特集 30代からめざした税理士への道
三森 和明氏
三森税理士事務所 代表
税理士 宅地建物取引士
ファイナンシャル・プランナー
三森 和明(みつもり かずあき)
1973年、東京都中央区生まれ。青山学院大学法学部卒業。不動産仲介会社に就職し、優秀営業マンとして何度か社内表彰もされる。2011年に5科目目に合格し税理士資格取得。2014年、三森税理士事務所開設。
第二次ベビーブーム世代と呼ばれる1973年に生まれた三森和明さん。人口が多いうえ社会に出るころにはバブルが崩壊。就職氷河期を経験するなか、不動産の営業という仕事に就き順調に人生を歩んでいました。しかし、顧客との「一期一会」のお付き合いに飽き足らず、もっと継続的にお客様をサポートする仕事を渇望するようになり、30歳にして税理士をめざすことを決意。受験専念期や仕事と勉強の両立期などを経て、8年後、見事に資格を取得しました。当時ささやかれていた「35歳転職限界説」をはねのけ、2014年には事務所も開設。紆余曲折の歩みのなか、頼れる税理士への道を歩んでいる三森さんにお話をうかがいました。
不動産の営業マンが転職を決意したわけ
──三森先生は法学部を卒業されていますが、昔から法律に興味があったのですか。
三森 実は学部選択は消去法でした。「理数系は苦手だから文系にしよう。だけど、文学部や経済学部はちょっと違う。そうだ、日本は法治国家だから法律を知っていれば将来なんとかなるはず。兄も法学部だったし、よし、法学部にしよう」。そんな流れでした。だから大学に入学した頃は、将来、数字や法律を扱う税理士になるなんて夢にも思っていませんでした。当時の一般的な大学生のイメージそのままに、とにかくよく遊んでいましたね。
──卒業後の就職は不動産業と伺いました。
三森 就職活動の時の選択肢は事務職か営業職かの二択でした。仕事というのは、それしかないと思っていたんです。イメージとしては事務職はオフィスで書類を作成する仕事で、営業職は人と話をしながら商談をまとめる仕事。だとしたら人と触れ合うのが好きだから営業職がいいだろうと。どうせ売るなら一番大きなものを売りたいと思い不動産会社を選びました。
仕事は面白かったんです。家を買うという一生に何度も経験できない場に立ち会えるのは貴重な体験でしたし、営業成績も順調に伸ばすことができました。営業は数字さえ残せば多少態度が生意気でもだいたいのことは許されるので、その点も楽でしたね。というのも自分は組織の中で上司に気を遣ったり忖度したり、いわゆる社内営業というものがあまり好きではなくて。理不尽な休日出勤などには空気を読まずに平気で「嫌です」と言ってしまう、少し扱いにくい部下だったんです。上司から言われたことをそのままやって、営業成績が上がらなくても仕方ないというのではなく、自分で考えそのやり方で進め、その結果責任はすべて自分で負う、というスタンスでした。今考えれば若気の至りだと思うんですけれども。
もしも今、あの頃の私が自分の部下だったら正直嫌だろうなと思います(笑)。
──そんな三森さんが、なぜ転職を考えたのでしょうか。
三森 私は中古マンションを仲介するのが主な業務で、正直3年もやれば基礎となるノウハウはマスターできてしまい、あとは経験やテクニックを磨く世界。つまり仕事の大部分が同じことの繰り返しになり、段々とモチベーションが上がらなくなってしまったんです。また、仲介業者は売主と買主の間に立って金額交渉をしますが両者が満足できるベストな金額というのは実はないんですね。必ず、どちらかの希望が通りどちらかがあきらめたり、若干損をしたりする。そうすると、おとなしい人やいい人が損をしがちです。そのことに少し違和感を覚えてきたのです。
それともうひとつ、不動産業界でエンドユーザー(個人客)を相手にする場合、基本的に土曜・日曜が稼ぎ時なので、火曜・水曜が休みのことが多いんです。当時すでに結婚していたのですが、土日が休みでないと家族で出かけたり子どもの学校行事に参加することが難しくなります。妻からも「子どもが小学校に入学するまでに、土日休みの仕事に転職してほしい」と言われたこともあり、別の職業を考えるようになりました。
畑違いの道への転職には資格が必須と一念発起
──転職を決意して、最初にどのようなアクションを起こしたのですか。
三森 転職を考え始めたのは30歳のころ。当時、巷では35歳を機に転職成功率が下がるという「35歳転職限界説」が信じられていて、自分でもあまり時間がないなと思っていました。しかも異業種への転職を考えていたので、まずは何か資格を取ったほうが良いだろうと考えました。そんな時、たまたま不動産の営業中に税理士という存在を見聞きする機会があったので、どんな資格なのか調べてみたんです。すると「中小企業のパートナー」であり「成長を末永く支える存在」で、事業主と二人三脚で歩いていく仕事だとわかりました。不動産業は「一期一会」のお付き合いで、転職するなら顧客と長く深く付き合える仕事がしたかったので、これは良いなと思いました。しかも、TACのパンフレットを見ていたら「税理士試験は働きながら科目合格ができる」、「働きながら早ければ3年で合格する人も」などと書いてあるんです。ちょうど教育訓練給付制度ができ、当時、学費の8割(最大30万円まで)の補助を受けられることにも背中を押され、税理士の資格を取ろうと、一念発起しました。
──税理士の試験は5科目合格する必要がありますが、どのような計画を立てましたか。
三森 もともと数字に苦手意識もあり、「簿記」ってすごく難しいのでは?と思っていて、実はちょっと躊躇していたんです。たまたま知り合いに日商簿記1級に合格した人がいたので話を聞きに行き、ちゃんと勉強すれば大丈夫だろうとの結論に至り、割と楽観的にスタートしました。TACのパンフレットでも「3年で合格」って書いてありましたし(笑)。働きながらの受験勉強でしたから、1年に1科目が妥当だろうと思い、最初の年は基本となる簿記論に合格することに注力しました。
ところが、もともと計算や電卓が得意じゃないうえに土日は仕事があってTACの講義に行けず、残業がある日はやはり勉強できない。そんなふうに言い訳をして自分を甘やかしているうちに試験当日を迎えてしまいました。これでは受かるわけがありませんよね。見事、不合格でした。
──次の年はいかがでしたか。
三森 翌年も、まだエンジンはかからずNG。結局2年間働きながら勉強しましたが、何も合格できませんでした。今だからわかるのですが当時の勉強量では絶対に合格できません。本気度も勉強量も圧倒的に不足していましたからね。しかし、気がつけばもう32歳。35歳までに資格を取って転職したいと思っていたので、これではいかんと。ついに「働きながら合格」の道は一旦あきらめ、不動産会社を辞めて勉強に専念することにしました。
──無職になり、この時はすでに結婚もしていて不安はなかったのですか。
三森 子どももふたりいて不安もありましたが、ある程度貯金があったので無職でも2~3年は生活できるだろうと、アルバイトもせず勉強に集中することにしました。妻は、私は追い込まれないと本気でやらない性格だということがわかっていたようで、専念することにむしろ賛成でした。また、妻が正規社員の保育士だったのも大きかったですね。その時は、たまたまふたり目を産んで育休中で無収入でしたが復帰すれば一人前の稼ぎがあるわけですから。
──奥様がしっかりサポートしてくれたということですね。すばらしいですね。
三森 この話をすると、みなさんそう言います(笑)。ただ、少しでも切り詰めるため家賃が安いところに引っ越した時は、さすがにちょっと憂鬱そうでしたけど。とにかく、背水の陣であることには変わりありません。不動産業界に戻るという選択肢はなかったし、試験に合格しないことにはこの状態は終わりません。それをしっかり自分に言い聞かせ気持ちを奮い立たせました。勉強に専念した最初の年は簿記論、財務諸表論、消費税法を受験して、簿記論と財務諸表論は無事合格。翌年は法人税法と消費税法の勉強をしたのですが、どちらも不合格でした。消費税法は2年やっても不合格。これは痛かったですね。
──消費税法はよほど難しいということですか。
三森 消費税法が、というわけではないのですが、消費税法や法人税法などの税法科目は基本的に条文を全部覚えるのが前提で、そのうえで聞かれている問題に即した解答を判断し過不足なく記述するんです。暗記が苦手なことを自覚していた私にはそれがかなり大変だったんです。最初の講義で「テキストのここを覚えてきてください」と言われたので、なんとなく覚えて次の講義に臨んだら白紙の解答用紙を渡されて、そこに「全文を書きなさい」という問題が出されました。こんなにも暗記重視なのかと、びっくりしましたね。でも、その大変さに気がついた時には、もう勉強は始まっていて後戻りはできない状態。最初に知っていたら、そもそも税理士をめざさなかったかもしれません(笑)。ただ、合格できなかったのは今にして思えば、自分に甘さがあったからなんです。あの時、もっと自分を追い込めばよかったのに…というのも、私がTACで勉強していたのは朝9時から夕方6時まで。無職なんだからやろうと思えば24時間勉強できるのに、当時はワークライフバランスを重視して、勉強もするけど家族との時間も大事にしたいというスタンスだったんです。働きながら勉強している社会人は、1日働いて、それこそ夕方6時から勉強するのに…その結果が、消費税法の不合格につながった気がします。消費税法は2年やっていたから合格するべきだったのに、ダメでした。
タイムリミットをにらみつつ勉強を続け、見事合格!
──勉強を始めてすでに4年。34歳になり、少しあせりは感じましたか。
三森 このまま無職でいるのは将来の生活も不安になってきますし、なにより業界未経験の35歳はきついと思ったのでどこかの事務所に入り働きながら経験を身につけつつ勉強をすることにしました。ただ、事務所を探すといっても、これがまた大変で。34歳と年齢は重ねているのに合格しているのは会計科目の2科目のみ。しかも社会人経験はありますが、税理士業界の実務経験はゼロ。就職相談会に行っても「34歳ですか…」と言われてしまったり。それでも、なんとか不動産好きの所長とご縁ができて、渋谷にある公認会計士事務所に入ることができました。
──働きながらだと勉強の時間を捻出するのも大変ですね。
三森 仕事の時間や最低限の睡眠の時間は削れないので、結局、自分の時間と家族との時間を削るしかなかったですね。自分のフリータイムはゼロ。飲み会もゼロ。いつでも『理論マスター』という暗記本を持ち歩き、ほぼ365日、すきま時間を活用して暗記しました。覚えるものは、ただただ繰り返し読んで覚えました。寝る前も満員電車の中でも見開きをコピーしてポケットに入れていました。記憶力がいいとは思っていなかったので、どんな時もひたすら読み続ける日々。それでようやく、その年に法人税法に合格し、その翌年に消費税法に合格しました。今、思い出しても働きながら勉強していたこの頃が本当にきつくて大変でしたね。
──そのような中で4科目合格できたのですね。ついにあと1科目。最後は何の科目にしたのですか。
三森 これは結構悩みました。相続税法や所得税法は暗記が多いのでパス。いろいろ調べていたら固定資産税は暗記のボリュームも少ないし、テストの配点も計算50%、理論50%なのでフィフティフィフティでいけると知り、最後は固定資産税にしようと決めました。しかも不動産業界で働いていたおかげで少しは知識もあったので、内容はすんなり入ってきました。ただ、試験範囲が狭く合格レベルまでは簡単に到達できるので、合格レベルに達していても、たったワンミスで1年の苦労がムダになる可能性があるのがこの科目の怖いところです。電卓を打ち間違えたらアウト。「はい、また来年いらっしゃい」ということになってしまいます。細心の注意が必要でした。それでも無職になってから6回目、2011年の試験で合格し、なんとか税理士資格を取得できました。
さまざまな経験が積めた事務所勤務時代
──受験勉強をしながら、いくつかの事務所で働いたということですが、それぞれの事務所ではどのような経験をされましたか。
三森 独立するまでに、お世話になった事務所は全部で3ヵ所。最初の事務所は待遇が良くてお客様も裕福で、所長は趣味を楽しむような方。とてもいい事務所でしたが、職員はみな優秀なうえに新規案件が少なく、私のような未経験者のところにくる仕事は入力など単純なものが多かったんです。でも私は年相応の経験を早く積み、早く一人前になりたかったので、法人税法、消費税法に合格したころ、転職することにしました。
──2つ目は、中堅の税理士法人ですね。
三森 最初の事務所では「絶対に100点の仕事をしなさい、99点では評価されない」と指導されましたが、こちらは「80点でいいから数をこなせ」というスタンスの事務所。とにかく忙しかったです。その代わり、さまざまな業種の会社や個人のお客様を担当させていただき、それが経験につながりました。しかし、かなりブラックな事務所で長時間・低賃金労働の環境。私は経験を積むためでしたから、受け入れていましたが頻繁に同僚が辞めていきました。私はモノを言う部下なので(笑)、短期間で職員が辞めないよう待遇改善をすべきで、それがお客様の利益につながるはずです、というようなことを機会があれば主張していましたから、ちょっと所長からは煙たがられていたと思います。正しいと思っていることが通じない、それがストレスで転職も考えたのですが、もう38歳でしたから、さすがに需要はないだろうなとあきらめていました。今と違って、まだまだ買い手市場でしたから。
──では、どうやって3つ目の事務所に転職されたのですか。
三森 長らく見ていなかった転職サイトで声がかかったんです。3つ目の事務所ではないところからでした。「あれ?私でもまだ需要があるんだ」と驚き、それがすごくうれしくて、だったら最後の転職をしようと決心して転職先を探しました。
ちょうどその頃、『TACNEWS』の「日本の会計人」で取り上げられていて、興味を持っていた大規模税理士法人がTACキャリアナビのマッチングメールで新着求人情報欄に掲載されていました。そこで自分から電話をして無事に採用となりました。相続税に特化した税理士法人で採用された時は本当にうれしかったですね。
──三森さんは相続税法は選択されていませんでしたが。
三森 そうなんです。しかも、その前に勤めていた事務所でもあまり相続税関連の案件は扱っておらず、ほとんど経験を積めずにいたので、正直、相続税って何?という状態。でも自分としては、近い将来に独立する予定でしたから独立するにあたって知らない業務があってはまずい。それも相続というのは人が亡くなれば当然発生するもので、それを知らないで独立できるのかという不安もありましたから、相続に強い事務所で勉強したいと思っていたんです。この事務所では絶えず数十件の相続案件を抱え、経験豊富な所長や同僚税理士に刺激を受けながら経験を重ねることができました。
41歳でついに念願の独立!
──3つの事務所で経験を重ね、平成26年の秋に41歳でついに独立されました。ご自身の人生設計から鑑みて順調でしたか。
三森 転職を考えた時は35歳で税理士になる事が目標でしたが、実際に資格を取れたのは38歳。早く独立したかったので全体としては予定よりも数年遅れていましたね。そもそも学生の時からキャリアマネージメントをちゃんと考えておけば、もっと早く独立できたんでしょうね。でも当時はそんなこと、誰も教えてくれなかったし…とにかく時間はかかりましたが、独立できたのはうれしかったです。
──事務所は赤羽駅近く。こちらを選んだのはどのような理由からですか。
三森 自宅から自転車で通えて、かつ、お客様にも迷惑がかからないよう電車でのアクセスが良く、駅からも近いということで選びました。税理士は自分からお客様のところへ行くことも結構多いので、それなら事務所も家から近いほうがフットワークも軽く動けるだろう、という判断からです。
──独立して3年が過ぎました。業務は順調ですか。
三森 この業界は、のれん分けというのはないので、みんなゼロから始まります。最初の2~3年は正直食えないことも覚悟してのスタートでした。でも一度顧客になっていただければ基本的には継続的なお客様となっていただけます。毎年少しずつでも顧客が増えれば確実に右肩上がりになります。実際、1年目から顧客もつき予想よりはかなり良いスタートでした。
──顧客獲得の努力は何かされましたか。
三森 インターネットでの集客が当たり前の時代ですが、最初は自分で作る知識も制作してもらうお金もありませんでしたので、それはできませんでした。
そもそもインターネットでの集客というのは結局は「金額」がすべてで、安ければお客様は簡単に増やせると思いますが、金額で決めたお客様は金額で出ていってしまいます。また、労働集約型産業である以上「安かろう悪かろう」に陥りがちです。しっかりとした仕組みを作らないとそこには参入できないと思いました。
そこで、従来型の「アナログ営業」、つまり紹介による顧客の拡大をめざし、人の集まる場所に行っては名刺交換。最初の頃は異業種交流会にも参加して積極的に人にお会いしました。また、会社案内代わりにチラシを作って直接渡したり。私の場合、前職の不動産会社とも良好な関係だったので、そこにも配りに行きました。かつての同僚が今は課長などプレイングマネージャーの立場になっているのでお願いもしやすいんです。私もそうでしたが不動産業界では、税金についてはそれほど詳しくない人が多いんです。でも、お客様に聞かれたら、そこは知らないとは言えませんよね。だから「何かあったら相談に乗りますよ」と声をかけたら、だんだん連絡がくるようになりました。もちろん、ほとんどの電話は仕事につながるわけではありませんが、たまに相続税の申告や所得税の申告などを紹介してくれるので、ありがたいと思っています。
──昔のツテは確かに大きいですね。
三森 弁護士、司法書士、行政書士などの「士業」の方からの紹介も多いです。私は税務のプロですが、法務や登記のことはやはり彼らがプロです。生半可な知識で対応するよりは専門家を紹介したほうがいい。逆もあり士業同士、便宜を図ることは多いですね。だから事務所開設後、赤羽で司法書士の方を探してコンタクトをとりました。開業した以上、地元の人とつながることは大事です。そうやってネットワークを広げたことで仕事になった案件もありました。
個人的に保険税務も好きなので保険外交員の方からの紹介も多いですね。保険営業に同行して提案する保険の税務上のメリットを説明したりしました。やはり税理士の言葉と、保険外交員の言葉ではお客様の受け取り方がまったく違うようで、すんなりと契約まで結びつくことも多いのです。すると、この税理士は使えると思ってくれ、会社の社長を紹介してくれることもありますね。
インターネットについてはもっと活用したいのですが、やっと会社案内の代用という感じでホームページを立ち上げたばかり。こちらをもっと充実させることは今後の課題だと思っています。
コンサルタントとして信頼できる存在になりたい
──ホームページを拝見したところ、今、得意としているのは相続や未来会計ということですね。
三森 これからの税理士は数字の入力をして申告書を作って終わり、ではダメだと思うんです。正確な申告書作成は当たり前で、会社の数字を読み解き、その会社の未来をどうつくるべきか、という話を社長と一緒にするコンサルタント的な役割を果たすことが私たちの仕事だと思います。我々は数字のプロですから、「これだけ稼ぎたいなら、売上はいくら必要で原価はこれくらい必要」とわかりやすく説明すれば、社長もその世界のプロですから解決方法は導きだせます。要は親身になってわかりやすく数字の教育をしていくことが重要なんです。おかげさまでお客様には「三森さんの説明はわかりやすい」と褒めていただいています。
──顧客とは、どのくらいの頻度で打ち合わせをするのですか。
三森 ミーティングはお客様のニーズに合わせて、月1回の方もいれば、簡単な不動産賃貸業の方なら年1回などさまざまです。また、幹部社員のための勉強会を実施することもあります。確かに専門家から説明してもらったほうが社員の受け取り方も違うということはありますね。実際、お邪魔した会社では在庫管理がちゃんとできておらず、在庫管理の重要性について繰り返し社長に説明してきました。社長も幹部社員に私が伝えたように説明しているのですが「どうも腑に落ちていないようだ」と。それなら私が直接幹部社員に説明します、ということで勉強会を開いたこともありました。
──今後の目標などがあれば教えてください。
三森 事務所がかなり手狭になったので、もう少し広いところに引っ越して社員を雇って、ネット環境も整備してと、全体としての規模を少しずつ大きくしたいですね。お客様目線でいうとひとりでやっている事務所は、やはり不安ですよね。ある程度の規模を持ち安心して相談に来ていただける環境をつくりたい。また、今は、あまり地域の方が顧客にいないので、そこも増やしていきたいですね。
──では最後に、税理士をめざしている人へアドバイスをお願いします。
三森 試験勉強をしている時は、資格を取るのがゴールだと考えがちです。しかし実はそこはスタートラインでしかありません。だからこそ資格はできるだけ早く取ったほうがいい。私が今後悔しているのは、勉強に専念していた時期に、もっと一生懸命勉強して1科目でも多く合格しておけばよかった、ということです。そうすれば、もう1~2年早く税理士になれたと思います。結局、本気にならないと合格は難しいし合格しなければ何も始まりません。どんなに勉強しても資格がなければ、ちょっと税務に詳しいただのおっさんですから(笑)。大事なのは、自分でデッドラインを引いて覚悟を決めて、本気で取り組むこと。それさえできれば、30代だろうと暗記が苦手だろうと尻ごみすることはありません。とにかく本気で勉強して、合格して、そこからようやく人生が始まることを肝に銘じて、がんばってください。
[TACNEWS 2018年6月号|特集]