ともう1人がやめて独立するという大事件が起きるんです(笑)。

──三浦事務所をやめた理由とは何だったので しょう。

小林 きっかけは「DOMA(ドマ)」という春日部に作った住宅です。当時、事務所内の3人でこっそり仕事をしていました。そしたら、雑誌に取り上げられ、賞まで取ってしまって、ばれたんです(笑)。
同じタイミングで、休業していた自分の事務所に別のオファーが入り始めたのもあり、三浦事務所をやめてDESIGNSPECを復活させました。その後、白井ともう1人もそれぞれ独立しました。それぞれが自分の屋号を持ちつつ、引き続き協業でやっていくことになったのですが、何か名前がないと建築物の発表がしにくいからとつけたユニット名が「ARCHITECT*MACHINE(アーキテクトマシーン)」でした。

白井 私も小林と同じ理由で2005年に三浦事務所を卒業して「ARCHITECT*MACHINE」としての活動もしながら、2006年に自分の事務所「Atelierarchi+craft(アトリエアーキクラフト)」を設立しています。

画像A小林氏_白井氏

共同事務所「梁建築設計」の誕生

──白井さんはいつ一級建築士の資格を取得されたのですか。

白井 私はとても遅くて2013年に取得しました。最初の事務所ではインテリアや家具といったコーディネート的な仕事が多かったこと、もともと設計のすべてを自分でやる意識がなかったこと、独立後も近くに小林がいて必要なときは一緒にやっていたことなどもあり、必要性を感じていませんでした。
ただ、仕事を始めて10年も経つと次のステップを考えるようになりました。新築で鉄骨やRC工法(鉄筋コンクリート造)を手がけるときに、やはり自分の名前で仕事を請けなければと考えたんです。約1年受験に専念し、合格できました。
 そして2014年、それぞれ別会社だった事務所を統合して「梁建築設計」を共同設立しました。

──共同経営に踏み切った理由は何だったのでしょう。

小林 個人事業であることのメリットとデメリットが見えたからですね。技術的・知識的な部分では個人でも問題なかったのですが、個人事業であるが故に社会的信用が得られにくいという現実はありました。組織化することで社会的信用を感じていただくことも設計者として大切なことだと感じたのです。また、1人でやっていると1人以上の仕事はできませんが、2人でやることによって2人以上の効果が得られるという経験を、この10年の協業で何度か実感できたというのも大きいです。白井と私は設計に対するスタンスも価値観もまったく違いますが、だからこそ効果が大きくなるし、可能性も広がる。「じゃあ一緒にやろう」となったのです。
 もちろん、価値観が合わずに対立することは多々あります。ただ、「対立することも2人でやることの効果のひとつ」という前提がある。つまり、対立の中からその絶対値をお互いに感じ取り、広がりを見つけることができるんです。そこは三浦事務所時代からの長いつき合いで得ることができた強力な「つながり」です。

白井 対立といっても、生産性のある対立なんです。問題が起きたときにどう解決するか、その瞬間の見方が違うだけで、最終的な思いは同じです。そういうスタンスで仕事に臨んでいるので、これこそ「うちの特色だ」と最近では公言しているくらいです。
ツートップの設計事務所の場合、設計スタンスが似ているところが多いけれど、うちは別々でいいというスタンスです。常に同じものを追求していると飽きてくるし、別の感覚のほうがおもしろいことが体験できる。事務所のポートフォリオにもそれが現れていて、毎回全然違った新しい作品になるんです。白井カラーかと言えば違うし、小林カラーがずっとかというとそうでもない。まさに「事務所のカラー」だと思います。

──共同経営で法人化した際、どのような事務所にしていくか、ビジョンは決めていましたか。

小林 私たちのようなアトリエ事務所といわれる個人事務所では、時勢もあるでしょうけれども、クリエイティブであることと、利益を追求することを相反する要素と捉えてしまいがちで、その両立は非常に難しいのが現状です。だからこそ、そこを両立できるような事務所を作っていこうと考えています。組織論の定石かもしれませんが、一定規模までは個の影響力が強い。一方で、ある臨界点を超えると一気に集団心理が発生し、個が集団の一部になってしまう。かつての「ARCHITECT*MACHINE」による設計活動では、個と集団がなし得る「絶妙なバランス」という可能性を経験しました。その経験を活かし、個人事務所では実現し得ない、また大手でもとてもまねのできない「個人以上企業体未満という絶妙な大きさの事務所」をビジョンとして定めています。

白井 今の若者は生まれたときから不景気な世代だから、安定を求めて大手建築事務所にいく人がほとんどです。みんな「自分はこういう設計をやりたい」という志はあるはずですが、実際はやらせてもらえないことも多いでしょう。でも本来、建築士はビルも住宅も建てるし家具も扱える。本当に多種多様で業務の幅がある。だから、そんな希望を私たちが叶えてあげたいと思いました。そのためには、ある程度企業体力も必要ですし、バリエーションのある仕事の取り方をしなければならない。人、場所、経済的にも、ある程度キャパシティがないと受け入れられない。そこで、新しいスタイルの設計事務所をめざそうと考えました。

伝える相手に わかりやすい図面を描く

──おふたりの役割分担を教えていただけますか。

白井 会社の運営上は、現在は小林が経理系で私が総 務系という役割分担があります。設計は、部門分けして別々 にやっています。扱っている物件でいうと小林は木造が多 く、私は規模が大きめのRCや鉄骨が多いです。プロジェクト が来たとき、RCを使ったほうがよさそうな場合は私の発言が多くなるし、木造の場合は小林が中心に発言するという、構造上の役割分担になっています。

小林 なぜそのような役割分担に重きを置いているかと いうと、例えば「プロジェクトリーダーの采配で責任を持って対応する」といった一見常識的にも思える原理原則の 箍 たがをどんどん外していこうと考えているからです。「自分のプ ロジェクトだからすべてを自分の責任で対応する」のではな く、苦手な部分は遠慮せずすぐに白井に声をかけて預けて しまいます。預けるけれども責任は持つという点がポイント です。今後スタッフを増員していきますが、そこを見越して 部門分けしました。部門分けすることで、規模が大きくなっ ても集団に固有のバイアスからスタッフの自発性を守るこ とができます。規模を大きくしつつ、そのような個々人の自 発性が活性化し続けられるバランスを大切にしていきたい。
 今は3部門あり、部門ごとに設計室長と主査という役割 を設けています。まだ主査までしかいませんが、その下にスタッフが増えていってもそれぞれが集団の中でも自発的に 活躍し、かつ技術的共有は部門を超えてシームレスにできる。 そんなスキームを作ることが私たち管理者の役目だと思っ ています。

白井 スキルを継承していける点も、チーム制のメリットだと 思っています。私たちは図面を、言葉や文章と同じ、何かを 伝えるためのツールだと思っています。ですからお客様に伝 えるための図面と、電気工事会社に伝えるための図面では、 まったく描き方が違います。用途によっていろいろな図面が あり、その図面を見る人がよりイメージしやすいように描かな ければならない。例えば、空間の雰囲気まで見えるような図 面を描くときは、文字のフォントを変えたり、図面のサイズも 変えたりするかもしれません。見る人に合わせた図面の描き 方を、プロジェクトごと、現場ごとに変えているんですね。トライ&エラーもあるけれど、それはすべてスキルです。製図学 校では図面の描き方は教えてくれても、そこは教えてくれま せん。私ひとりでは社員全員に伝えられないし小林ひとりでも伝えられないけれど、組織の中で、プロジェクトごとにスタッフがミックスされていくと、そのスキルはどんどん伝搬していく。 そうすることで、「梁建築設計カラー」になるんだと思います。

人と人とのつながりを大切にする

──顧客開拓はどのようにしていますか。

小林 大手建設会社のように営業担当者がいるわけではありませんから、アポイントなしで個別に訪問するような顧客開拓は一切やりません。例え話ですが、飲みに行って隣の席に座った人と話すことがあっても、いきなり「こういう仕事をしてます」と名刺を渡すようなことはしませんよね(笑)。誰かと出会ったら、その人を知る、自分を知ってもらう、そして興味を持ってもらったら自分の仕事の話をする。そういう出会いをきっかけにしています。そこから「小林さんだから、白井さんだから頼みたい」と言ってもらえるような関係性を築くことが、結果的に営業活動になると考えています。私たちは冗談半分で「種まき」と言っています。なかなか芽が出ないこともあれば、いきなり芽が出ることもある。種の能力だけでは芽が出るとは限らないんです。先ほどの自発性の話とは真逆で、全くの偶発性です。このやり方でここまでやれているのは、周りの方々のおかげです。本当にありがたいことです。

白井 最近はSNSやWebサイトでの集客に力を入れている建築士もいますが、私は逆に危険だと思っています。縁もゆかりもない方の依頼で図面を描いたものの、フィーを払ってもらえないこともありました。ですからお互い信頼関係のある方と仕事をすることはとても大事だと考えています。

小林 自分を信頼してくださる方々も、必ずそれぞれ信頼の「輪」を持っています。自分が誠意を持って目の前の相手と接していれば、自ずとその輪は広がっていくと考えています。ただ、効率的ではないですよね(笑)。それにこの方法では私と白井ふたりでやっていても限度がある。そこで新しい設計事務所のあり方として考えているのが、がんばっているたくさんの個人設計事務所とのネットワーク作りです。仮にうちの事務所がひとり勝ちできたとしても、「個人設計事務所」という業態は活性化しません。スキルも経験もある人たちを私たちがつなぎ、うまくネットワークを作ることができれば、1+1が2以上に、1×5が10にも20にもなる可能性があるんじゃないか。そうした底上げ事業を目論んでいます。
 そのためには同業者の方々にも信頼していただかなければなりません。ただ、信頼はコントロールできないですよね。相手が信頼してくれるまで自分は伝え続けるしかないんです。だからこちらは同じ姿勢でやり続ける。これも種まきですね。積極的な受け身です。

画像B小林氏_白井氏

対話の中から コンセプトやプランを作成

──梁建築設計が手がけた建物の特徴をひと言で 表現するとどうなりますか。

小林 私たちが提供しているのは「モノ」ではなく「こと」です。 ご依頼いただく内容は十人十色ですから、つくりだすモノはまさ に千差万別。だから「こういうモノができたからすごいでしょ」で はないんです。そのモノをつくるために「相手と対話しながら生 み出すという姿勢を貫き続けること」が大切だと考えています。

白井 今、アーティスト的建築家がもてはやされています。建築材料の質が良くなったこともあって、「これ住宅?」というような非日常的な住宅が街中に増えています。住宅雑誌では「我こそは建築家」「こんなすごい建物を作ったぞ」という家ばかり特集されています。それを求めている方にはいいと思いますが、「あなたにとって最高にふさわしい空間はこれですよ」とお客様に押しつけているように、私には見えるんです。そこは、おそらく小林と私の意見が唯一、一致している点です。

私たちはいきなり「図面を描いてください」と言われると、戸惑ってしまいます。お客様がどういうものを求めているのか、お客様の過ごすシーンを想像しながら図面を描いているからです。お客様にうかがった趣味や好きなものを空間作りのソースにしているので、それに合わせて「これぐらいの広さ、こういう雰囲気がいい」と想像し、空間を作っていきます。こうして対話の中からコンセプトやプランを作っているので、人と人とのつながりを大切にすることを、設計する上でとても大切にしています。建築家が自分のカラーを出していくのと相反することではあると思いますが、逆にこれが私たちの特色だと思っています。

小林 極端に言えば、お客様と対話をする中で、お客様が求めているモノが建築では実現できないとわかったら、きっと喜んでその「建築ではないモノ」について一緒に考えます。建築は数ある解の中のひとつに過ぎません。お客様のニーズに対して何を生み出せるのかということを優先するので、アウトプットされたモノが何であるかはあまり重視していないんです。

白井 ビルをお持ちのある投資家が「シェアオフィスをやりたい」と相談に来られたときは、「シェアオフィスはこのビルではメリットが少ないので、ほとんど手をかけずにできる別の事業計画なら私たちが作ることができますよ」と話しました。これはコンサルティングですよね。そういう相談も含めて総合的に計画に入っていくことが、私たちが考える建築です。

小林 先の同業者ネットワークの話ともつながりますが、このコンサルティングは当社ですべてカバーする必要はないと考えています。当社でできなければ他社と協力します。ネットワークをつなげ、プロジェクトをベストな方向に持っていくためにベストな手段を考える。たとえ私たちに儲けがなくても、相談いただいたイメージを実現させ、お客様のニーズを満たす「こと」ができればそれがベストです。その「こと」は信頼につながり、いずれ返ってくる。私はそれがビジネスだと思っています。

衣食住の「住」はなくならない

──スタッフの採用についてはどのようにお考えで すか。

白井 現在、建築士5名とスタッフ1名、総勢6名ですが、常に募集は出しています。設立以来ずっと年間2名採用するという自分たちの目標は一応クリアできています。

小林 私はベースとして有資格者を取っていきたいと考えています。資格がないからスキルがないとは考えていませんが、働きながら資格を取るのは大変だと思うので、持っているに越したことはないと思います。

白井 実務では私たちが窓口になっているので、私はどちらでもいいスタンスです。事務所の内部では有資格者とそうでない人が混ざってやっていくので、資格がなくてもそれぞれの得意分野を伸ばしてくれればいいと思っています。
 ただ、建築士の資格があるのとないのとでは全然違います。「資格を取るために勉強した」という事実そのものに価値もありますし、取った人はイキイキと「私、持ってます」という顔で仕事をしています。会社の運営上はどちらでもいいけれど、自信につなげていくためにも、ほしいと思うなら早く取ったほうがいいですね。

──建築設計の将来性について はどのようにお考えですか。

白井 例えば今生まれた赤ちゃんが将来建築士になったとして、その子が亡くなるまでの約90年、建築士の仕事がなくなるかといえば、なくならないと思います。衣食住の「住」にかかわる設計者の知識は、絶対に必要だと思う。極論すれば、地球が崩壊しても「住むところ」は必要なので、その知識は使えるはずです。
AIが発達すれば、集合住宅マンションや建売住宅はAIによりパターン化されて量産化型になっていくでしょう。そこはむしろ積極的にAI化していけばいいと思っています。つまり、建築士の仕事としては複雑化したものが残る。建築の知識と資格を持って何をしていきたいか。住宅作家になりたいのか、ビルを建てたいのか、タワーマンションを建てたいのか、鉄道の設計をやりたいのか。いろいろな建築士がいるので、その中のどれをやりたいのかが具体的になれば、仕事がないなどということはないでしょう。

──AIが発達しても建築士の仕事はなくならない ということですね。

小林 そう思います。私たちは昔、製図板で図面を描いていました。今はCADというパソコンで図面を描くのが主流です。さらに昨今では2次元の図面ではなく、BIM(BuildingInformationModeling)で3次元モデルを作り、そこから見たいところを図面として切り出したり、VRで実際に敷地に建物が建っているように見せたりする技術も広まってきています。こうした作業はAIのほうが圧倒的に有利でしょうね。ですから純粋に図面を描くという作業は淘汰されていくかもしれません。
 ただ、AIは過去の統計から「類推」することはできても、新しいものを「発想」することはできません。類推も発想の一部には含まれますが、一方で発想にはある種のバグの介在が必要です。バグはある意味人間にしかないスキルですから、自分としてはAIとバグの共存が新しい建築を生み出していくのではないかと思っています。

──資格取得を考えている方々へのメッセージをお願いします。

白井 合格に必要なのは「時間」です。時間の確保さえできれば合格できると思います。小林が仕事しながら資格を取るのは大変と言っていましたがまさにその通りです。9時に出社し19時まで仕事をしている人が勉強する時間を作るには工夫が必要です。早朝の数時間と通勤電車での時間を使って勉強する、あるいは残業は一切しないと宣言して会社の理解を求めながら通学する、あるいはそれができないから2~3年計画で勉強する、といったように、働く中で時間を作らなければなりません。私はそれができなかったので1年間仕事を休み、その代わり絶対1年間で合格すると心に決めて勉強だけの生活を選びました。そうやって自分で時間を作れた人たちが合格していると思います。

小林 周囲の協力を得て勉強時間を確保することを当社では推進していて、受験生は積極的に支援しています。受験勉強には、1日のうちで集中できる時間をまとめて作ることが大切だと思います。そこで、平日に週1回休みを取ったり、完全午前休にしたりと、フレキシブルな働き方ができるように部門を超えた協力体制がとれるようにしています。

白井 会社としては、勉強するスタッフたちは資産になると考えています。例えば二級建築士のスタッフが一級を取れば格段に知識が増え、勉強したことはすべて仕事に使えるようになる。そうすれば会社としてのキャパシティも増える。スタッフも会社も、お互いにどんどん伸ばしていける組織にしてあげたいんです。それが私たちの思う新しい設計事務所のあり方のひとつです。建築士をめざして勉強している受験生に、私たちのような事務所があることを知って興味を持ってもらえればうれしいですね。

[TACNEWS 2019年11月号|特集]

合わせて読みたい

おススメ記事

「TACNEWS」に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。