特集 文学部から弁護士の道へ
小野寺 朝可氏
小野寺法律事務所 弁護士
小野寺 朝可(おのでら ともか)氏
大阪府出身。関西学院大学文学部哲学科を卒業後、中学受験専門塾などで勤務。一般企業で事務として働きながら、25歳のときに簿記の勉強を開始。日商簿記検定試験3級・2級を取得後、司法試験をめざす。3回目の挑戦で司法試験に合格し、昴法律事務所(東京都)に就職。2012年に小野寺法律事務所を開設。現在小学2年生、1年生のふたりの女の子のお母さんとして、仕事にも子育てにも真っすぐに向き合う。「未来を作るのは子ども」との思いから、特別養子縁組・国際養子縁組にも取り組んでいる。
文学部を卒業後、25歳のときに司法試験受験を決意。3年目に合格を手にした小野寺朝可さん。 ふたり目のお子さんを出産後2ヵ月で独立開業し、子育てをしながら弁護士として活躍されています。信念をもってイキイキと仕事に向き合っている小野寺さんに、司法試験をめざしたきっかけ、独自の勉強法、子育てと仕事を両立する心構えなどについてお聞きしました。
妹と一緒に毎日ファミリーレストランで勉強
──小野寺さんは、大学卒業後に司法試験の勉強を始められたそうですね。
小野寺 大学は、文学部哲学科を卒業しました。哲学科を選んだのは、高校生のときに通っていた大学受験予備校の論文の先生がとてもおもしろく、その先生の専門が哲学だったからという単純な理由です。ところが、大学の授業には興味が持てず、学生時代はバイト三昧でした。大学卒業後は、子どもが好きだったので学習塾に就職したのですが、「子どもが好きというだけで務まる仕事ではない」と実感し、2年で退職しました。その後は、やりたいことがわからず、仕事は正社員やアルバイトなど転々としていました。
──そこから、どのようなきっかけで弁護士をめざそうと思われたのですか?
小野寺 転機は25歳のときでした。当時、私は正社員の事務職として働いていました。4歳違いの妹が簿記の勉強を始めるというのでそれに付き合い、毎日夜になると一緒にファミリーレストランで簿記の勉強をすることにしました。日商簿記検定試験は3級・2級と受かったのですが、今度は妹が公認会計士試験に挑戦することになり、「じゃあ私はどうしよう」と考えました。弟は医学部でしたので、弟が医学、妹が会計なら足りないのは法律かなと(笑)。ちょうど母が所有物件で裁判をした経験があり、たとえ弁護士にならなくても、法律の知識があれば、少しは母の助けになるかもしれないという気持ちもありました。
──勉強はどのようにされたのですか?
小野寺 資格試験の受験指導校に入っていましたが、ほとんど独学の状態でした。妹は公認会計士試験に、私は司法試験の勉強に変わりましたが、仕事後にファミリーレストランに行って、一緒に勉強する毎日は簿記のときと変わりませんでした。
──実際に法律の知識ゼロからで、勉強は苦痛ではありませんでしたか。
小野寺 本当に何も知らなくて、「抵当権ってなに?」という状態だったのですが、初めて受けた講義で「法律っておもしろい!勉強って楽しい!」と衝撃を受けました。それ以降、法律の勉強はとにかく楽しいという思いだけでした。
独自の勉強方法を模索し、3年目に司法試験合格
──勉強のコツなどはあるのでしょうか。
小野寺 やみくもに勉強するのではなく、「自分の目標がどこにあって、今、自分に何ができるのか。足りないことは何なのか、この勉強方法でいいのか。ほかにもっと良い方法はないか」といったことは常に考えていました。そうすると、自分に合った独自の方法が見えてくるのです。
司法試験対策では憲法や民法など、それぞれの基本書を読むのが常識の勉強法のようでしたが、私は数ページ読んだだけで「無理だ」と感じ、読みませんでした。当時、あらかじめ内容を暗記して、それを組み立てて答案に再現する試験対策方法がありました。しかし、私はとにかく暗記が苦手だったのでそれも取り入れず、過去問をひたすら何度も何度も解いていました。また、ノートに一問一問、問題を書いてその下に解答を書いたものを作り、何度も答えを書きながら覚えていきました。「効率が悪い」と言われる方法ではありましたが、それは自分の性格や得手不得手を一番知っている自分が、試行錯誤しながら見つけた自分の方法だと貫きました。高校生のときは勉強が嫌いでしたし、それまで好きなことが見つからずフラフラしていた私ですが、法律は本当に楽しく、集中して黙々と勉強しましたね。
──1年も経たないうちに、最初の試験を受けたそうですね。
小野寺 勉強を始めて約9ヵ月後の5月に短答式試験を受けました。不合格ではありましたが手ごたえを感じたので、翌年もチャレンジすることにしました。
その後は答練(答案練習)以外は独学でした。夕方まで仕事をして、家で夕食を食べて、21時に妹とジャージ姿でファミリーレストランに行き、朝の3時まで勉強して帰宅。また7時に家を出るという生活をしていました。
──仕事をしながらの勉強は大変だったのではないでしょうか。
小野寺 2年目に短答式試験には合格しましたが、論文式試験は不合格。ここで仕事を辞めて勉強に専念する決意をしました。ここから毎日、朝8時に起きて、9時にファミリーレストランに行って、ランチタイムは自宅へ。14時にまたファミリーレストランに行き、18時に家に戻って夕食を食べて、21時から3時まで勉強するという生活が続きました。
今、あの生活に戻りたいとは思いませんが、とにかく楽しかったですね。遊びに行きたいとも思いませんでしたし、ストレスを感じることもありませんでした。
──3年目で合格されたそうですね。
小野寺 3年目で合格というと驚かれることもありますが、運や試験のテクニックでカバーできた点もあったと思います。むしろ短期間で合格してしまったために、仕事を始めてからは、ほかの人が当然知っていることも知らないということもあり苦労しました。東京の弁護士事務所に就職したのですが、そこのボスや先輩方に指導していただき、感謝しています。
一番大切なのは子ども。だから仕事も子育ても全力で
──ふたりの娘さんがいらっしゃいますが、産休・育休はどれぐらい取られましたか?
小野寺 長女のときは臨月まで働き、生後3ヵ月で職場復帰しました。仕事から離れることが怖かったのです。妊娠がわかったときは就職して2年目でしたので、知識・経験ともにまだまだ浅くて。仕事から離れることで、経験も能力もすべてを失って、またゼロからのスタートになってしまうのではという漠然とした不安がありました。産後の早期復帰については、同業者の夫は私の身体を心配して大反対でした。「ふたり目のときは、1年間休むから」と説得したのですが、翌年に次女が生まれたときは、2ヵ月で復帰しました。
──子育てと仕事を両立されていらっしゃいますが、心構えのようなものはありますか。
小野寺 仕事はとても楽しく、責任をもって取り組んでいますが、やはり子どもが何よりも大事ですし、親は子どもをきちんとした大人に育てる責任があると思っています。私は子どもたちが2、3歳の頃から、「お母さんは働いているけれど、そのためにあなたたちが真っすぐ育ってくれないのなら仕事をする意味はないと思っている」と言って聞かせています。子どもに何かあったときは、仕事を辞める心構えでいます。もちろん、責任ある仕事ですから、仕事を投げ出すという意味ではありませんが、万が一、子どもに何かが起きた場合は信頼できる人に引き継いで、仕事を辞める。それぐらいの覚悟で子育ても仕事も全力でしています。
──お子さんにも真摯に向き合っていらっしゃるのですね。
小野寺 価値観が多様化しているので、子育ても大変な時代ですよね。昔は社会全体が似たような価値観を持っていて、子どもたちはそれを肌で感じて学んでいたと思うのですが、今は様々な価値観が混在しているので、親が子どもに伝えるべきことを伝える必要があると感じています。私は母から教えられたことを娘たちに伝え、それを娘たちが次の世代に伝えていってくれたらいいと思っています。
──仕事も子育ても全力で、時間管理が大変ではありませんか。
小野寺 今は、朝7時前に子どもたちを学校まで送ってから、8時ごろに事務所に着き、夕方子どもたちを迎えに行ってから帰宅します。夕食やお風呂をすませて、21時ごろに子どもたちと一緒に寝て、3時に起床して仕事をする、という毎日です。「3時起き」というと大変に聞こえるかもしれませんが、遅くまで起きているより子どもと一緒に早く寝て早く起きるほうが、睡眠時間も確保できて私には合っているようです。
実は、娘はふたりとも私立小学校を受験しました。幼稚園のときに受験のための塾に週3回通わせたのですが、親が参観しないといけないので、それは大変でしたね。でも、独立開業をしていたおかげで時間はうまく組み立てられました。
近くに頼れる身内がいるわけではありませんので、夫とはWeb上のカレンダーでお互いのスケジュールを把握し、朝早い仕事や夕方以降の仕事は融通し合い、家事も分担しています。お掃除ロボットなどの便利な家電も活用し、あとは「細かいことは気にしない」というスタンスです。常に予定を頭で組み立て、効率的に動けるようにしています。
全部が揃ってから独立する人はいない
── 独立開業は、いつごろから考えていらっしゃったのですか。
小野寺 所属していた事務所は、ボスが尊敬、信頼できる人でしたし辞める気はなかったのですが、事務所の雇用形態が変わることになり、独立を考えはじめました。ちょうどその頃、大阪での事業を閉じた私の母親を東京に呼び寄せたのですが、張り合いをなくして元気を失っていました。「私が事務所を構えて、母に手伝ってもらったらちょうどいいのかな」という思いもありました。ふたり目の妊娠中だったこともあり、今、独立しないとタイミングを逃すと感じ、決意しました。産休に入るタイミングで事務所を退職。妊娠中は時間がありましたので、その間に不動産屋を回ったりして独立準備を進めていました。子どもが生まれてからも、授乳をしながら事務所のレイアウトを考えたりしていましたね。そして2012年5月、次女が生まれて2ヵ月後に開業しました。
──独立を決断してよかったと思われますか。
小野寺 本当によかったと思っています。もちろん、経営への不安はありますけれど。独立を迷っていたときに母から「全部が揃ってから独立する人はいない」と言われ、気が楽になりました。確かに独立してみてダメなら他の仕事をしてもいいし、生きるのに困ることはないと思い決断しました。自分で独立開業している最大の利点は時間の融通が利くことと、自分が受けたい仕事を引き受け、自分の価値観に沿って仕事ができるということでしょうか。
──取り扱うのはどのような案件が多いですか。
小野寺 独立してからは離婚問題が増えました。私が女性弁護士だから女性からの相談が多いというわけではなく、男性からの依頼も多いですね。男性の場合、「奥さんが強いから、その奥さんに勝てる先生を探していた」なんて言われたりします(笑)。そのほか、顧問先はジャンルを問わず、最近はマンション管理組合の関係などの仕事が多いですね。基本的に私の価値観とあまりにもかけ離れた依頼以外は、何でもお受けしています。特にご紹介いただいた件に関しては、ご紹介者の顔もありますので、よほどのことがない限りお断りせずお受けするよう心がけています。
何に対してもきちんと向き合うことが大切
──「日本こども縁組協会」のアドバイザリーを務めていらっしゃいますね。
小野寺 5年ほど前から特別養子縁組・国際養子縁組の案件を受け始めて、2016年8月に設立された「日本こども縁組協会」のアドバイザリーを務めています。養親さん(育ての親)の依頼で、申し立ての代理人として裁判手続きをするのはもちろん、妊娠をしたけれど自分で育てられないといった方の相談にも応じています。
──特別養子縁組に取り組むようになったきっかけは何でしょうか。
小野寺 実は、以前は特別養子縁組に対してそれほどプラスイメージを持っていなかったのですが、日本子ども縁組協会理事であり、一般社団法人アクロスジャパン(養子縁組あっせん機関)代表者である小川さんの「大変な仕事だけれど、子どもの幸せのために」という志に触れ、感銘を受けるとともに特別養子縁組に対する認識がガラッと変わりました。通常扱っている紛争の案件は両者の対立構造ですが、特別養子縁組は制度のあり方によっては、当事者である養親、実親(生みの親)、子どもの三者がそれぞれ幸せになることができるものです。「あるべき制度が整えられて運用されれば、こんなに良い制度はないのでは」、と思うようになりました。これからの社会をリードしていくのは子どもです。私たち大人がきちんと子どもを育てないと社会は良くなりません。そういう意味でも、特別養子縁組の仕事は意義があると思っていますので、ずっと続けていきたいですね。
──仕事をするうえで、意識していることはありますか。
小野寺 自分の信念に反するのに、依頼主に言われるがままに合わせることはしたくないと思っています。依頼者の希望には耳を傾けますが、実は依頼主ご本人も感情的になって気持ちが整理できず、本当は自分がどうしたいのか、わかっていないことも少なくありません。依頼者の本当の幸せはどこにあるのかは間違わないようにしたいので、私は常に「その人にとって本当に良い解決策は何なのか」ということを考えています。依頼者に対しては、法律論を説明するだけではなく「視野を広げてみませんか」ということを提案しています。また「こうすれば、こうなります」という選択肢を示して、「あとはよく悩んでください。答えは出なくても、苦しくてもいいから悩んでください」と伝えています。なかなか答えが出ず、堂々巡りになることもありますが、必ずいつか腑に落ちるときがあると思いますので。私も落としどころはどこが良いか、きちんと見極めたいと常々思っています。そのうえで、あきらめず、誠実にできる限りのことをしたいですね。
──ご自分の価値観をしっかり伝える姿勢が伝わってきます。
小野寺 何に対しても、きちんと向き合うということを大切にしています。親であれ、兄弟であれ、夫婦であれ、相手とちゃんと向き合って話をすることで見えてくることがあると思います。
私も夫や娘たちにも、「私はこう考えている」ということは、常に伝えるようにしています。クライアントにも、正面から向き合い、自分の気持ちを伝えるようにしています。それが信頼につながると思いますので。
──弁護士もそれぞれ特徴があるようですが、依頼主はどうやって弁護士を選んだらいいのでしょうか。
小野寺 依頼者にとって、誰を代理人につけるかというのは大事なことです。誰が代理人につくかで、案件の決着がまったく変わってきます。私もよく同じ質問をされますので、「特許や医療など法律論ではなく現場の知識が必要なものに関しては、専門性のある先生のほうが良いかもしれません」とお伝えしています。それ以外は、法律の解釈と適用、判例をどれだけ調べるか、事件に対してどれだけ偏見を持たず真っ白な状態で臨めるか、人として信頼できるかどうか、仕事にどれだけ誠実に取り組んでくれるかでしょうね。
最初に私のところに来たから、私に頼まないといけないということではなく、セカンドオピニオンを聞いたりして自由に選んでもらえばいいと思っているんです。依頼者が何を求めるのか、どのように戦っていきたいのか、ということを確認しながら、私の考えをきちんと伝えるようにしています。
弁護士は、楽しく、やりがいを感じられる仕事
──小野寺さんは、お母様の影響を大きく受けていらっしゃるようですね。
小野寺 母の影響は確かに大きいと思います。母には「やってやれないことはない」、「やりたいことには突き進みなさい」、「時間をムダにするな」、「家にこもっていないでとにかく外に出なさい」などと言われて育ちました。親の言うことは、やはり重みがありますね。そのときは反発しても、一瞬でも「こういうところを直さないといけないのかな」と思うと、次は少し気をつけますよね。母は離婚して、女手ひとつで私たち4人の子どもを大学に行かせてくれました。母がいなければ今の私はいないので、頭が上がりません。
──お話を伺っていると、勉強を始めたころの先生との出会いや、事務所のボスなど、人との出会いにも恵まれていらっしゃったのですね。
小野寺 私は本当に人に恵まれていたなと感じます。妹と通ったファミリーレストランではドリンクだけで居座って悪いなと思っていたのですが、私たちが勉強していると、店員さんがケーキを出してくれたこともあります。司法試験合格後に就職した事務所のボスや同僚にも恵まれました。ボスは非常に厳しい人で、最初は「こんな書類しか作れないなら、法律家とは言えない」と怒られることも多く、起案した書類をボスのところに持って行くのが怖くて、書類を手に抱えたままウロウロとしていたこともあります(笑)。毎朝胃が痛かったのですが、とても情の厚い方で、よくしていただきました。
──いろいろな出会いがあっての今の小野寺さんなのですね。
小野寺 お世話になった方には感謝していますし、受けた恩はどこかでお返ししたいと思っています。その思いがあるので私のところにご紹介で来られる依頼者には、相談料をいただかずできる範囲のことはしますし、電話で答えられることについては無料でお答えしています。みなさん恐縮されますが「仕事としてきちんとお引き受けするときは、しっかりいただきますから」とお伝えしています(笑)。これは私の営業スタイルのひとつでもあり、もちろん仕事につながればそれはそれでいいことですし、そうでもなくても、私が今まで多くの方から受けてきた恩を返せるなら、それもいいと思っています。
──弁護士の仕事でやりがいを感じるときは、どのようなときですか。
小野寺 依頼者から「小野寺先生にお願いしてよかった」と感謝されると、やはりうれしいですね。単に得られた利益が大きかったということもあると思いますが、家事事件に関して、「自分の考えが広がりました」と言ってもらったりすると、この仕事をしていてよかったなと思います。
また、判例を調べても出てこないことを主張して、自分の主張や考えが認められたときは、純粋にうれいです。裁判官に「小野寺先生ががんばってくれたので、あとは私ががんばります」と言っていただいたことも忘れられません。
「交渉」が好きなので両者の落としどころを見つけて、そこにすとんと落ちたときは、本当にうれしいですね。この仕事は責任もあり、とても大変ではありますが、私はこの10年間ずっと「楽しい!」と思いながら仕事に取り組んでいます。
──弁護士の仕事はとても大変だけど楽しい、ということですが、大変なのはどういう部分でしょうか。
小野寺 法律にも裁判にも限界があるところでしょうか。仮に判決で勝っても、相手の財産がどこにどれだけあるのかという「財産の所在」は自分で見つけないといけません。もし見つけられなければ、差し押さえ請求などもできず、それは自己責任だということで、どれだけ費用と時間をかけて勝っても賠償金等を回収できないということがあります。また、依頼者の感情を受け止めることも大変ですね。何とかしてあげたいけれど、法律上、裁判の制度上の問題でどうしようもない場合もあり、気の毒だなと思うことはありますね。
──今後のキャリアプランはありますか。
小野寺 よく聞かれるのですが、キャリアプランは特に決めていません。それよりも、目の前にあることにどのように優先順位をつけて、どこまで自分が一生懸命になれるかが大事だと思っています。目の前の一歩一歩の積み重ねが将来につながるのだと思っています。
──これから弁護士をめざす人や『TACNEWS』の読者にメッセージをお願いします。
小野寺 ぜひ、あきらめないでがんばってほしいと思います。ただ、違った方向にがんばってもゴールにはたどりつけないので、自分が何をめざすのか、自分の立ち位置はどこなのか、どういう価値観を持っているのか、どういう性格なのかということを常に見つめ、内省を深めてほしいですね。何が一番良い方法なのかを考えることはとても大切です。どうしてそう思ったのか、どうしてそれが嫌いなのかなど、立ち止まって考え、自分と向き合うことは必要ですね。立ち止まりながら軌道修正することで、自分が進みたい方向に進めるのだと思います。
私は、母に「やってやれないことはない」と言われて育ちました。私自身は長い人生の中で、必ずしもそうとは言い切れないと思っていますが、やると決めたことは「やるか、やらないか」ではなく「やるのだ」と自分に言い聞かせてやってきました。身につけた知識や全力でがんばったという事実は、必ず身になると思っています。私は、中学受験でがんばって勉強したのですが、第一志望は不合格でした。それでも小学校6年生なりに一生懸命がんばったことが自信になったと思いますし、あのときの経験があったからこそ、司法試験もがんばれたと思っています。物事には運やタイミング、向き不向きもありますから、うまくいくかどうかはわかりません。成功するかどうか、人にどう思われるかを気にするのではなく、ただ目の前のことをがんばれば、必ず自信につながりますし、得るものはありますので、あきらめないでほしいですね。
──ご興味深い話をお聞かせいただき、ありがとうございました。
[TACNEWS 2017年2月号|特集]