特集 行政書士の専門特化
司法試験から方向転換し、行政書士へ。
父の築いたネットワークを受け継ぎ、インドネシア専門の行政書士事務所を展開しています。
廣瀨 さやか氏
さやか行政書士事務所
所長 行政書士
廣瀨 さやか(ひろせ さやか)
1984年、東京都出身。2008年、金沢大学法学部法政学科卒業。
2011年、横浜国立大学法科大学院卒業。2012年1月、行政書士試験合格。
2012年11月、東京都調布市の自宅にてさやか行政書士事務所開業。2015年4月、港区虎ノ門へ事務所移転、現在に至る。
東京都港区虎ノ門に日本で唯一ともいえるインドネシア専門行政書士事務所がある。さやか行政書士事務所だ。所長・行政書士の廣瀨さやかさんは、弁護士をめざして司法試験にチャレンジするも、方向転換して行政書士になった。実務未経験で開業し、開業2年目に「インドネシア専門の行政書士」という大胆な特化の道に挑み、34歳の現在もニッチな領域で躍進中だ。廣瀬さんの司法試験受験時代の苦労や気持ちの切り替え、行政書士となった経緯ややりがいについて忌憚のないお話を伺い、行政書士の可能性を探ってみたい。
7年間かけた法律の知識で勝負したい!
──廣瀨さんが行政書士をめざしたきっかけを教えてください。
廣瀨 最初から行政書士をめざしていたわけではありませんでした。中学生の頃はさくらももこさんのエッセイに心酔して、作家になるのが夢でした。ところが高校3年の頃、「弁護士になる!」と方向転換したのです。きっかけは中学生の頃に起きた「酒鬼薔薇聖斗事件」に端をした少年犯罪の凶悪化が、社会問題としてマスコミに頻繁に取り上げられるようになったことでした。「凶悪犯罪を犯す少年の心が理解できない」という大人たちの言葉に、「少年にも何か理由があるはず。環境が要因となることだって多いのに。大人たちは理解しようとしないだけじゃないか!」と憤りを感じたんですね。なにか大人たちに訴える方法はないか。そこから少年事件に携わる弁護士になりたいと思うようになって、一浪して金沢大学法学部に進学しました。
こうして大学2年から司法試験の勉強を始め、卒業後は横浜国立大学法科大学院に進学しました。大学院時代はロースクールと司法試験、両方の勉強に明け暮れた感じです。
ロースクール卒業後の5月、司法試験を受けたものの、短答式試験で不合格。もう1度受けてみようと気持ちを切り替えて、アルバイトをしながら勉強を続けました。民間企業の就職も考えてみたのですが、7年間もかけて勉強してきた法律の知識で勝負したいという思いをあきらめきれず、司法試験の前哨戦のつもりで受けたのが行政書士試験だったのです。11月に試験を受けて合格したあと、2度目の司法試験を受け、さらに併願で裁判所事務官の試験も受験しました。裁判所事務官は面接まで進んで手応えがあったので「司法試験がダメでも公務員にはなれる」と安易に考えていたのですが、司法試験どころか裁判所事務官まで不合格という結果に…。もう自分は社会から必要とされていない人間なんだとひどく落ち込んで、希望のかけらもなくなってしまいました。
──司法試験への再チャレンジという選択肢はなかったのですか。
廣瀨 2回目の司法試験が終わった時に自分の中でやり尽くした感がありました。とにかく受験生活から早く脱却したいという思いが強くて、2回目の受験が終わった段階で結果がどちらであってもこれで最後にしようと心に決めていました。
──司法試験受験中に、なぜ行政書士試験を受けたのでしょう。
廣瀨 7年間法律を勉強してきたことの証として資格がほしいと思ったことと、ロースクール生に行政書士試験を受ける人が少なからずいたからです。司法試験の勉強中でしたから、行政書士試験対策としては10年分の過去問を解きました。ただ、一般知識だけはやったことがなかったのでそこを熱心にやりました。
──行政書士になろうと心が切り替わったきっかけを教えてください。
廣瀨 司法試験に落ちたあと、行政書士の活躍を描いた「カバチタレ」というドラマを観て、今まで知らなかった行政書士の魅力にどっぷりとはまってしまったんです。人の心の痛みを理解した上で、7年間学んできた法律の知識を駆使して問題解決へと導くことができる仕事だと考え、行政書士になりたいと思いました。
もうひとつは、父がフリージャーナリストをしていて、10年以上かけて築いた、日本で暮らすインドネシア人とのネットワークがあったことです。父はインドネシア人からいろいろな相談を受けていました。その中にビザの相談がたまにあって、行政書士に相談していたんですね。それなら自分が行政書士になればインドネシア人のためにビザの面から父をサポートできるなと思ったんです。
──司法書士は考えなかったのですか。
廣瀨 行政書士になってから少し勉強してみた時期もありました。開業した当初は民事メインでやっていたので相続の相談を受けると必ず不動産登記の話が出てきて、司法書士の先生を紹介しようとすると、お客様から「それを含めてあなたにやってほしい」と言われることが度々ありました。もちろん司法書士資格がないので断っていましたが、書類作成から登記までワンストップでできたらいいなと思い勉強してみたのです。けれど事務所を移転してから入管業務メインになり、業務が忙しくなってきたこともあって勉強はやめてしまいました。
2年目からインドネシア専門に特化
──開業されたのはいつでしょうか。
廣瀨 2012年11月、2回目の司法試験の結果が出た2ヵ月後です。結果が出る前から行政書士になろうとおぼろげながら思っていたので、ハローワークに登録して実務経験を積む手はずまで進めていました。ところが、当時求人が少なかった行政書士事務所からの採用にはなかなか巡り合えず、ここでまた事務所探しに時間を費やすのはどうかと思いました。図書館で「行政書士の開業本」を読み漁っていたら、ある本に書かれていたのが「いずれ独立するなら修業してからでも、いきなり独立でも同じ」という言葉です。一日も早く仕事をしたいと思った私は「だったら自分でやってみるか!」と独立を決めました。
こうして2012年11月に東京都調布市の自宅で開業しました。
──実務経験ゼロの開業当初、どのように仕事を広げていきましたか。
廣瀨 11月に開業し、12月に東京都行政書士会調布支部で新人を無料で招待してくれる忘年会に参加すると、ある先輩から「調布で無料相談会を主催する若手の有志団体を先月発足したばかりなんだけど、スターティングメンバーにならない?」と声をかけてもらったんですね。その会に入って無料相談会に参加し、先輩の相談対応を隣で見させてもらったり、業務のやり方を逐一教えてもらったりしました。そこで民事の相談を受けて、先輩があえて私に仕事を振ってくれたのが最初でした。その後は無料相談会を軸に徐々に地元での仕事が広がっていったかたちです。当時はまだWebサイトは作っていませんでしたが、開業した時から書いていたブログからの問い合わせがたまにありました。
──事務所名を「さやか行政書士事務所」と命名したのはご自身のお名前からですね。
廣瀨 インドネシア語で「私」という一人称は「Saya」。私の名前「さやか」と重なるんですね。ですから自己紹介するとみんな笑ってすぐ覚えてくれるんです。また、ひらがななら日本語を勉強したてのインドネシア人でも読めるので親しんでもらいやすいのではと考え、この名前にしました。
──インドネシア専門に特化したのはいつからですか。
廣瀨 開業して2年目に入る頃です。1年目はいろいろな研修会や懇親会への参加を積極的にしていました。そこである先生が、民事と入管業務の2本柱でやっていきたいという私に、「入管でやっていくんだったら、例えば国を絞るとか、もっとやりたいことを絞ったほうがいいよ」とアドバイスしてくれたのです。
それが頭に残っていたことと父がずっとインドネシア人に係わる仕事をしていたことが影響しました。
──インドネシア人の入管業務は、どのようなルートで入ってきたのですか。
廣瀨 開業時からブログに行政書士になったいきさつや父とインドネシア人のつながりについて書いていたら、開業1年目に渋谷のある企業から連絡がきて、インドネシア人の採用をしたいので就労ビザ申請を依頼したいと問い合わせがあったんです。インドネシアに詳しい思い入れのある人に頼みたいということでした。それが最初で、その後も入管関係の問い合わせがあって、意外にインドネシアというキーワードでニーズがあることがわかりました。
折しもインドネシアが経済的にも成長して大統領も代わり、今後発展する国として注目されるようになったので、私も一緒に成長していければいいなという思いがありましたね。
──インドネシア専門を全面に打ち出されるようになってから、業務は変わりましたか。
廣瀨 当然Webサイトからの問い合わせはインドネシア関連がメインになりましたし、士業同士の交流会でも名刺に「インドネシア専門」と入れたことで周囲の反応が変わりました。それまでは名刺交換してもなかなか話が広がらなかったのですが、インドネシア専門と入れてからは「これはどういうことですか」と相手の方から聞いてくれるようになりました。また、そこで知り合った士業の方からインドネシア以外の国籍の方の入管業務も紹介されるようになったんです。専門を謳った効果はすごくありましたね。
──専門特化したことが大きな転機になりましたね。他にはなにか転機となる出来事はありましたか。
廣瀨 調布の自宅で開業したあと、2015年4月から現在事務所のある虎ノ門に移転したことも大きな節目になりました。実はこのオフィスは、金沢大学時代の刑事訴訟法ゼミの教授が東京に持つ弁護士事務所なんです。2年目の冬ごろに先生から「いつまで自宅でやっているんだ。器が小さいと入ってくるものも小さいぞ。大きくなりたいんだったらまずは器を大きくしなさい」と言われて、先生の事務所の事務・雑務をすることで最低限の費用負担を条件に、事務所の一角にデスクを置かせてくださったのです。
器を大きくしたら、すごく変わりました。まずそれまでは個人の問い合わせが圧倒的に多かったのが、企業からの問い合わせが増えてきました。名刺交換をしても港区虎ノ門という住所にオフィスがあることで相手からの信用度に雲泥の差がありました。やはり虎ノ門は信用度が高く、企業からの問い合わせも大きく増えました。おかげで現在は法人と個人の依頼が半々になっています。
複雑なインドネシア人との国際結婚手続
──相談はどのような内容が多いのですか。
廣瀨 現在は就労ビザとインドネシア人との国際結婚手続の2本柱でやっていて、国際結婚は個人からWebサイト経由で依頼が来ています。就労ビザは企業経由もあれば個人もあります。企業経由では、これから初めてインドネシア人を採用するのでインドネシアに詳しい事務所に就労ビザの手続を相談したいという内容の問い合わせが多いですね。
国際結婚は、最初はバリ島が好きで何十回も通っている日本人女性が現地で知り合った男性と結婚するケースが多かったのですが、ここ2~3年は日本企業のジャカルタ近郊への進出で、現地に赴任した日本人男性がインドネシア人女性と交際し、赴任を終えて帰国する際に結婚するパターンがかなり多くなっています。国際結婚は大きく分けてこの2パターンですね。
──国際結婚は国内での婚姻手続と違いますか。
廣瀨 日本人同士が国内で結婚するには、婚姻届にふたりが署名して、証人ふたりの署名・捺印をもらって役所に提出し受理されれば手続は完了です。
一方、国際結婚の場合、日本と相手の国の両方で法律上の結婚が成立していなければなりません。日本で先に婚姻の手続をする場合は、まずインドネシア人側がインドネシアで役所に行って婚姻手続に必要な書類を揃えた上で、短期滞在ビザで来日します。そして、ふたりでインドネシア大使館へ行き、婚姻要件具備証明書を取得します。国際結婚では役所に婚姻届を出す際に必要なのが、婚姻要件具備証明書です。婚姻年齢などインドネシアの法律上の婚姻要件を満たしていることを証明するものですね。さらにインドネシア人との結婚では両親または親族の同意書が必要になります。
日本の役所で婚姻届を出す際には、その他にもパスポートや出生証明書が必要で、出生証明書は当然日本語に訳したものを添付して提出します。それらの書類を用意してから婚姻届を出すので、日本人との結婚に比べて手間がかかります。役所で婚姻届が受理されたあとは、婚姻届受理証明書を発行してもらい、再びインドネシア大使館に行き、報告をして婚姻登録証明書の発行を受けます。
日本側の手続はそれで終わりなのですが、インドネシアでは大使館で登録してもそのデータは大使館で止まり本国の役所には送られないので、本国の身分証明書では未婚のままになっています。そこでインドネシアに帰国した際に、インドネシア大使館から発行された婚姻登録証明書をもって本国の役所に提出することで、ようやく身分証明書や家族証明書が既婚というステータスになり、婚姻に関する手続が完了します。
逆にインドネシアで先に結婚の手続をする場合は、イスラム教徒かそうでないかによって、婚姻登録を行う役所が異なり、相手がイスラム教徒の場合は基本的には日本人もイスラム教に改宗する必要があります。
加えてインドネシア人は日本人に比べて時間や手続にルーズな方が多いです。そのため書類が揃うまで相当な時間がかかるケースが多いのがインドネシア人との国際結婚です。
──インドネシア人との国際結婚は年間何件もあるのですか。
廣瀨 入国管理局の統計では、日本人の配偶者として新たに日本に入国するインドネシア人の数は約130~140件とされています。そのうち私が受任するのが20件ほどです。
一人ひとりに寄り添って人生をサポート
──就労ビザに関して、インドネシアに特化している強みを教えてください。
廣瀨 就労ビザは大学卒業がひとつの条件なので、就労ビザ申請をする際にはインドネシアの大学の卒業証書と成績証明書が必要になります。それはインドネシア語で書かれているので翻訳しなければなりません。また、入国管理局が認めている大学かどうか、学士等の学位を取得しているかどうか、日本の教育機関であればすぐに判断できますが、インドネシアについては、インドネシアの教育制度を理解していないと判断できません。私はインドネシア語を勉強しているので、中級レベルですが、インドネシアの証明書を見ればそうした点をすぐ判断できるのを強みとしています。
さらに初めてインドネシア人を採用する企業に対して宗教を含めた文化面で相談に乗れる点が、専門特化している私の大きなアドバンテージです。相談で最も大きな問題は宗教で、インドネシアは人口の約9割がイスラム教徒なんですね。アラブ諸国に比べて戒律をどこまで守るかに関しては緩い考え方の人が多いのですが、人によっては戒律を厳格に守って一日5回、ちゃんとお祈りをしたい人や、豚肉やアルコールを一切口にしない人もいるので、そうしたインドネシア人とどう付き合っていくのかをアドバイスしています。
例えば、社内にお祈りの部屋を用意しなければいけないのかという相談には、「必ずしも新たに一室用意する必要はなく、更衣室や会議室の一角などをスペースとして使うのを認めていただければ大丈夫です」と答えますし、「国民性として時間にルーズなところがあるのでそこは口を酸っぱくして言い聞かせてくださいね」とアドバイスします。インドネシア料理の店はどこにあるか、インドネシア料理でもハラルのお店はどこか、モスクはどこにあるのか、そういう情報も必要とされていて、企業からもよく聞かれますね。
──入管業務の占有率はどれくらいですか。
廣瀨 業務のほぼ9割が入管業務です。国籍の割合で言えば、インドネシアが7割、その他にフィリピン、ベトナムなどの国があります。
インドネシア人の総人口は約2億5000万人。日本人の倍近くですが、まだまだ日本に来ているインドネシア人は少ないですね。年齢層も20代が一番多く、その中でも日本語学習者が中国に次いで2番目に多い親日国です。つまり日本に来たいという若者はたくさんいるので、今後増えてくるのではないでしょうか。
──廣瀨さん自身はインドネシアに行かれていますか。
廣瀨 年1~2回は視察に行きます。私は日本とインドネシアの弁護士や裁判官、大学教授たちで組織している「日本インドネシア法律家協会」に加入させていただいているのですが、2017年の夏はその視察で行きました。この協会はもともと日本の裁判にある和解と調停の制度をインドネシアに普及させようというJICAのプロジェクトメンバーによって作られた組織です。協会ではインドネシアの大学や裁判所を訪問しているのですが、2017年夏は私のリクエストで民事登録局を訪問し、実際にインドネシア人が婚姻登録をしたり、必要な書類を用意したりする窓口の風景を見学してきました。職員に質問する時間ももうけてもらえて、意義深い視察となりました。
日本とインドネシアの架け橋になりたい
──現在はおひとりで事務所を運営されていますが、今後はどのように組織運営していこうと考えていますか。
廣瀨 人を雇わないのかと聞かれたり、自分自身で手いっぱいになってしまって人手が欲しいなと思う時もあったりして悩ましいのですが、結論としては基本的にひとりでやっていこうと思っています。すべて自分の目の届く範囲でやりたいからです。国際結婚された方は結婚して終わりではありません。配偶者ビザは最初は1年しか取れないので更新がありますし、結婚して3年経つと今度は永住ビザの申請ができるようになります。インドネシア人女性と日本人男性の結婚の場合は、男性が10~20歳年上のケースがかなり多いので、男性から「先生、私が死んだあとのことはお願いします」と言われることもあります。結婚して子どもが産まれれば今度は子どもの国籍の問題がありますし、本当にその方の人生をずっとサポートしていくかたちになるので、きちんと一人ひとりのお客様に寄り添って、状況をわかっておきたいという思いがあるんです。
──行政書士としてのやりがいはどこにありますか。
廣瀨 自分の好きなことを仕事にできて、時間も自分でコントロールできる点は本当に良かったと思います。自分が元気な限りはずっと続けられる仕事でもありますね。
行政書士という仕事がおもしろいなと思うのは、いろいろと自分で仕事を作っていけるところです。それまで考えたことがなかったことでも、お客様から「こういうことはできますか」と聞かれてできそうなら「これもサービスメニューに入れてみよう」と膨らむことが多いので、自分でどんどん広げられるんですね。
──今後、力を入れていきたいのはどのような領域ですか。
廣瀨 インドネシア絡みの相続案件です。インドネシアに住んでいる日本人がインドネシアの銀行に預金を預けたまま亡くなった場合、その預金の相続手続はどうするのか。日本にいる相続人が現地で手続できればいいのですが、相続人がインドネシアに行ったことがなく、言葉もわからないケースがほとんどです。そこで今、現地でインドネシアの法務コンサルタントのパートナーと組んで、代行してもらい手続をしています。
逆に、日本でインドネシア人が亡くなった場合は、その相続人を確定する必要があります。インドネシアには日本のような戸籍制度がないので、出生証明書と婚姻証明書をつなぎあわせて調べる必要があり、それらの書類上では正確な兄弟関係もわからないんです。なので最終的には現地で日本でいうところの公証役場に行って、宣誓書のかたちで「兄弟はこれだけで相続人はこれがすべてです」といった内容の証明をもらいます。また誰が相続人かを決めるのにも、インドネシアは民法の他にイスラム法と、さらに地域の慣習法があるので、どの法律を適用するのかでも分かれてきます。慣習法は明文化されていないので、現地に行かないとわからず、調査するのもとても大変です。こうした調査もインドネシアにいるパートナーが現地を調査して相続人を確定しています。
こうした案件は今はまだ年2~3件ですが、今後増えてくるでしょうし、日本に住むインドネシア人もインドネシアに住む日本人も今後増えてくると思います。中国・韓国・台湾であればすでに対応している士業はいますが、インドネシアはやっている人がいないニッチな領域です。私が先手を打ってやっていけばライバルもいないので、それだけで価値があるし強みになると考えています。
──今後、行政書士として開業する方がある国に専門特化するとしたら、どこがいいと思いますか。
廣瀨 私がインドネシア専門を謳っているせいか、フィリピン専門、ミャンマー専門という行政書士仲間とのつながりができました。みんな専門性を活かして仕事しているので、まだまだ特化できるエリアはあると思います。アジアの次はアフリカだと先を読む仲間もいますね。とにかく本気でやろうと思えば必ず切り口はあります。
──資格取得をめざして勉強している読者にメッセージをお願いします。
廣瀨 法律を通じて日本とインドネシアの架け橋になることが今の私の目標です。日本で暮らすインドネシア人やインドネシアと関わる日本人で法的な手続で困っている人のために、インドネシア専門行政書士だからこそできることを模索しながら挑戦していきたいと思っています。
そんな私も司法試験の勉強をしている時は「こんな生活いつまで続くんだろう」と鬱々としていましたし、行政書士になった当初も「司法試験のために勉強してきたことはなんだったんだろう。大学もロースクールもすべて奨学金で行ったけど、結局借金だけが残ったな」などとネガティブに考えていました。
ところが行政書士になってみたら、論文対策で培った理論的な文章の書き方や法的な考え方が申請書類の作成に活かせていると感じたり、弁護士になったロースクールの同期から仕事を紹介されたり、勉強した7年間は決して無駄ではなかったとしみじみと感じられるようになりました。
今は苦しいかもしれないけれど、いつかその成果を発揮できる時がきっと来ます。がんばってください。
[TACNEWS 2018年5月号|特集]