特集 自分の世界を広げてくれた「中小企業診断士」という切符

  
松本 典子氏
Profile

松本 典子(まつもと のりこ)氏

松本典子中小企業診断士事務所
中小企業診断士

カナダのモントリオール生まれ。青山学院大学国際政治経済学部卒業、国際基督教大学大学院修了。大手介護事業者で、契約管理、経理、人事労務など管理部門を担当。2016年1月、中小企業診断士試験合格、同年4月、中小企業診断士登録。2017年3月、コンサルティング会社 株式会社コンサラートの登録スタッフに加わるとともに、並行して同年4月には松本典子中小企業診断士事務所を開業。公的機関を中心として活躍中。創業支援、介護施設のコンサルティングに尽力する他、女性起業家の育成にも力を入れる。
保有資格▶︎中小企業診断士、第1種衛生管理者、TOEIC® L&R TEST 900点、事業承継マネージャー

 どうすれば、悪化してしまった職場環境をよくできるのだろう――。現在、中小企業診断士として活躍する松本典子さんは、その答えを求めて、中小企業診断士をめざした。資格を取得するまでの5年間、諦めずまっすぐ勉強し続けた松本さんは、求めた答えだけでなく、自分自身の強みと能力も知るようになる。柔らかい物腰と強みを引き出すコンサルティングに定評のある松本さんに、中小企業診断士という資格の魅力をうかがった。

「人に関わる仕事がしたい」と大手介護事業者に勤務

──松本さんのご経歴をお聞かせください。

松本 私はカナダのモントリオールに生まれ育ちました。モントリオールは、人口の大半がフランス系カナダ人のため、フランス語と英語の両方が使われていて、移民も多くいる国際色のある街です。その街で暮らす中で、多様な人々やいろいろな考え方の人たちがうまくやっていくにはどうしたらよいのかということへの興味が生まれました。大学は青山学院大学国際政治経済学部に進学し、そこでは「フィリピンにキリスト教がどのように広まっていったか」というテーマで研究論文を書きました。その後は国際基督教大学大学院に進み、フィリピンのミンダナオ島へ行ってキリスト教徒と山岳民族の方とムスリム(イスラム教徒)の人々がどのように共存しているかを調査したりしました。最近は「ダイバーシティ」という言葉もよく耳にしますが、もっと簡単に、「みんなが仲良く暮らすにはどうしたらいいのか」ということに関心を持っていた感じです。大学時代はキャリアプランもふわふわしていたというか、興味の幅は広いけれど方向性を決められずにいました。ただ、人に関わる仕事に就きたいとは考えていました。

──卒業後は、大手介護事業の会社にお勤めになったのですね

松本 就職先に選んだのは、ちょうどその頃老人ホーム事業を立ち上げようとしていた会社でした。まだ老人ホームの建物も建っていないような準備段階だったのですが、人員を新卒採用するというのでおもしろそうだなと思いました。その介護事業社の理念というか、考え方がよかったのです。介護される人というのは、どちらかというと社会の重荷になっているようなイメージがあるかなと思うのですが、その会社は「家族も、介護される人も大事にしたい」という考えでしたので、そこに共感して入社しました。入社後は総務課へ配属となり、老人ホームの開業に合わせてオープニングスタッフとして現場に関わりました。

──現場ではどのような役割でしたか。

松本 特に役職がついていたわけではありませんが、老人ホームのスタッフはほとんどが現地採用だったので、私は「本社から来た主任」といった位置づけでした。いろいろと聞かれますから、聞かれれば何でも対応するという感じです。労務管理、経理処理、お客様への契約の説明、施設内イベントなど、アクティビティの運営からレストラン対応まで行っていました。新規に老人ホーム事業を立ち上げたわけですから、もともと会社として運営ノウハウがあったわけではありません。ゼロベースからやっていこうという部分が大きかったのです。それでもオープン当初は掲げている理念も大きく、スタッフもやる気に満ちていました。
 それがしばらくすると、スタッフが休憩室で愚痴ばかり言うようになってきたのです。辞める人はどんどん増えていくし、しまいには「スタッフが忙しそうだから声をかけてお願いしにくい」と、お客様のほうが気をつかうような状態になってしまって。いったい何が起きているのだろうと思いました。

──職場の環境が悪化した原因は何だったのでしょう。

松本 渦中にいたせいもあると思いますが、当時はどうしてこんなふうになってしまったのかという理由がわかりませんでした。職場環境を改善するにはどうしたらいいのか考えて、自分ができる細かいこと、例えば倉庫を片付けて効率をよくするみたいな工夫もやってみたのですが、なかなか即効性がありません。働きづらい環境に悩んでいた時に、たまたまスタッフのひとりから中小企業診断士(以下、診断士)という資格のことを聞いたのです。それまでは診断士について何も知らなかったのですが、調べるうちに魅力的な仕事だと思いました。もっとマネジメント的なことを勉強すれば職場環境を改善する方法がわかるかもしれない、そう思ったのが取得をめざしたきっかけです。

資格の取得をめざすうちに見えてきた自分の能力と可能性

──問題解決の糸口を探して資格試験に挑戦したのですね。

松本 ええ。でも私の場合、そこから実際に資格を取得するまでに5年かかりました。1回目は1次試験で落ちてしまいました。2回目の試験で初めて受けた2次試験の問題では、「事例Ⅳ」の経営分析で点を取るつもりだったのに、答案用紙を見たら経営分析がメインではないことがわかって、一気にパニックに。答案用紙に名前を書いたかも怪しいほどでした(苦笑)。本腰を入れて臨んだのですが、気負い過ぎたというか、もともと少し緊張しやすいタイプなのだと思います。結果は、総合A評価で合格点は取れていたのですが、パニックになってしまった「事例Ⅳ」がD評価で合格基準に満たず、足切りに引っかかってしまいました。
 それ以降も毎年、2次試験4科目のうちどれかの科目でD評価を取って足切りに引っかかる、ということを繰り返してしまいました。

──フルタイムで働きながら5年間の試験勉強は大変だったのではないですか。

松本 大変でしたね。受験指導校へ行ったり受験仲間と勉強会をしたり、仕事以外はひたすら勉強していた感じです。でも、受験指導校に通っている間に友人ができました。その友人たちと一緒に勉強することができたから、何とか勉強を続けられたのだと思います。

──どのように試験勉強を進めたのでしょうか。

松本 最初の2年は受験指導校に通いました。その後は友人と勉強会をしたり、単科のコースに通ったり。受験勉強を始めた頃は現場での仕事だったので土日に働くこともあったのですが、その後に経理課へ異動になったので、週末は勉強にあてられるようになりました。1次試験対策はひとりで勉強していましたが、2次試験対策は友人と一緒に勉強することが多かったです。インターネット電話を使ってオンライン勉強会をしたり、クラウドストレージで答案を共有してお互いの答案をチェックし合ったりしていました。
 私はもともと本が好きで、図書館のすみっこでおとなしく本を読んでいるようなタイプだったんです。祖父母が日本から送ってくれた本をよく読んでいたおかげで、カナダ育ちでも文章的なハンディはなかったと思いますが、診断士試験の突破にあたっては、このおとなしい性格が問題で(笑)。自分の考えを伝えるのが苦手で、一緒に勉強していた50代の友人が口述試験の前に「典ちゃん、とにかく緊張せず何か話せ!」みたいなメッセージを送ってくれたほど内気でした。

──内気な松本さんが診断士になり、今では講師もなさっているのですね。

松本 診断士の勉強を続けるうちに、自分の強みを把握する能力が身についたと思います。受験のきっかけとなった職場環境の悪化についても、何がいけなかったかを自分で分析できるようになりました。
 大きく言えばコミュニケーションの問題というか、マネージャーとスタッフの意志疎通がとれていなかったことが原因でした。売上目標にプレッシャーを感じたマネージャーが、「売上重視、スタッフは売上を上げるためのコマ」みたいな感覚になって、スタッフがやる気を無くしてしまった感じでしたね。介護職に就く方は人の役に立ちたいという気持ちが大きいのに、上司が売上ばかり気にしていると「お金のためにやっているの?」と不信感を持ってしまいますよね。マネージャーがスタッフに間違ったメッセージを発信してしまう、インターナル・マーケティングの失敗だったと思います。
 本当は職場環境が悪化した時に私も辞めようかと思ったのですが、人事の方に「マネジメント教育の重要性」と「スタッフが働きやすい環境の整備」を提言しました。以前は自分の能力に自信がなくて、意思を伝えることに恐れを感じていたのですが、勉強を続けるうちに自分の意見をはっきり伝えられるようになりましたね。

自分の幅を広げるチャンスを求めて、独立へ

──そして2016年1月に、中小企業診断士2次試験に合格したのですね。

松本 試験勉強を続けるうちに、「合格できないのは勉強量が足りないせいではない」と感じるようになりました。毎年何かの科目でD評価を取ってしまうのは、勉強量が足りないからではなく、プレッシャーを感じやすいからだと気づいたのです。そこで、合格できた5年目は、夏頃まであまり勉強をせずに、好きなことをしようといろいろな所へ出かけました。中でも新潟県で行われたイベント「大地の芸術祭」のボランティアスタッフをやらせていただいたのが印象に残っています。好きなことをするうちに、見失っていた「自分」が見えるようになったというか、プレッシャーに弱かった自分をコントロールできるようになりました。それが合格につながったと思います。

───資格を取ってからはどうしましたか。

松本 診断士試験は決して簡単な試験ではないので、資格を取得して診断士登録を済ませると、それで燃え尽きてしまう人も少なくないと聞きます。合格後1年もすると資格から離れてしまうというのです。でも私は、資格を取るまでに5年もかけたのですから、しっかりと資格を活かしたいという気持ちが強くありました。
 とはいえ資格をどのように使っていけばいいのかは悩みましたね。会社内で診断士の資格を取った人間は私が初めてでしたから、企業内診断士の組織などもありません。資格を活かして人と接する仕事に就きたいと思いましたが、管理部門に所属していたので日常業務はデスクワークが中心です。どうやって自分の幅を広げていけばいいのか、チャンスを求めていた感じでした。

──独立志向はなかったのですね。

松本 最初は独立を考えていなかったです。合格するまでにいろいろな方と出会いましたが、診断士の資格を取る人は、大企業に勤務する方やマネジメント職の方も多いのです。そういう方々に比べると、自分は経営コンサルタントとしては経験や実績が足りないと感じていました。

──そのような中で、独立を考えたきっかけは何だったのでしょうか。

松本 診断士登録をした2016年4月にご招待いただいた交流会で、新潟県十日町市のコンサルティングをしているという診断士の方にお会いしたのです。「大地の芸術祭」のボランティアスタッフとして行った、大好きな土地の仕事をしている方に出会うなんて、すごいご縁を感じました。その方が、現在私がコアメンバーとして参画している、約20人の独立診断士で構成している株式会社コンサラートの役員をしていたのです。
 夏頃、その方とランチをする機会があって、「独立って怖くないんだよ」と言われました(笑)。その時は「本当かなぁ?」と思いましたね。管理部門の仕事が長いので給与や人事制度などについては分かりますが、だからといって独立できる自信はありませんでした。
 夏以降も診断士の集まりなど、いろいろな方に会いに行きましたが、「仕事をください」なんて、おこがましくて言えません。でも「どうやったら独立できるのですか?」と聞いて回るうちに、仕事を紹介してくれるという方が現れたのです。その方もTACでお会いしたご縁のある方でした。当時の私は介護系の職場で働いていて給与もそんなに高くありませんでしたし、資格を活かした仕事ができるなら、と独立を決心しました。

──どのように診断士としての仕事を始めましたか。

松本 独立する前に、どうすれば診断士として長く仕事を続けていけるかを考えました。診断士の仕事には、大きく分けて「書く仕事」「診断する仕事」「話す仕事」の3つがあります。その中の「話す仕事」が私にとっては一番高いハードルで、これをいきなりやるのは無理だと思いました。「診断する仕事」に関しては、少しずつ経験を積みながらやっていけると思いました。一番入りやすかったのが「書く仕事」です。何せ受験勉強は5年もやりましたから(笑)、合格体験記や受験生向けの参考書籍、受験生向け媒体への寄稿などをたくさんしましたね。
 また、書く力を高めたいと思い、診断士向けのライター講座にも通いました。その講座では、執筆料をいただいて記事を書き、執筆実績を作れるプログラムが組まれています。せっかくなら「松本典子 中小企業診断士」でWeb検索した時にたくさん記事がヒットするようにするのがいいだろうと思って、主にWebサイトで記事を書かせていただきました。

──Webではどのようなテーマで記事を書いたのでしょう。

松本 合格体験記はもう充分に書き尽くしたところがあったので、Webでは経営者の方へのインタビュー記事を中心に書きました。「この方を取材してください」と決められた方を取材する場合もありましたが、自分で取材先を探すこともしました。東京の田町で百年ぶりに酒蔵を復活させた方などは、自分で探して取材を申し込みました。その時は、ちょうど取材申し込みをしたタイミングで税務署から開業の許可が下りたようで、タイムリーな記事が書けました。Webの記事を見た診断士の知り合いが「この子、おもしろそうだな」と声を掛けてくれたりして、仕事が広がるきっかけになりましたね。
 今は記事を書く仕事はほとんどやっていないのですが、当時は週1回のペースでブログを書いていました。TACの先生が、「診断士の仕事は幅が広いから、手を挙げればいろいろなチャンスがある」と言っておられたので、それを信じて自分のやれることから活動を始めたのです。

──そして開業。現在はどのようにお仕事をなさっていますか。

松本 2017年4月に松本典子中小企業診断士事務所を開業しました。同時にコンサルティング会社の株式会社コンサラートのコアメンバーとして、オフィスは横浜と渋谷にあるコンサラート内に構えています。コンサラートは診断士の方が立ち上げた会社で、専門性の違う診断士を数多く抱え、さまざまなプロジェクトを請け負っています。現在私は、新潟県十日町の仕事や専門家派遣の仕事などをコンサラートのメンバーとして担当していて、それ以外の藤沢商工会議所が主催する創業セミナー「湘南創業塾」の講師などは個人事業主として仕事をしています。
仕事先は行政など公的機関が多いですね。神奈川県の中小企業診断士協会に所属して、2019年3月までは神奈川県の「よろず支援拠点」で週2、3回、コーディネーターをやらせていただいていました。他に企業相談窓口「下請かけこみ寺」の仕事なども担当しました。
 4月からは、東京都中小企業振興公社がやっている「TOKYO創業ステーション」で女性の創業相談窓口を担当していますし、英語力を活かして「東京開業ワンストップセンター」で外国人向けの創業相談もしています。

──神奈川県の診断士協会は若手登用に定評があるようですね。

松本 若手に対して幅広くチャンスを与えてくれる協会だと思います。診断士は歴史のある資格で、昔は偉い先生が仕事を抱え込んで、若手は鞄持ちみたいな部分もあったようですが、神奈川県の診断士協会は、会長も副会長も、入りたての新人とも気軽に飲みに行くようなフレンドリーさがありますね。「オープン&フラット」をキャッチフレーズのようにしています。

──創業相談に来られるのは若い方が多いのでしょうか。

松本 渋谷は比較的年齢層が若いと思いますが、私が行っている小平などは年齢層の幅は広いですね。神奈川県は、若い方からリタイアして起業を考えている方まで、年齢層が幅広いと感じます。職種も飲食、ペット関連、美容など、本当にさまざまな方にお会いしています。

──さまざまな業種の方の相談に乗るのは難しくはないですか。

松本 創業支援でも経営相談でも同じですが、基本的には今ある問題を整理して、次は何にどう取り組んでいけばいいか、課題を明確にすることが大事です。事業に関しては相談者ご本人のほうがプロフェッショナルですから、まずはご本人によく状況をうかがった上で診断するようにしています。法律など専門的な知識が必要になった場合は、診断士としてのネットワークを使って他の士業などの専門家に助けを求めることができます。そういう意味では、どの業種の相談も、あまり抵抗感はないかもしれません。

──診断士になってよかったと思うのはどのような時ですか。

松本 お客様から「松本さんのお陰でがんばれた」とか「松本さんに出会えてよかった」という声をいただくと、診断士になってよかったと思いますね。私と話したことをきっかけに、それまで自分の中で考えていただけだった事業のイメージをどんどん行動に移し、受注まで取るようになった方がいるのですが、その方に「松本さんに背中を押してもらった」と言われたのはうれしかったですね。
 それと、前職では老人ホームでご年輩の方とお話する機会が多かったせいか、私には柔らかい印象があるみたいです。先日相談に来たお客様からは、「前に相談した時は専門家の先生に怒られて怖かったので、今日は安心しました」と言われました(笑)。そんな何気ない言葉もうれしいですね。

経験を活かして、介護施設のコンサルティングを

──今後はどのような仕事をしていきたいですか。

松本 今関わっている創業支援の仕事は、今後も続けていきたいと思っています。創業される方と話していると、状況を整理して差し上げることでご自分の強みを認識して前向きになってくるというか、「こうすればいいんだ!」というふうに変わってくるのです。私にできることは少ないのですが、創業する方が幸せになっていくのを見るのがとても好きですね。
 そして今後は、もっと介護施設のコンサルティングに携わっていきたいと考えています。大手介護事業社にいたため介護系の案件をいただくことも多いですし、もともと診断士をめざしたきっかけが「介護現場の職場環境をよくしたい」ということでしたから。
 介護事業では、手厚いサービスを提供し、なおかつビジネスとしても成立させなければいけないですよね。それを両立させる方法論を考えなければと思います。また、介護施設の増加で、競争が激しくなり介護事業者の倒産は年々増加しています。その上、介護事業は参入障壁が低いこともあって、軽い気持ちで事業を始めたものの、早々に倒産してしまう介護施設も多いです。すぐつぶれてしまう施設では入所者も困りますし、人材の定着にもつながりません。長い目で見てキャリアプランを考えられるような施設、「人」の面だけでなく、後継という意味で、会社の成長も同時に考えていく必要があるのではないかと思っています。

──介護事業は入ってくるお金が決まっているという点で、成長も難しいのでしょうか。

松本 介護保険を中心とすると入ってくるお金は決まっているので、確かに難しい面はあります。でも逆に、収入が予測しやすいという面もあります。保険が入るまで2ヵ月というタイムラグがあるので資金繰りには十分注意が必要ですが、収入が予測しやすい中で、どのように経営していくかを考えるのがポイントですね。

──松本先生は総務、経理、人事と管理部門を経験されている点が、介護施設の運営に活かせますね。

松本 診断士の資格を取る人には、前職がバックオフィスだったという方はあまりいないようですね。そういう意味では特徴はあるかもしれません。でも診断士は知識を売る商売ですので、常に知識はブラッシュアップしていきたいと思っています。資格取得後もいろいろなセミナーに通ったりして、情報をインプットする努力をしています。例えば大企業の組織改革を成功させた方のセミナーに通ったり、細かなコンサルティング技術など実践的なノウハウを学んだりして、スキルアップを心掛けています。

──先生はTOEIC® L&R TESTのスコアが900点と英語がご堪能ですが、それを活かしたお仕事についてはいかがでしょうか。

松本 英語ができるということで相談を受けることは多いですが、英語をメインにとは考えていません。もともと英語で起業相談しようという方自体が少ないですしね。でも、以前は湯河原でインバウンド対応セミナーをやらせていただきました。外国へ目を向けていこうという動きは、少しずつ増えていると思います。

「なりたい自分」を明確にすることが大事

──これからスキルアップあるいは将来のために資格の取得を考える方へ、メッセージをお願いします。

松本 資格の取得は、ダイエットと似ているな、と思います。ただ単に「ダイエットしたい」とだけ思っているうちは、なかなか目標を達成することはできません。でも、「ダイエットに成功したら、こんなことをしてみたい」と具体的にイメージを持てばモチベーションも上がるし、がんばれると思います。診断士試験は決して簡単な試験ではないので、「合格がゴール」になってしまいがちです。でも私は診断士の資格を取ったことで、仕事の幅や生き方の幅が本当に広がりました。ですからこれから受験を考えている方にも、ぜひ診断士の資格を有効に使うことをイメージしてがんばってほしいなと思います。
 診断士の資格はよく「日本版MBA」と言われます。勉強することで、経営の全体像が見えるようになりますし、身につけた知識を使って企業内で確実にステップアップされている方もいますから、コンサルタントとして起業する以外にも、人それぞれの自分に合った資格の活かし方があると思います。
 資格は先へ行くための「切符」のようなものです。どこへ行きたいのか、何をしたいのか、「なりたい自分」を明確にして、その実現に向けてがんばってみてください。

[TACNEWS 2019年8月号|特集]

合わせて読みたい

おススメ記事

「TACNEWS」に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。