特集 不動産鑑定士による「災害復興支援活動」

不動産鑑定士ができる災害復興支援として、「住家被害認定調査」を起点とした支援活動に全鑑定士が参加できる体制づくりに取り組んでいます。

佐藤 麗司朗さん
Profile

佐藤 麗司朗氏

公益社団法人 東京都不動産鑑定士協会
理事 相談事業委員会委員長
有限会社つかさ不動産鑑定事務所
代表取締役 不動産鑑定士

佐藤 麗司朗(さとうれいじろう)
1974年生まれ、東京都出身。大手電機メーカー勤務を経て、2001年、不動産鑑定士2次試験合格。鑑定事務所に勤務し、2005年、不動産鑑定士3次試験合格。同年、有限会社つかさ不動産鑑定士事務所を開業。現在に至る。

 不動産鑑定士は、不動産の経済価値を判定し貨幣額で表示できる唯一の専門家として、実社会の経済活動に深く係わってきた。そのため阪神・淡路大震災では復興後期のマンション再建や再開発時の補償問題など評価に係わる部分で、東日本大震災では岩手県や宮城県における防災集団移転促進事業で高台移転に係わる計画に携わるなど、災害発生時にも専門性を活かした貢献をしている。しかし、いずれも災害発生から一定時間が経過したあとでの取り組みで、発災直後の支援として専門性を活かした活動はあまりなかった。「発災直後から、不動産鑑定士ができる復興支援はないだろうか」。そんな問題意識を抱え続け、災害支援活動を模索し続けてきたのが、東京都不動産鑑定士協会の理事・相談事業委員会委員長、佐藤麗司朗氏だ。佐藤氏の考えた災害復興支援に対する東京都不動産鑑定士協会の取り組みは、今や全国展開で進められている。佐藤氏の取り組みと専門士業としてできる災害復興支援活動を追ってみた。

3次試験合格後すぐに不動産鑑定士事務所を開業

──佐藤先生が不動産鑑定士をめざした理由を教えてください。

佐藤 母子家庭で育ち、その母が心臓病で東京の病院に入院中だったので、東京での就職にこだわって大手家電メーカーに入社しました。ところが数年後に大阪への転勤内示を受けてしまい、母のケアのため手に職をつけて独立できる資格を取得しようと考えました。書店で資格の本を立ち読みして「景気の良い時にも悪い時にも仕事があって、独立できて、資格保持者同士の競争が少ない資格」を探してみると不動産鑑定士(以下、鑑定士)に行き当たりました。不動産業界の最難関資格で、独立開業に向いていて、何より景気の良い時には開発や民間系の仕事、景気の悪い時には不良債券処理やバルクセール、民事再生法、会社更生法絡みと、バラエティに富んだ仕事ができることに魅力を感じました。また、当時も今も全国に6,000人程度しかおらず、競争のない業界ということもあり独立開業に向けて一念発起し、勤務を続けながらTACで勉強して合格しました。
当時は2次試験に合格すると2年間の実務修習を経て鑑定士補となり、約1年間の国土交通省・日本不動産鑑定士協会連合会(以下、連合会)が主催するスクーリング、通信演習をパスすると3次試験受験の要件を満たし、3次試験に合格すれば晴れて鑑定士となれる制度でした。
 2次試験合格後、私は東京駅近くの歴史ある鑑定事務所に就職しました。前職の退職理由を伝えられなかったので、母にしてみれば大手メーカーから小さな鑑定事務所への転職で、最初は納得していないようでしたが、就職が決まると病院の枕の下から10万円を取り出して、「新しい職場に行くのだからスーツを買っておいで」と言ってくれました。手渡されたお金でスーツを選んでいる時に病院から電話が入ると、それは母の他界の知らせ…。母のためにこの業界をめざして、試験に合格して、就職も決めて、スーツを買いに行って…、そして母は亡くなりました。何という運命のいたずらだろうと思いました。それでも鑑定士として立派にやっていくことが母への供養と思い、3次試験をクリアしたあと、サラリーマン時代からの貯金を元手に、いきなり従業員4人を雇って池袋で独立開業しました。

──すごい展開で一気に独立されたのですね。鑑定事務所勤務時代はどのような仕事でしたか。

佐藤 金融機関の担保評価とバブル崩壊後の会社更生法、民事再生法絡みの評価をしていました。最初の仕事がいきなり鑑定規模10億円超える物件で、評価するのに足がすくんだのを覚えています。そこに2年間勤務したあと、行政書士・鑑定士事務所と不動産会社を併設した事務所に転職しました。そこは資金繰りから支払いまで、まさに自分が独立する際のシミュレーションが完璧にできる総合型事務所でした。独立の際はそこをロールモデルに、私自身が宅建主任者(現:宅地建物取引士)資格を取得していたので、鑑定士と不動産業の総合事務所としてスタートしました。
 現在、北海道から沖縄まで、不動産鑑定及び意見書の作成、コンサルティングは1,500件以上を手がけています。不動産業の実務に就いて16年、開業して13年目、自ら不動産の売買、賃貸、管理も行い、金融機関の担保評価、賃料増減額を伴う継続地代・継続家賃・立退き料の争訟目的の評価、借地・底地・特殊な事業用物件の評価、不動産取引などにも従事しています。
 私は実際の不動産売買に携わらないで、鑑定して値段だけをつけることに疑問を感じていました。開業当時は営業保証金の供託を含めて宅建協会への入会金等が数百万円と高額でしたが、独立時に宅地建物取引業免許を取得して不動産業も営んだことが今では功を奏していますね。自分の理想の会社をめざして鑑定事務所と不動産業を平行して営み、総合事務所として間口を広くしたことで、開業13年間ずっと無借金経営で現在も従業員5名体制で運営できています。

枠組みを超えた被災地支援活動を

──佐藤先生の東京都不動産鑑定士協会での会務活動をご紹介ください。

佐藤 30年以内に70%以上の確率で首都直下型地震が発生するであろうことを踏まえ、私は東日本大震災の前から東京都不動産鑑定士協会(以下、協会)の被災地復興支援事業に携わっています。協会では平常時における相談会の責任者もしており、鑑定士単独での相談会のほか、他士業との合同相談会などの多くを運営しています。そのほか弁護士、税理士、司法書士、鑑定士といった士業の複数団体から構成され、都民への防災意識啓蒙と事業復興支援を担う「災害復興まちづくり支援機構」(以下、機構)という団体の運営委員、合同相談会の実行委員長という立場で、士業の垣根を越えたサポートをする活動も行ってきました。
 その過程で起きたのが東日本大震災です。福島県各地から被災者の方々が東京方面にも避難されてきました。いても立ってもいられず、私たちに何かできないかと他士業のメンバーとともに避難所となった東京ビッグサイトに集結し、東京都とタイアップして士業合同相談会を開いて、連日、入口に机を並べて座っていました。しかし、誰も来る気配はありません。その後も避難所となった東京体育館、味の素スタジアム、赤坂プリンスホテルなどの相談会に参加しましたが、できたことはせいぜい被災者の方の不安な気持ちをお聞きして、現地の情報をネットで調べてお伝えする程度でした。この2011年時点では、専門士業として何かができるという独自の活動はなかったのです。
 「専門士業って何なのだろう」という無力感でいっぱいの日々でした。その後、機構を通じて、ゴールデンウィークには宮城県、岩手県の視察を行い、7月にようやく復興協議会に出席するために福島県を訪問することができました。復興協議会は、被災3県を岩手、福島、宮城の順番に訪問し、地元の士業・学識経験者と阪神・淡路大震災で活躍された士業・学識経験者、そして東京で首都直下型地震に備える私たちとで、被害状況、復旧・復興に向けて課題を共有し、協議を行うものです。

──復興協議会ヘの出席が具体的な活動へとつながったのでしょうか。

佐藤 そうですね。当時、福島県不動産鑑定士協会の震災復興対策室長だった石田英之先生がとられた行動に目から鱗が落ちました。なんと先生は鑑定士として地価調査の点検作業に行く際に、ガイガーカウンターを持参し、避難区域やホットスポットの放射線量を量ってこられたのです。放射能情報が飛び交ってパニック状態の時に、「あなたの家の近くはこのくらい線量でしたよ」と伝え、不安を取り除いてあげたのです。石田先生の行動に私は深い感銘を受け、従来の枠組みを超えた活動に、震災後初めて鑑定士であることを誇れる思いがしました。
 鑑定士は、災害時、インフラ整備が終わったあとの再開発や土地区画整理事業といった最後のほうでようやく出番があります。それでも、鑑定士としての知見や専門的能力を駆使して発災直後から支援活動を行うことはできないか。そう考え始めたのは被災者向けの相談会をしても何もできなかった無力感と、石田先生の取り組みに感銘を受けたことからでした。何もできない自分が悔しかったのです。

──その後、発災直後からの支援活動に取り組まれるようになったのですね。

佐藤 「鑑定士が復旧を通じて国民のために寄り添えることはないか」。そう考えていた矢先の2013年6月、災害対策基本法が改正され、市区町村長に災害時の「罹災証明書」発行が義務づけられました。罹災証明書の発行に先立ち、被災した住宅の被害程度を判定するために内閣府のルールにのっとり「住家被害認定調査」「全壊、を実施して、大規模半壊、半壊、一部損壊、無被害」を、経済価値に着目して判定します。鑑定士は国税局の相続税路線価や国土交通省の地価公示など、いろいろと国の仕事を縁の下で支えているので、自治体と近しい関係にあります。そして罹災証明書は市区町村長が発行しますが、発行するための調査は自治体職員が調査しなければなりません。調査を担当する各市町村の職員数にも限りがあり、調査を実現するのは簡単なことではありません。
「では、調査する職員を鑑定士が支援してみたらどうだろう」。そうひらめきました。
 こうして協会が支援体制の構築に乗り出し、私は2014年から住家被害認定調査・判定方法についての研修の旗振り役となりました。

協会が支援体制構築に動いた日

──住家被害認定調査は、具体的にどのように進められるのですか。

佐藤 まず住家被害認定調査の方法は内閣府によって定められていて、「水害による被害」「地震による被害」「風害による被害」の3つの被害を想定して、それぞれの調査方法が存在します。また一見同じような損傷でも木造と鉄骨造、RC造などの非木造によっても判定方法が違います。
 構造だけでなく、調査には外観のみで行う第1次調査と、第1次調査が不十分な場合やその結果に不服がある場合に内観調査まで行われる第2次調査があります。被災者は罹災証明書の発行を受けることで、①被災者生活再建支援金、義援金等の給付、②税金・公共料金等の減免や猶予、③災害救助法に基づく応急修理などの支援を受けられることになります。
 この住家被害認定調査・判定方法についての研修は、士業の中で鑑定士しかできない訳ではありません。一級建築士や土地家屋調査士も同様の支援はできますが、家屋等の応急危険度判定など、他の業務で支援を求められる可能性が高いのです。鑑定士が住家被害認定調査、とりわけ内観調査も実施する必要のある第2次調査を支援できることは大きな意義があると考えました。

──支援体制を構築するために取り組んでいることについて教えてください。

佐藤 支援できる要員を増やすために、住家被害認定調査という取り組みをより多くの鑑定士に知ってもらうことが重要です。そこでまず、協会の定期研修会において住家被害認定調査の基礎研修を開催しました。ただし基礎研修によってすそ野を広げるだけでは不十分で、実際に支援を行うには調査のためのスキルが必要になります。そこで、基礎研修に参加した人を対象に、より実践的な内容の応用研修も開催しました。基礎研修を受講した約400名(後日配信されたe-ラーニング受講者を含む)のうち現時点で92名が応用研修を受講し、第2次調査に関することや根拠となる基準、指針といった住家被害認定調査の概要、木造・非木造の住宅の第1次調査、第2次調査の具体的方法について演習を通じて学習しました。
 応用研修の受講者の9割以上が「良かった」「非常に良かった」と回答しており、今後も継続して研修を開催し、協会の鑑定士の半数以上に受講してもらいたいと考えています。
 何より意義深かったのは、首都直下型地震に備えたこれらの研修が、2016年4月に起きた熊本地震の被災地で「即戦力」として機能できたことでした。

初の実地支援となった熊本地震

──鑑定士による住家被害認定調査は、熊本地震ではどのように機能したのですか。

佐藤 2016年4月、2度起きた熊本地震では19万棟を超える住家が被害を受け、関連死を含めて241名もの方が亡くなられました。避難者数はピークであった4月17日時点で18万3,882人でした。
 私たちはこの熊本地震の直前の3月にも研修を行っていて、これを受けた会員が5月初旬、すぐ現地に飛びました。その際、東日本大震災で被災者の受け入れを担当していた東京都の責任者の方が南阿蘇村の支援に入られていたことから、我々が南阿蘇村の支援活動を行うことができました。南阿蘇村は風光明媚な観光地でしたが、我々が現地入りした頃は大きな被害が至るところで見られ、空港からの主要アクセスであった俵山トンネル、阿蘇大橋が壊れて住民が孤立していました。学生の方が生き埋めにもなり、ニュースでも取り上げられておりました。
 現地での実際の支援活動では、住家被害認定調査の支援のみならず、応用研修の受講経験を活かして被災地域外から派遣された自治体応援職員に対して調査の方法をレクチャーしました。災害に関しては素人で現地の調査も初めての職員に、鑑定士が入れ替わりながら連続して派遣体制をとり、まずは午前中に2時間研修を行い、午後から調査に出かけて見本を示し、戻ってきて質疑応答、また現地へ行って見本を示すということを繰り返したのです。現地では鑑定士としてではなく、言わば調査活動の司令塔として災害対策本部で自治体職員と一緒に作戦を練ったり、全国から支援にきた自治体職員を指導するのがメインの仕事で、プラスで罹災証明書の発行を支援していたかたちです。
 こうして、延べ140日間を超えて「東京都不動産鑑定士協会」として会員を派遣することになり、私は現地の指揮官として40日間、支援活動を行いました。5月の段階で南阿蘇村の村長から派遣要請をもらい、5月30日には「引き続き佐藤麗司朗氏を中心に鑑定士を派遣してください」と、熊本県からも派遣要請を受けました。

専門士業が公正中立な視点で行政と被災者の間に

──支援活動の中で鑑定士の専門性が活かされた部分と工夫された点について教えてください。

佐藤 罹災証明書の発行会場に来られるのは100%が被災者です。被災者の方に職員が説明しても「うちが一部損壊のはずがない」と納得してくれないケースは多々あります。「きちんと調査した結果なのか、きちんと調査しないでこの結果なのか」で対立する構図が往々にしてあるのです。その際に「経済的価値に着目して私たち鑑定士が判定しています」と説明すると、ほぼ納得してくれました。
 相談会に先立ち、私たちはまず被災者のための相談会場を1ヶ所に集約できるように計画しました。そして平常時の相談会運営のノウハウを応用し、南阿蘇村では3段階の窓口を設置したのです。
 第1段階は、他地域から支援にきた自治体職員にパソコンで証明書を発行する作業に徹してもらいました。まずは罹災証明書をお渡しして、そこで証明書に疑問があるなら2段階目の窓口に行ってくださいと促します。
 第2段階目では、実際に住宅被害認定調査を行った鑑定士と調査を主として担当した税務課職員を中心に判定結果を説明しました。第1次調査の内容に納得された方にも、不服として第2次調査へと移行した方に対しても、3段階目で弁護士、司法書士、税理士、公認会計士といった専門士業が罹災証明書の利用方法や支援内容を説明しました。被災者が被災のランクに応じてどのような支援が受けられるのかを、ご納得いただけるまでお話ししたのです。
 発行ブース、説明・受付ブース、多士業合同相談ブースという3段構えは、結果として非常にうまくいきました。
 隣接する自治体では、証明書を発行し、その場でクレームも受け、そこで内容説明までしようとしたことから、会場がパンクした地域もありました。発行・クレーム・説明とひとりの被災者がずっと居続けるため、窓口に人が殺到して機能しなくなってしまったのです。こうした隣接地区では判定結果に対する説明不足な点に起因した不服が多く、3~5割が第2次調査に移行しましたが、南阿蘇村では判定結果の不服は、当初は1割台で食い止めることができました。
 専門士業が公正中立な視点で行政と被災者の間に入って、きめ細やかな交通整理をしたことで、職員と被災者の対立を防いで双方の疲弊を避けることができたのです。
 残念ながらせっかく罹災証明書を5月に発行したあとの6月に、記録的豪雨によって再び熊本は被災してしまい、第2次調査申請が大量に発生する事態となりました。その後、2016年9月になってようやく、現地の一般社団法人九州・沖縄不動産鑑定士協会連合会(以下、九鑑連)の方たちに研修を行うことができ、東京会の会員と合同で調査を行いました。私たちは最初から地元の鑑定士に参加していただきたかったのですが、熊本県に鑑定士はたった45人しかいない上に、ご自身も被災者という方もいらっしゃいました。九鑑連としての研修に切り替えるかたちで地元・熊本にて研修会を開催し、地元を含め、福岡や沖縄の鑑定士たちにも「支援活動をお願いします」と言うことができました。

全国に広がる「鑑定士による災害支援活動研修」

──協会では、これまでに熊本地震の復興支援のような動きはありましたか。

佐藤 実は住家被害認定調査は、私が行ったのが初めてです。協会の吉村真行会長は「鑑定士の歴史を変えた」とまで言ってくれました。今では国土交通省も鑑定士の災害対策支援の意義を認めてくれています。首都直下型地震が起きた場合に、住家だけでなく非住家、高層オフィスビルやショッピングセンターなどの商業施設の判定についても鑑定士が担えるように、協会内に特別チームを編成して研究を開始しました。東京都主税局からも主旨をご理解いただき、適切な判定方法を構築するために必要となる情報を提供してもらえることとなりました。熊本地震の被災地では非住家の調査を実際に行いました。被害認定が行われれば環境省が旗振りをしている公費解体を受けることができるからです。それには私たちが行う住家被害認定調査を応用した上で半壊以上と認定されなければなりません。被災した企業に対して補助金を出す経済産業省が旗振りの制度も、この調査を応用して認定することになりました。

──熊本地震の経験に基づいて、協会が現在取り組んでいる動きはありますか。

佐藤 先程も少し述べましたが、現在、協会では特別チームを編成して、熊本県での支援活動を通じて得られた経験に基づいて、首都直下型地震に焦点を当てて住家被害認定調査の課題抽出を含む研究成果物の作成に着手しています。そこには現場の経験から得られた注意点などが随所に散りばめられています。また、直下型地震が発生した時に、オフィスビルや大型商業施設、その他の都市型高層建築物などの非住家を、どのように調査して判定すべきかといった、新たな内容も含まれています。
 自治体としても、被災したら固定資産税を減免にしなければいけない企業等に対して減免措置をとらなければなりませんし、非住家に対する明確な判定方法が確立されていない中で主税局や各自治体もこの取り組みに注目しています。私たちが支援活動で得られた経験と平常時における専門知識とを組み合わせて一定の成果物を作成し、関連する自治体と共に深く掘り下げていく方向で、まさに今、話を進めている段階です。
 また、協会では東京都全域と住家被害認定調査に対する協定を締結している最中です。2017年2月には江戸川区と協会との間で、発災直後から支援に入れるように「住家被害認定調査に関する協定」を締結しました。6月には西東京市との間で協定を締結しています。現在は品川区や港区、渋谷区とも協定締結に向けて調整作業に入っています。協定に基づく支援の内容は、と「調査のための人手」いう趣旨でなく、熊本と同様にあくまで全国から支援にやってくる自治体職員に対して、連日研修を実施して目線を統一するとともに、必要に応じて内閣府、環境省、経済産業省にも説明が可能となる、難解事例の判定ルールを作成するといった内容です。締結してくれた自治体には、現在作成中の成果物を完成次第配り、定期的研修の実施のほか、地域ごとに予想される被災状況を事前に分析して、共同勉強会などを実施していきたいと考えています。これで、首都直下型地震が起きた際には、発災直後から鑑定士が現場に入り、旗振り役として動けるようになります。

──全国レベルの啓蒙活動は行われていますか。

佐藤 九鑑連の次に、2017年4月に静岡県でレクチャーを行い、南海トラフ地震を想定して名古屋方面からも含めて約90名の鑑定士が集まりました。6月には福島で東北連合会向けの研修を行い、10月には鳥取地震のあった中国地方で研修を予定しています。
 さらに現在、連合会の中にも特別な小委員会を作り、吉村真行東京会会長の強力なリーダーシップの下で大規模災害発生時における支援活動のための枠組みづくりが7月からスタートしています。そこには福島でガイガーカウンターを使われた石田先生を始め、神戸や熊本で活躍された先生も加わり、日本全国でこの取り組みができる体制を作っていこうとしています。東京と地方で住家被害認定に関する経験と情報の格差が大きいので、東京で作った成果物を使って研修を行い、連合会に知識とノウハウもすべて提供して、日本全国津々浦々に広めていくことを、この2年間で創り上げようとしています。
 さらに、支援力とともに支援を受けとる「受援力」をつけることめざして、首都直下型地震あるいは南海トラフ地震が起きた時に周囲がカバーできるような体制を作り上げることを、今後2年かけてやっていこうとしています。

──最後に、鑑定士をめざして勉強している読者に向けてメッセージをお願いします。

佐藤 私は鑑定士になってすぐに会社を設立しましたが、開業から13年間、従業員の給与とボーナスを支払い、福利厚生として社員旅行やバーベキュー大会、花火大会、映画鑑賞などができています。独立願望がある方には鑑定士は非常に向いていると言っていいでしょう。そして鑑定士は圧倒的に不足していて、仕事の種類も幅広い士業です。現在、鑑定業法・鑑定評価基準の改正も注目されています。農地の評価、動産評価も鑑定士の業務領域に入ってきますし、空き家対策といった土地の有効活用も鑑定士の仕事なので、業務拡充は間違いないと言えますね。
 最後に、何よりも言いたいのは鑑定士は地価公示等、公的業務について事業継続することが求められていて、なおかつ災害支援という新たな役割についても平常時から備えることで発災直後から充分に専門家として機能できるプロフェッショナルだということです。専門家としての支援にとらわれすぎることなく、人として被災者のニーズに応える姿勢を持つことが、被災者の信頼につながるという心意気を持つ。これは被災者を国民と読み替えても良いと思いますが。
 鑑定士の一人ひとりがそんな気持ちを持てたら、鑑定士制度は未来永劫国民に必要とされ、受験者数の減少などに悩まされずに豊富な人材を確保できると考えています。皆さんもがんばってください。期待しています。

【公職等】
公益社団法人東京都不動産鑑定士協会 理事・相談事業委員会 委員長
国土交通省 地価公示区部第9分科会 幹事
東京国税局 副統括鑑定評価員・王子税務署主幹鑑定評価員
東京地方裁判所 鑑定委員
東京都 固定資産評価員
災害復興まちづくり支援機構 事務局員
日本災害復興学会 復興支援委員会
公益社団法人日本不動産鑑定士協会連合会
災害対策支援小委員会 専門委員
公益社団法人東京都宅地建物取引業協会豊島区支部 幹事

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