特集 理念とビジョンで革新する社会保険労務士
岡本 洋人(おかもと ひろと)氏
主治医のような社会保険労務士法人
代表社員 特定社会保険労務士
1973年生まれ、札幌市出身。大学卒業後、住宅メーカー勤務を経て祖父の速記会社に勤務。勤務中から、社会保険労務士受験を開始。1998年、社会保険労務士試験合格。2000年、社会保険労務士登録。2006年、社会保険労務士オフィスオカモトを設立。2010年、特定社会保険労務士試験合格・付記。2011年、経営哲学「主治医のような、社労士であろう。」策定。2016年1月、主治医のような社会保険労務士法人を設立、代表社員就任。同年10月、経営ビジョン「100年ドアーズ」策定。
「主治医のような、社労士であろう。」
この哲学と理念のもと、中小企業の成長支援に取り組んでいます。
北海道札幌市にある主治医のような社会保険労務士法人は、「主治医のような」を法人名のみならず経営哲学に持つ社労士法人だ。
「世の中から労使トラブルを減らし、無くす」ことを事務所の使命として、社会保険労務士業務の枠にとらわれず、他の士業とも肩を組んでさまざまな相談に対応していきたいというのは、社会保険労務士の使命感として理解できる。しかし「主治医のような」という言葉には、一体どのような意味が込められているのだろうか。代表社員、社会保険労務士の岡本洋人氏に、理念とビジョンの誕生に至る経緯やその後の展開についてお話をうかがった。
祖父の奨めで社会保険労務士をめざす
──岡本さんが社会保険労務士(以下、社労士)をめざされた経緯を教えてください。
岡本 私は新卒で住宅メーカーに入りました。最初は楽しく働いていたのですが、1ヵ月半くらい経った頃、ふと、このままこの会社で働くのは将来的に不安だと感じて、3ヵ月で退社しました。そのとき、1960年頃から札幌市で速記会社を営んでいる祖父から、「跡継ぎとして来い」と言われて入ることになりました。入社して1ヵ月ほど経ってから「僕にも速記を教えて」と言うと、祖父は「速記はもう衰退産業だからやらなくていい。その代わり社労士の勉強をしなさい」と答えたのです。はっきりと理由は聞きませんでしたが、「これから必要になる資格」だということだったのでしょう。そこで初めて社労士という資格を知り、仕事をしながら受験勉強を始めました。
──奨められて社労士をめざすことになったという点は納得できましたか。
岡本 大学時代、父から土地家屋調査士になれと言われたことがあったのですが、学部がまったく違い測量関係は無理だと思いました。とはいえ父も写植会社を経営していて、代々商売の家系でしたし、自分も何か独立して商売をしてみたいという思いはあったので、特に反発は感じませんでした。
──受験時代とその後についてお聞きしたいと思います。
岡本 23歳で祖父の会社に入り、3ヵ月働いたのちに秋から社労士試験の勉強をスタートしました。翌年、24歳での1回目の受験は不合格でしたが、自己採点ではあと1点あれば合格、というギリギリのラインまできていました。2回目の受験では、受験仲間がたくさんでき、一緒に勉強することで実力もついたのか、無事、合格しました。
合格後1年間は祖父の会社で働きました。祖父は「うちで働きながら、社労士としてお客さんを増やしてほしい」と思っていたようですが、私は社労士事務所に入って修業したかったので、祖父の会社をやめて、社労士事務所に転職しました。入社したのは会計事務所、コンサルティング会社、派遣会社、社労士事務所が集まった100人以上いる大型会計グループでした。そのグループの社労士部門に入って実務を学び、社労士登録を済ませ、社労士としてスタートしました。
書類作成や提出手続代行など社労士の1号・2号業務、就業規則、助成金など、グループ内からの依頼だけでも400社ほどあり、私を含めた3名でその400社を担当するというハードな職場でした。
3年目には先輩がやめてしまい、実質私が社労士部門のトップになりました。丸7年勤めて2006年に退職し、独立開業しています。
──独立のきっかけは何だったのでしょう。
岡本 28歳で責任者になり、お給料もそれなりにもらえて安定していましたし、将来的にもある程度のポジションは約束されていたと思います。つまりやめる必要性はありませんでした。それでもやめることにしたのは、退職1年前に起きた出来事が原因でした。グループ内の関連会社の事情で、足並みをそろえるために、受託するはずの仕事を泣く泣く断らざるを得なくなり、お客様にとても迷惑をかけてしまったのです。すごく落ち込んだのと同時に、自分が独立していれば断らずに済んだ仕事だったので、「それならお客様のために独立しよう」と考えたのです。
そうして、2006年に社会保険労務士オフィスオカモトの看板を出し、札幌の自宅で開業しました。
NOと言わない社労士事務所
──独立に際して、事務所としてのビジョンはありましたか。
岡本 開業する1年ほど前から独立を意識していたので、外部との接点を増やしていきました。社労士だけでなく、税理士や弁護士、そしてお客様とも一歩踏み込んだお付き合いをするようになったのです。そんな中、仲のよい社長から、「東京・青山にあるフレンチレストラン『カシータ(Casita)』のオーナーである高橋滋さんが旭川に来るから講演を聴きに行こう」と誘われたのです。何でもカシータは「NOと言わないレストラン」ということでした。講演がとてもおもしろかったので、その後、東京・青山のお店まで実際に食べに行きました。そこでメインディッシュの前にウェイターの方に「まだ小腹が空いているので、おにぎりをください」と頼んでみたのです。普通なら「ありません」とか「当店はフレンチレストランでございます」、あるいは100歩譲って「確認してきます」と言いますよね。ところがそのウェイターはニコッと笑い即答で「具材は何になさいますか?」と聞いてきたのです。驚きました。しかもウェイターたちは、私たちの席に来ると、「旭川ではオーナーが大変お世話になりました」とさりげなく言ってくる。私が講演を聞きに行った客であるという情報共有が、ものすごくしっかりされていたのです。私は本当に感動しました。お会計のときには確か1人1万5,000円くらい支払ったのですが、普通のサラリーマンだった自分が「このサービスで1万5,000円は安い」と感じたほどです。
お客様のニーズの先を行くサービスと、徹底した情報共有。これはどの業種にも通じることだなと思いました。そこで「自分が独立したら、カシータのようなNOと言わない社労士事務所を作りたい。できないと言わずに、どうやったらできるかを考えられる事務所を作りたい。値段が高くても『安い』と感じてもらえる事務所を作りたい」を目標にしてきました。
──最初はひとりで開業されたのですか。
岡本 自宅でひとりで始め、妻に手伝ってもらいました。1年後くらいからは前職の部下たちが手伝いに来てくれるようになりましたが、みんな家が遠かったので、「固定収入が月100万円になったら中央区に事務所を持とう」という目標を立てました。それが達成できたので、事務所を移転しました。
──独立に際してどのようにして顧問先を獲得されたのでしょう。
岡本 私がやめるというと50社程のお客様が「ついていく」と言ってくださったのですが、お客様を取ってはいけないという大前提があったので、事前に考えた3つのルールに則って進めました。1つ目は、まず1回目の打診は必ず断ること。2つ目は、2回以上打診されたらそれは断らないということ。3つ目は、報酬はこれまでの2~4倍になることをお話しする、ということです。最終的に、それでも私に頼みたいと言ってくださったお客様が20社もあり、おかげさまで初月から約50万円の売上になりました。妻からは独立の条件として「初年度から前職と同程度の収入」と言われていたので、なんとか妻との約束も守れました。それ以降は、他士業やお客様からの紹介で少しずつ増えていきました。
主治医のような社労士に
──2011年に経営哲学「主治医のような、社労士であろう。」を策定されましたが、どのような意味が込められていますか。
岡本 幸いなことに、事務所には部下だったメンバーの他にも資格を持った人が入ってくれて事務所の体を成すようになってきたので、Webサイトを開設しようと考えました。そのとき、あるおもしろい会社が目に留まりました。その会社が販売している本に興味が湧いたので、Webサイトで1冊5,000円もする本を買ってみました。たしか「ダメな社長」について書かれた本だったと記憶しています。本が手元に届くとすぐにその会社の札幌支店長から電話があって「一度会いましょう」ということになったのです。
「自分はWebサイトを開設しようと思うんだけど、本当は何から手をつけたらいいと思う?」と相談すると、彼は大変親身になって「うちの会社の社外取締役でスゴい人がいるから紹介するよ」と言ってくれたのです。その時に紹介されたのが、今では当法人のパートナーも務めてくださっている伊藤英紀さんです。「カシータのような、NOと言わない経営をしたい」というビジョンも含めて相談すると、「Webサイトも必要だけど、まず名刺が大事だと思うよ。岡本さんがやりたいのはこういうことでしょう」と、経営理念を文字にして、一番の広告物である名刺に入れることを提案されたのです。その名刺の1番目のフレーズが「主治医のような、社労士であろう。」でした。
私は「本当にその通りだな」と思いました。情報共有も、NOと言わないこともすべて含めて、主治医はもっと幅広く、会社で言えば、会社の成り立ちから過去に何が起きたのかまですべてを社長と共有できる存在です。私はそんな社労士でありたいと考えていたので、まさに自分の思いをまっすぐ表現した言葉でした。
こうしてめざす方向が明確に決まったので、2011年からはずっと「主治医のような」を使わせてもらうようになりました。そこからは「主治医だったら、お客様が困ったときどう行動するだろうか」と考えて対応するようになりました。すごく変わりましたね。
──社員教育も変わりましたか。
岡本 「主治医」を打ち出すようになってから、朝礼で主治医とはどのようなことをすると思うかについて話すなど、いろいろな工夫はしました。ただ、主治医としてどうありたいか、どちらを向いていくのかは、まだ何も定まっていませんでした。正直、それまでは人を増やすことや規模的拡大については目標としていなかったのです。そこで2016年1月に「主治医のような社会保険労務士法人」として法人化したあと、10月に経営ビジョン「100年ドアーズ」を打ち出しました。
経営ビジョン「100年ドアーズ」
─経営ビジョン「100年ドアーズ」はどのような経緯でできあがったのでしょう。
岡本 これを決める3年半前、株式会社フォーバルの創業者で代表取締役会長の大久保秀夫氏が代表をされている、ある経営者団体に入りました。大久保会長のお話を聞いて、生まれて初めて身体に電流が流れ、血が熱くなるような感動を受けたのです。そこで学ぶと同時に、別の経営塾にも入ることにしたのですが、そこで最初に言われたのが「100年続くビジョンがなければいけない」ということでした。そうして考え始めたのが「100年ドアーズ」です。
「100年ドアーズ」は、100年リレーでつなぐ理念と哲学体系です。「主治医のような、社労士であろう。企業の健やかな成長のために、奉仕せよ。顧客のためなら、社会保険労務士の守備範囲などひょいっと超えてしまえ。視界が広く、気のまわる主治医のごとく、あらゆる悩み解決のために動け。尽くせ。全力で。弁護士や会計士、税理士、行政書士などの人脈を生かし、総合病院のようにワンストップで、あの問題その課題を解消してみせよ。」という経営哲学から、「1:顧客は個客である。一社一社の違いを尊重せよ。2:『とことん個客視点』で、その一社の最善最適を探せ。3:北海道を元気にする。大企業水準のソリューションで。」というスローガンを掲げました。
実は、法人化を果たした2016年の2月に、大久保会長に10周年イベントの基調講演をお願いしたところ、秘書も通さず即答で快諾していただき、10月の開催が決まったのです。それまでには絶対に100年ビジョンを決めなければならないというお尻に火がついた状態だったので、「主治医」を作ってくれた伊藤さんに相談し、伊藤さんが中身と表現の仕方、イベントの説明もすべて考え抜いた結果、できあがったのが「100年ドアーズ」という冊子でした。13分の映像もできあがり、100年リレーの思いを込めた付せんと3点セットでお客様にお渡しして、「これまで10年間ありがとうございました。これからの100年もよろしくお願いします」と思いを伝えることができたのです。
──方向性が定まったことで、事務所内で変化はありましたか。
岡本 まず私が変わりました。「100年ドアーズ」には大久保会長から教わったことがたくさん盛り込まれています。まず死生観です。「人は必ず死ぬ。明日かもしれないし50年後かもしれない。繰り返しのきかない一回きりなんだ。だったら『今度』とか『そのうち』という言葉は、『やらない』というのと一緒だから使わない。決めるんだったら今日決める。今決める」。さらに決断には「体の決断」「心の決断」そして「魂の決断」の3種類があって、大事な場面では「魂の決断」をしなさいと学びました。「魂の決断」とはひと言で言うと、損得ではなく、善か悪か、正しいか正しくないかで決断することなのですが、これによってすごく決断が速くなりました。決断したら、あとはやることをやる。やるんだったら徹底的にやる。全力でやってだめだったらすぱっとやめる。これがすべての行動指針になって、トラブル対応もすべてこの考えがベースになりました。
サービスラインナップを刷新
──現在、法人は総勢何名ですか。
岡本 12名とその他にパートナーが6名います。12名中、社労士合格者は私含めて3名、あとは勉強中のメンバーです。パートナー6名の中には「主治医」というキーワードを考えた伊藤さんもいて、経営理念やビジョンを作るパートナーとして参加してくれています。他には名古屋と札幌に、それぞれ得意分野を持った社労士が3名おります。5人目は、健康経営(従業員等の健康管理を経営的な視点で考え、戦略的に実践すること)のトレーナーで、運動面だけではなく、睡眠や食事などの面でもきちんとアドバイスしてくれます。そして7月からもう1人、助成金など国の制度に強い社労士が6人目のパートナーに加わりました。国が働き方改革を推進するためにいろいろな制度を作っているので、そうした制度をしっかりと活用できるようにしたいと考えてのことです。
──お客様は全国各地ということですが、場所的な制約はないのですか。
岡本 どこのお客様にも対応できます。当社のお客様は道内だけでなく、一番遠くは沖縄の宮古島にもたくさんのお客様がいます。通常はペーパーレスで、チャットツールや電話で対応し、面談が必要なときはテレビ会議で対応しています。とはいえ、やはり多いのは札幌市内ですね。道内を中心として顧問契約は150~160社になっています。
──具体的な業務内容を教えていただけますか。
岡本 実はこの5月から、がらっとラインナップを変えました。現在は、経営理念とビジョンをまとめる仕事が一番にきて、その次に人材採用支援が入ってきます。3番目に健康経営、4番目に業務の自動化・標準化支援、そのあとにこれまでの顧問業務やスポット業務といったラインナップを打ち出しました。まずは理念とビジョンが最初にくるようにしたのです。
具体的には、札幌市を中心に北海道から全国各地の一般法人、医療機関、社会福祉法人、学校法人向けにオールラウンドな社労士サービスを提供しています。私たちの強みはスピード感、先進性、挑戦する心です。中でも大久保会長から学んだスピード感あるサービス提供のために、IT技術・機能の導入にはかなり積極的に取り組んでいて、電子申請による社会保険・労働保険関係の届出や、クラウド給与計算システム・人事労務規程管理システムの導入や紙資源の省力化といったことには早くから取り組み、今はAIを使った労務相談の自動化や業務の自動化(RPA)に取り組むなど、常に先進的な事務所であることを目標にしています。
今はデジタル化にシフトしていく過渡期で、士業を取り巻く環境もすごい勢いで変わっています。おそらく、税理士はあと数年から10年で年末調整や確定申告をやらなくて済むようになるでしょう。社労士で言えば、2020年秋からマイナンバーカードで病院にかかれるようになるので、健康保険証の手続きの流れや方法が変わっていきます。これまでやってきた手続きや届出がなくなり、入社後にマイナンバーカードをリーダーにかざすだけで終了という形になるのではないかと思っています。
手続きにかかわる業務すべてがなくなるわけではありませんが、中小企業の健康保険証や離職票発行などの業務に手間と時間がかかり遅れ、従業員とトラブルになるといったことは少しずつ解決されると思います。同時に、これからは会社の抱える課題のひとつである人材採用といったことにシフトしていかなければなりません。そう考えて、令和になったのを機に業務のラインナップを変えました。
──新しい業務内容に対するお客様の反応はいかがですか。
岡本 健康経営を知っている経営者はまだあまりいらっしゃいませんが、これまでに比べてサービス内容が増えていますし、「健康経営の支援を始めました」と一緒にトレーナーを連れて行くと、それはもう大喜びされますね。30~40人従業員がいる超多忙の社長に健康経営の話をしたところ、「うちの部長があちこち痛いっていうから心配でたまらない」と言うので、30分別室でトレーナーにコンディショニングトレーニングという身体を正しい体勢に戻すことをやってもらったら、「ものすごくよくなった」と喜ばれました。
人材採用支援では、Webサイト制作も私たちで受託することにしました。採用Webサイトでは実際に働く社員の生の姿や声がよくわかるページになるようにアドバイスして、実際にハローワークの求人票とひもづけるようにしました。その結果、これまで新卒がわずかしか採用できなかった会社に、2019年には9人もの新卒が入りました。
──そうしたサービスは、「100年ドアーズ」を参考に作られたのですか。
岡本 その通りです。当社のパートナーがお客様に少しアドバイスするだけで大変喜ばれます。当社のような10人ちょっとの規模でできているのですから、それ以上の規模のあるお客様の会社ならみんなできるということなのです。基本的に、当法人でできたことを提案しています。
──2011年に経営理念を決め、2016年に「100年ドアーズ」でビジョンと方向性を明確にしてから、事務所自体も業務も変わりましたか。
岡本 変わりました。私が「主治医のような」を決めたのは、メンバーがまだ4人のときでしたから、理念やビジョンを作ることはやはり小さな企業であってもとても大事だと痛感しています。そうしたことを、今後もっともっとお客様に伝えていきたい。作れるところはどんどん作って成長していってもらいたいと考えています。
──RPAやAI化に関してはどのような展開をしているのですか。
岡本 2016年にAIを使って労務相談自動化システムを開発しました。「社労士AI秘書ドアーズ」と命名しています。いまはドアーズに話しかけると、RPAを動かし業務を自動で行ったり、決まった期日になると勝手にRPAを動かして作業の報告をしてくれたりと、一部の作業を人間の代わりにやってくれています。
理念とビジョンに共感して入社
──法人の人材採用も変わりましたか。
岡本 やはり理念とビジョンに共感してくれる人を採用するようになりました。以前と変わらない点は、未経験者を採用することです。中途も新卒も両方採用しますが、これからは新卒のウェイトを増やし、半々ぐらいの割合で採用していきたいと考えています。
実は2019年春、介護離職などで3人のメンバーが一気に抜けました。でも2018年12月と2019年1月にうちで働きたいとエントリーしてくれた20〜30代の男性が3人いて、彼らが今活躍してくれています。1人は某有名大学出身の社労士有資格者で3月まで公務員のエリートコースだった人ですが、うちで働きたいと言ってくれました。さすがに面接の際には「エリートコースだし公務員のほうがいいんじゃないの。転職して年収も下がるし安定もなくなるから家族会議を開いて」と勧めましたが、その結果、当社に入ってきてくれたのです。もう1人は製薬会社のMRとして高額の年収をもらっていて、道外から札幌に引っ越したタイミングで来てくれました。彼も年収が一時的には約3分の1に落ちてしまいましたが、それでも「お金ではない部分で働きたい」と言ってくれています。もう1名は広島県出身で超大手の世界的企業から当社に入社してくれました。
やはり理念とビジョンを掲げてWebサイトを作り込んだことから、共感して入ってきてくれるようになりました。理念に共感する人たちはやはり自分の思うところがあって入っているので、決意もしている。私も、もっと本気でスピードを上げてやっていかなくてはと、身の引き締まる思いです。
令和元年5月から、経営理念とビジョンをまとめるという新しいサービスメニューをトップに入れたのは、こうした経緯があったからです。お客様にも同じことが起きればいい。そんな会社を1社ずつ増やしていきたいですね。
100年後を見据えた宣言
──5年後、10年後の法人の姿をどのように思い描いていますか。
岡本 「お客様満足」という一番のテーマを踏まえると、私たちの本業は「社労士」ではなくて「企業成長支援」です。これは5年後も10年後も、100年後も変わらないと思います。
また、法人内の正社員1人当たりの年間労働時間は、2016年1月は残業時間を含めて2,490時間でした。すでにほぼ残業ナシと言っていい状態なのですが、これだけの労働時間を2026年にはさらに1,200時間に減らす、つまり半分にすると、2016年に作った「100年ドアーズ」で宣言しました。2018年末現在、2,000時間ぐらいにまで減っています。実はここから減らすのがなかなかきついのですが、それをRPA化やAIの活用で実現していこうという計画です。働く時間については、2019年は週休3日を試していて、2020年からは一部週休3日を導入し、徐々に完全週休3日にしていこうと考えています。年間労働時間を1,200時間にすると、週に約3.5日しか働かない計算になります。現在の週5日・1日8時間勤務を、7年後までにそこまで減らそうということです。
収入に関しても、2016年1月の平均年収が402万円だったのを2026年1月までに700万円にする目標を立てています。3年前に比べて生産性を4倍ほど上げないといけないのですが、これも2018年1月からRPAやAIを活用する仕事の洗い出しを始めた結果、自動化できる部分が6,500時間あるうちの500時間分はすでに自動化されました。すべて達成できれば6,000時間分の作業が減るので、社員数をあまり変動させなくても生産性が上がり、労働時間が減って、給料は増える。そうすることが目標ですね。
──社労士の仕事のおもしろさややりがいはどこにあると思われますか。
岡本 「100年ドアーズ」にも「社労士を切り口に、企業の成長や強化をサポートすること。それが仕事の本質である。」と書いていますが、私はあまり社労士というくくりにはこだわっていません。ただ、企業の成長を労務という部分から支援できる、しかも相手が社長という立派な人間できちんと人間関係ができて深い関係になればいろいろと学べる、そんな「自分を高めることができる」という意味では、最高の仕事だと思います。
──社労士をめざして勉強中の方々にメッセージをお願いします。
岡本 資格がなくても仕事はできるし、お金は稼げます。でも、例えば、総務担当者がインターネット上に正しい情報が書いてあるのを見つけて、それを社長に伝えても「それはネットの情報だろう。岡本先生は何と言っている」と言うでしょう。そこで私が「そのとおりです」と言えば「わかった、そうする」とすぐに納得していただける。信頼度がまったく違うんです。そのお墨付きとしての資格は、すごく価値があると思う。そういう部分でとても重たい責任のある仕事だと感じています。
「100年ドアーズ」も、ほんの少しずつですが、社内に浸透してきているのを感じています。みなさんも少しずつでいいので、成長を積み重ねていって、資格というお墨付きを得て、企業の成長や強化をサポートできる社労士になってほしい。そんな風に願っています。
[TACNEWS 2019年9月号|特集]