特集 3つの顔をもつパラレルワーカー・コンサルタント
木下 綾子(きのした あやこ)氏
中小企業診断士
株式会社ステラコンサルティング 代表取締役
株式会社ライブリッツ・アンド・カンパニー 取締役
ネイルサロン「Lumiena Ginza(ルミエナ銀座)」経営
大学、大学院で電気電子情報工学を学び、修了後は日立マクセル株式会社およびセイコーインスツルメンツ株式会社でソフトウェア開発を担当。働きながら資格取得をめざし、2012年に中小企業診断士試験に合格、2013年に登録。2014年、個人事業として独立。2015年、株式会社ステラコンサルティングを設立、株式会社ライブリッツ・アンド・カンパニー取締役に就任。現在はコンサルティング、講師、執筆など幅広く活動しつつ、ネイルサロン「Lumiena Ginza(ルミエナ銀座)」を経営。
中小企業診断士、技術経営修士(専門職)、工学修士。
大学、大学院と電気電子情報工学を学んだ木下綾子氏は、大手電機メーカーおよび精密機器メーカーで、約9年ソフトウェア開発に従事。エンジニアとして働きながら、中小企業診断士資格を取得した。自身の性格を「用意周到なタイプ」だと分析する彼女は、中小企業診断士として事業承継や事業再生などに取り組むだけでなく、2019年12月には自らネイルサロンを買収して経営にも取り組むなど、ダイナミックに事業を展開する。「仕事は実践で覚えるのが最も身につく」と語る木下氏に、中小企業診断士という資格の魅力や活かし方をうかがった。
“定年まで”と就職した会社を事業部閉鎖で転職
──中小企業診断士(以下、診断士)として、ご自身の会社をもつだけでなく、外部のコンサルティング会社の役員をされたり、ネイルサロンの経営をされたりと多角的にお仕事をなさっている木下さん。学生の頃からこうした働き方を考えていたのでしょうか。
木下 いいえ、自分が自営業になるとは、まったく思っていませんでしたね。漠然と、大きい会社へ就職して、定年まで安定して生きていくのだろうと考えていました。ただ、父も祖父も自営業でしたので、無意識に何か植えつけられていたのかもしれません。就職先で所属していた事業部がなくなったり、転職したりという環境の変化を繰り返す中で、自然と「組織に所属するよりも、ひとりでやったほうがいいのかな」という気持ちになりました。
──大学に入る前はどのような環境でしたか。
木下 小学校から高校まで、横浜にある一貫教育の女子校に通いました。受験は小学校入学のとき以来でしたので、大学進学に際しても、当落のある受験はしたくないなと思っていました。私は結構用意周到なタイプなので、成績が良いほうだったこともあり、指定校推薦を取って大学に進学しました。
──同級生には、木下さんのように理系へ進む人は多かったですか。
木下 少なかったですね。1学年に5クラスあるうち理系は1クラス、学年全体の中で20%くらいの感じです。そしてそのうちの半分くらいは看護系などをめざす人でしたね。医療看護系は必修科目の中に生物があるので理系に分類されるのです。ですから、技術者や開発者といった職業を志望する人は、クラスの半分くらいでした。よく「女子は理数系が苦手な人が多い」などといわれますが、私は文系科目より理数系科目が好きでした。国語の文章問題などを解いても、解答解説に納得がいかないこともあったりして。例えば「このときの主人公の気持ちを述べよ」といった問題に対して、「主人公はこう考えている」と、本当にはっきり言えるのか?と疑問に思ってしまうのです(笑)。その点、理数系科目の問題には確実に正解があって、その根拠も明確です。そこが性格的にも合っていたのだと思います。
──当時は社会的にも理系が注目された時期だったかと思います。
木下 そうですね。ちょうど高校3年生のときにWindows98が発売されて、私も親に買ってもらいました。社会的にも理系の人材が求められてきた時期だったので、就職活動も文系の学生よりスムーズだったと思います。大学では修士(大学院)まで、電気工学についてひと通り学びました。電気、電子、それに情報系やプログラミングの授業もありましたね。
世の中ではIT系企業が急成長している時期でしたが、就職先には電機メーカーを選びました。私はモノを作れる、製造業に興味があったからです。いわゆるIT系、例えばSIer(システムインテグレーター)などですと、大きなシステムの中の、ほんの一部分だけを作る仕事がメインになります。クライアントの要望に沿う仕様に合わせて、プログラムだけを作っていくという仕事が多い。私はそれよりも、一から自分でソフトウェアを設計して、それを機械に組み込んでもらうという仕事をしたい、製品に組み込まれるようなソフトウェアの開発をしたいと思いました。
──その電機メーカーでは、新規事業部に配属されたのですね。
木下 はい。時代の最先端の電子筆記具の開発をしていました。新人でも割と自由に技術的なことをやらせてもらえましたし、海外出張にも行かせてもらえました。部長や事業部長など上司の方々も技術者だったので、若手を育てようという気持ちがあったのだと思います。女性で、しかも入社して3年も経っていない社員が海外出張に行くのは初めてだと言われたくらいですから、いい上司に恵まれた職場でした。
その部署で、私は通信系のソフトウェア開発を担当しました。当時はどんどん新しい通信規格が出てきた時期で、BluetoothやWi-Fiも新バージョンが次々と出てきていました。これから流行るだろうという分野の開発はおもしろかったのですが、まだ時期が早すぎたのか、事業部が廃止になってしまって。その後まったく違う分野への異動を勧められましたが、やりがいを感じることができず、転職することにしたのです。
──2009年9月に1社目の電機メーカーをやめて、10月には大手精密機器メーカーへ転職。ここではどんなお仕事をされましたか。
木下 飲食店向けのハンディターミナルやサーマルプリンタのやはり通信系のソフトウェア開発で、Bluetoothやファームウェア開発などを行っていました。この職場はひと回り以上年上の男性ばかりで、技術部というのはそういうところも珍しくないのかもしれませんが、おとなしい方が多かったですね。仕事はずっとパソコンに向かうような業務です。それはそれで馴染んだ作業ですし楽しかったのですが、一方で「このままではいけない」という危機感を持ちました。
──なぜでしょうか。
木下 私が転職する前の年にリーマン・ショックが起きて、その影響で会社の業績が悪化し、入社時に約束したはずの給料やボーナスが出なかったりしたのです。周りの社員のモチベーションが低下していくのも目の当たりにして、今のままではまずいと感じました。経営は良くないはずなのに、社内の誰ひとりとして、現状を変えようとしない。このまま会社にいても定年まで勤められないかもしれないと思いました。万が一、職を失っても食べて行けるようにしなければと感じ、それが資格取得を考えるきっかけになりました。
診断士資格の「汎用性」に惹かれる
──数ある資格の中から、なぜ診断士を選んだのでしょうか。
木下 診断士の資格には汎用性があると思ったからです。資格取得を考えるようになってから、TACのパンフレットなどもひと通りチェックして調べたのですが、税理士、弁護士、社会保険労務士など、国家資格というのは独占業務があって1つの分野を深く掘り下げるものが多いなと感じました。自分が一生技術職のままでいるとすれば弁理士などの資格は有効かもしれませんが、最初から分野を限定すると、可能性の幅が狭まってしまうと思いました。
診断士は試験科目が多い分、知識をいろいろな仕事に応用することができます。士業の入口としては広く勉強したほうが、その後の発展性があるだろうと考えたのです。すごく努力して国家資格を取ったとしても、実はその分野の業務に自分が向いていないという可能性もあるかもしれません。時間やお金をかけて取った資格を活かせないという失敗は避けたい。その点、診断士には仕事の選択肢がいろいろあります。そこが他の国家資格と違うメリットだと思いました。広く浅く学んで、自分の特性や興味にも合う、目標とすべき分野を見つけ、そこをフックに深く学んでいくというやり方もできると思います。そうして会社に勤めながら3年かけて診断士試験に合格しましたが、実は私は最初から独立前提で資格を取ったわけではありませんでした。
──社内診断士の道も考えたのですか。
木下 はい。2社目の精密機器メーカーでは、診断士資格を取ったあとに社内公募に応募しました。会社の主力商品のマーケティングをする部署へいきたいと考えたのです。資格の勉強を通じて経営や営業に関しての理解が深まりましたし、キャリアチェンジのいいチャンスだと思いました。でも結局、通りませんでしたね。色々な社内事情があったのだと思います。
──そのとき、他企業への転職は考えませんでしたか。
木下 考えなかったです。組織にいれば結局また同じようなことがありますから、自分でやるのがいいのかなと思いました。実家が自営業でしたから、会社をやめて独立することにはさほど抵抗がありませんでしたね。2013年4月に診断士登録をしましたが、すぐには独立せずに10ヵ月ほどは勤務を続けながら独立準備を進めました。
準備を整え独立、コンサルタントとして歩き出す
──独立準備はどのように進めましたか。
木下 ほとんどは人脈作りです。診断士の交流会や、診断士協会のプロコン塾(プロのコンサルタント育成塾)、研究会などに参加して人脈を広げました。もともと診断士試験に合格する前からコンサルティングには興味があり、交流会に出ていたので、「合格しました」と報告したところ、先輩から「こんな話もあるよ」と情報をもらえるようになりました。そして2014年3月にシェアオフィスの一画を借りて、個人事業としてステラコンサルティングを創業し、2015年3月には株式会社ステラコンサルティング(以下、ステラ)として法人化しました。
──開業後はどのように仕事を広げていったのでしょうか。
木下 私が製造業出身なので、製造業を支援するような仕事がしたいと思いました。そこで最初に、半官半民の公的機関で2年間ほど非常勤の仕事をしました。週数回の勤務という契約ですから、ベースを稼ぐという意味ではよかったと思います。また、収入が安定するということだけでなく、何よりも勉強になりました。公的機関の職員というのは、自分が「頼む側」にもなれるのです。事業を運営する側ですから、「この部分は専門家に頼もう」となったとき、誰に頼むかを自分で選定できるのです。すると頼む側の気持ちがわかるので、どうやったら専門家として選ばれるのかを「選ぶ側の立場で」理解することができます。独立後の早い段階でその立場を経験できたのはよかったですね。
その公的機関では、かなり大きく事業をやっていました。毎年助成金のプロポーザル(申請書)を書いて、採択された事業を運営していくような感じです。たまたま私がいた年は東京都の大きな事業が取れ、予算総額が億単位のうちの半分ぐらいを任されて、自分の裁量で好きにやらせてもらいました。プロポーザルを出すところから最後の完了報告を出すところまで、お金関係も全部やらせてもらったので、普通の非常勤よりも多くの仕事ができたのではないでしょうか。公的機関の事業運営を、部分的でなく全体を一貫して見られたのはとてもいい経験になったと思います。現在もステラでは、公的機関の仕事が多くなっています。具体的には、医療機器開発支援のための医工連携アドバイザーの仕事ですね。ドクターと製造業と製販企業との三者の間に入り、ドクターの希望に基づいて医療機器開発を進めています。
──当時、非常勤の仕事と並行して、ご自分でも営業はされましたか。
木下 知り合いや先輩から仕事を紹介してもらうことが多かったですね。非常勤の仕事を週何日かやって、残りの日でお誘いを受けた仕事や打ち合わせする、という期間が結構ありました。独立した当初はとりあえず何でもやってみようと思って、誘われた仕事は断らずやっていたのですが、次第に「これは自分の方向性と違うな」と、合う合わないが分かってきました。
診断士には女性が少ないので、女性だというだけで注目される部分があります。独立したばかりの頃には「女性活躍セミナーの講師をやりませんか?」と声をかけられたこともありました。当時は女性活躍セミナーが流行りだったので声がかかったのだと思いますが、実務経験が少ないまま講師をしても先が続かないだろうと思いましたね。それなら、大変なことは多くても、事業再生やコンサルティングの仕事をしたほうが後々自分のためになるだろうと考えて、セミナーの講師はお断りしました。診断士は間口の広い資格ですが、こうして徐々に各々の得意分野が決まっていくのだと思います。
──木下さんが経営支援や事業再生といったコンサルティングの分野を選んだのはなぜですか。
木下 最初は女性の創業支援もいいかなと思っていたのです。華やかですし、女性という自分の立場も活かせますから。でも、実家が中小企業で、父が祖父から引き継いだ事業を立て直すところを間近に見ていましたから、経営の立て直しや事業再生にはなじみがあるし、助けてあげたい、力になりたいという気持ちが強くありました。また、事業再生や事業承継は仕事のやりがいが格段に大きいですから、ビジネスの対象として考えても可能性が大きいと思いました。それで経営改善や事業再生を支援している、株式会社ライブリッツ・アンド・カンパニー(以下、ライブリッツ)の社長を紹介してもらい、コンサルティングの仕事をスタートしました。
事業再生に注力、「ありがとう」の声がやりがいに
──ライブリッツでは取締役をされていますが、ご紹介がきっかけだったのですね。
木下 独立当初に公的機関を紹介してくれた、診断士の先輩に紹介していただきました。もう10年以上独立診断士をされていて、いろいろと相談に乗ってくれる、すごくいい先輩です。私がいつも事あるごとに「コンサルティングをやりたい、やりたい」と言い続けていたので、「それならいい人がいるよ」という感じで紹介してくれました。
──自分が取り組みたい仕事のイメージを、言語化して周囲に伝えておくことは大事ですね。
木下 それはあると思います。ずっと「やりたい」と言っていると、他の先輩も会う機会があったときに声を掛けてくれるし、紹介してくれる人も出てきます。自分から発信しないと、相手も何を紹介したらいいのかわかりませんから。でも、今の私ははっきりものを言うタイプですが、小さい頃は誰かにいじめられても黙って耐えるようなおとなしい子でした。それがある日ブチッと切れて、「嫌だ!やめて!」とガツンと言ったら、なんと翌日からピタッといじめられなくなったのです。「きちんと伝えることは大事」「思ったことは言うべき」と、そのとき心から思いましたね。その経験から、今の私が形成されたのだと思います。
ライブリッツに入ることになったきっかけも、思うことをはっきり言わせていただいたからだと思っています。コンサルティングをやりたいということで紹介してもらったとはいえ、自分の能力が先方の求めるクオリティに追いついていなかったらいけませんから、「どこまで求められているのか、それに自分が応えられるのか」ということを、私が納得できるまで話し合いました。ライブリッツの社長からは、「そこまで業務内容について質問してくれる人は他にいなかった。ぜひ一緒に」と言っていただき、ありがたく話をお受けしました。
──そしてライブリッツの取締役に就任されたのですね。
木下 はい。ライブリッツには「正社員」がいません。全員が役員なのです。取締役が私以外に3人いて、あとはパートの事務方という形ですね。その他、案件によって仕事をお願いするパートナーコンサルタントの方が数名います。独立している診断士の場合、各々が自分の事務所や会社を持っているので、他のコンサルティング会社の社員になってその会社一本でやりたいという人は少ないのです。事業主としての自分だけの仕事もありますから、完全に縛られるのは困る。だから、こういった形態がいいのです。クライアント企業様にとっても、コンサルタント集団の中からより自社に適したコンサルタントを選べるというメリットがあると思います。
──それぞれにとってメリットのある形ですね。ライブリッツではどのような仕事を担当していますか。
木下 ライブリッツでは様々な業種の事業再生を行っていますが、実は事業再生の現場に、女性診断士は少ないのです。ただ業種によっては女性のほうが得意なジャンルがあるので、例えば化粧品関係やエステサロン、美容室などといった「女性の意見を聞きたい」というニーズのある現場は入りやすいですし、女性だということでお客様のほうから声を掛けてくださる場合もあります。あとは、私が製造業出身なので、製造関係の仕事もあります。製造業出身のコンサルタントはご年輩の方が多いので、技術や機械の進歩といった製造業を取り巻く環境の変化にキャッチアップできる若いコンサルタントの需要は高いですね。私は製造業のコンサルティングは結構好きで、作業着を着て工場の中を歩くのも楽しいのですが、女性診断士の方はあまり製造業のコンサルティングはやりたがらない方が多いですね。皆がやらないから、私にチャンスがあると思っています。
──強みを存分に活かしていますね。コンサルティングを行う際に、心掛けていることなどはありますか。
木下 様々な会社からのご相談がありますので、すべての業種に精通するというのは到底無理だと思います。ですから私は、企業の専門的分野については「教えていただく」という姿勢でコンサルティングに入ります。私にできることというのは経営改善や事業再生、客観的な視点で企業の強み・弱みを分析して戦略を立案したり、施策を提案したりすることです。経営改善計画書を企業と一緒に作り金融支援のお願いをするとか、補助金の申請、施策の伴走支援など、そういう面のサポートですね。事業内容について教えていただきながら、「それならこういう制度を利用できますよ」と提案したり、計画書を作る時も実際のアクションプランについては「これなら実践できそうですか?」とヒアリングしたりして、一緒に作っていく感じです。ただ、コンサルティングの手法は人によって違うので、中には業種特化の先生もおられます。その業界のコンサルティングだけを専門にしている先生であれば、業界についての知識や理解も深いでしょうから、そこまですり合わせはしないかもしれませんね。私の場合は一社一社業種が異なりますので、最初の何回かは、アドバイスするというよりはお客様の話を聞きに行くという感じです。お話をうかがった上で別の目線からアドバイスさせていただくと、企業様も「そんなやり方があったのか!」という気づきがあって、次回訪問の時に環境がすごく良くなっていたりします。そうすると皆さんの表情が変わってくる。この瞬間が本当にうれしいですね。経営が改善して「ありがとう」と言われると、この仕事に就いてよかったと思います。
──やりがいを感じられるお仕事ですね。収入面に関しては、メーカーの技術者から独立して、変化はありましたか。
木下 会社員時代よりも確実に増えていますね。大手メーカーの給与は年功序列的に段階的に増えていくので、会社にいた頃まだ若かった私のお給料はそれほどでもなかったですが(笑)、それでも、診断士になって独立1年目から、すでに会社員時代の給与を超えていましたね。その後は独立2年目で2倍、5年目は4倍でした。5年目に関しては、ちょうど金額の大きいM&A案件が成約したので、手数料が大きかった分売上が上がりました。ただM&Aは毎年あるとは限りませんから、今期も改めてがんばっていきたいですね。
「やりたいこと」は行動しながら見つける
──2019年12月には銀座のネイルサロンを自らM&Aし、オーナーになられました。
木下 そうなのです。私は「バトンズ」という、中小企業向けM&Aマッチングサイトのアドバイザーをしています。会社を売りたい人や買いたい人のアドバイザーの仕事をしているのですが、サイトを見ているうちに、私も会社を1つ買いたいと思ったので、M&Aしてみることにしたのです。診断士の仕事は、他の自営業の方や独立している士業の方も同じですが、自分が働いた分しかお金が入ってきません。どこか自分の時間を切り売りしているような感覚があって、これはずっと続かないだろうと感じていたのです。高齢になってくると、体力的に今のペースで働くのはきついし、病気などの要因で働けなくなる可能性も考える必要がありますから、コンサルティングとは別の柱がほしいと思っていました。そこでなぜ銀座のネイルサロンを選んだのかというと、そのサロンの経営改善の余地が大きいと思ったことが1つと、もう1つは銀座エリアはまだまだネイルのお客様を開拓する余地がありそうだと感じたことからです。また、もしこのお店の黒字化が上手くいけば、診断士として事業再生の仕事をする際にも、「ネイルサロンなら立て直せます」と、実体験を元にお話しすることができると考えました。
──「M&Aで黒字化」という実績をアピールできますね。
木下 そうですね。ファンドのような感じで会社を買ってみて、今は自ら経営改善を実践しているところです。仕事は実践で覚えるのが最も身につきますから、今やっていることは確実にコンサルタントとしてのスキルになります。実際に自分で会社を買ったことで、M&Aをする側の気持ちや、従業員を抱えた経営者の気持ちも理解できましたね。そしてネイルサロンを黒字化できれば、サロンスタッフたちにがんばってもらうことで利益を出せるようになって、私にも時間的な余裕が生まれます。そこまでいけば、私も自分が本当に好きな仕事、活かすべき企業の支援に全力投球できると考えています。
──今後が楽しみですね。最後に、キャリアを模索している方や、資格受験を考えている方へのメッセージをお願いします。
木下 診断士の仕事は間口が広く汎用性があるところが魅力ですが、その分、具体的にどんな仕事をするのかという部分については、自分自身で考える必要があります。私の場合は、まずは自分の専門分野に近い業界から始めてみたり、紹介された仕事を何でもやってみたりすることで、自分に合った仕事・やりたい仕事がどんな分野なのか、そのためにはどんな知識や経験が必要なのかを見定めていくことができました。
資格は診断士として働く上でのフレームのようなもので、その先の中身は自分で作り上げていくことになります。資格を取得したまま活用しないでいるのは、とてももったいないです。自分が行動することでしか成功体験は積み上がっていきませんので、ぜひ資格を武器に、実践していただきたいなと思います。
[TACNEWS 2020年6月号|特集]